第六話

 今や、小人族プルの猟師は、段平の間合いに入った。それを悟った奴は、すかさず腰に帯びたククリナイフを引き抜き様に斬りつけてきた。鋭く、精確だ、筋がいい、だが遅い。ナイフを握った――俺からすれば子供のような――その手を、矢が突き刺さったままの左手を手刀に変えて、払い落とす。手首を強打され、取り落とした得物、全くの丸腰となった奴の首に、段平の根元をあてがった。


 このまま、手前に引けば、この小人族プルの猟師は、たちまち物言わぬ肉塊へと変わる。これは、フリアエが俺に課した、悪しき道の第一歩となる――本当に……? これで、本当にいいのか? これが、あの人の言う、悪を纏うということなのか? あの人が命がけで救おうとした人間を、殺めることが、か……?


 己の解釈と彼女の真意との葛藤に苛まれ、生殺与奪の権を持て余していた俺に対し、


「ま、待った待った! 完敗だ! もう手も足もでねぇよ! なんてこった、とんでもねぇ奴だよオマエは」


 小人族プルの猟師が必死の形相で命乞いを始めた。頭巾を捲ると、小人族プル特有の幼気な童顔が現れた。一見すれば少年、だけどこの人種だけは、外見に囚われちゃいけない。子供のような容姿格好で、齢百を越える者などざらだからな。


「オレぁただの賞金狙い、アンタに恨みなんざちっともねぇんだ。もう二度とアンタを狙ったりしないからさ。だから、なあ許しておくれよ。このちっぽけな命だけは、な? どうか頼むよぉ」


 騎士らしく騎士道に則れば、命乞いをする相手を殺すことは禁忌の業。だけど、今の俺は違う。もはや俺は、悪しき道を突き進む人非人。耳を傾ける筋合いはない、はずなのに……。


「な、なあ。アンタさ、おたずね者なんだろ? ならよ、アンタの逃避行をよ、オレ様がちっと手伝ってやらぁ。この辺はオレ様の庭みてぇなもんだからよ、ここは一つ任せてくんねぇか」


 悪いな、人の手を借りる予定はない。この身一つで背負わなければならないものがあるから。


「見たところ、他の都会人よか森を分かってるみてぇだが、オレ様からすりゃまだまだ素人よ」


 そうかもな。あんたの謀略は手強かった。あたかも、この森があんたに味方しているような感覚だったよ。


「技は教えねぇ教わらねぇ主義だが、盗むのは勝手だと思ってる。だからアンタもオレ様の技を盗んで、逃亡生活に役立たせてくれなよ」


 ……え? なんだよ、この流れ。たった今、同盟でも結んだかのような口ぶりじゃないか。


「オレの名はティル・オイレンシュピーゲルってんだ。ティルって呼んでくれよ、大将」


 俺に手を差し伸べた、ティルなる小人族プルの男。未だ矢が突き刺さった左手に対して、ではなく、段平を己の首に当てがった右手に対して。つまり、矛を収めよ、という願いが込められた握手の要求だ。フン、度胸のある奴は嫌いじゃない。いいだろう、応じてやるさ。


「……俺の名はレフ・レック・ファウスト。レフでいい」


 段平をティルの首から離し、身体の真横に突き立てる。不審な動きが僅かでもあれば、即座に首を刎ねられるように。


「へっ、抜かりないこったぜ、レフさんよ」


 子供のように小さな、だけど意外と肉厚で、岩のように堅いその手を取ると、心底ホッとした表情を浮かべるティル。ただ、俺の用心を察してか、直後には呆れたふうに首を振った。どの面下げて言うか、お前の名演に一杯食わされたんだぞ、俺は。


「まあいいさ、信用ってのは行動で勝ち取るもんだ。ほら、膿んじまう前に、手ぇ出し――」


 ――その時、静穏に包まれていたマーロウの森に、角笛の重々しくも突き抜けるような音が鳴り轟く。それは、狩人が獲物の痕跡を認めた時の合図。俺の足跡が見付かった、という合図だ。


「うおっ……!? まさか、他の連中も嗅ぎ付けたってか? おいおいレフ、アンタなんか、下手こいたクセェな」


「ご名答だ、ティル。お前との邂逅の前に、随分と強烈な残り香を、川辺にな」


「馬鹿野郎、なーに森林浴満喫してやがんだ、おたずね者の分際で」


「その通りだ、完全に油断してた。よく分かるな」


「当たり前だろ! さっきはオレ様の完璧な隠蔽工作を見抜いたくせによぉ、あんな素人どもに取っ捕まえられる玉じゃねぇっての! アンタは!」


 なるほど、確かにティルの謀略は綿密で抜かりなかった。その潜伏、その罠、幾重にも渡る仕掛け。狩猟の経験や予備知識がなければ、こいつの顔を拝む間もなくあの世逝きだろう。フッ、唯一想定外だったのは、相手が俺だったってところか。


「なに得意げな顔してやがんだ大将、へまこいてちゃ格好つかねぇよ。何より、アンタが捕まっちまったらオレ様の立つ瀬がねぇ。さあ乗せてってくれよ、そこの呑気なお馬さんによ」


「――グレートヒェン、それがあいつの名だ」


 俺の視線の先には、まるで今までの戦いが無かったかのように呆けた顔のグレートヒェンが草を食む。そんな間抜けさ、鈍感さが、いつも俺の救いだった。


「グレートヒェンだぁ? なんだよ、馬にしちゃ随分ご大層な名前じゃねぇか」


「それだけ、俺にとっては思い入れのある相棒ってことさ」


「ヘッ、お堅そうな顔してよ、洒落臭ぇこと言うんだな、アンタも」


 堅物か、よく言われるよ。顔は親父譲りなもんでね。

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