円環

新月

第1話夏祭りの晩

夏至の晩、西の森は青い光に満たされる。昼のうちに枝から枝へ、白く脱色した紐が渡され、そこに青い紙を貼った提灯が吊るされる。


日が暮れると同時にポツポツと、入口に近いものから火が灯され、昼でも暗い森の中を、青い光で染め上げる。


夏至の晩は年に一度のお祭りだ。普段は人の気配などない鎮守の森が、この日だけは賑わいを見せる。


赤ん坊を抱きながら、杖を引き摺りながら、次々と村人たちがやってくる。


森の奥に祀られた、村の守り神に詣でるためだ。


参拝者は青い提灯に照らされた道をそろそろと進む。


普段はほとんど人の手が入らない西の森に、道らしい道など存在しない。ただ入口から社まで、提灯をぶら下げた場所だけが、即席の参道となるだけだ。


たとえ他に、もっと歩きやすい所があったとしても、両側を提灯に照らされた、この場所から出ることは許されない。


そんなことをすれば森に取り込まれてしまうと、そう信じられている。


森は神の領域であり、夏至の晩はその力が強まる。青い光はその強すぎる力から、人を守る盾である。


恵みと災いをもたらす気紛れな神、それに対する畏敬は村人の中に根強く残っており、わざわざ提灯の道を外れようとする者はいない。


直線に進めば半分もかからない距離をくねくねと、文句も言わずに人の群れが通る。


社は森の奥、ゆっくりと地下へ伸びる洞窟の横に建っている。洞窟の奥がどうなっているのか、誰も知らない。


洞窟はあの世と繋がっている。中に入れば引き摺りこまれるぞ。


いいやそうじゃない。洞窟の先は神々の住まう世界と繋がっているのさ。だから社が隣にあるんだよ。


様々な憶測が飛んでいたが、実際に中へ入ってみる者はいなかった。入ることを許されていた唯一の存在は、既に村からいなくなって久しい。


社は木造の小さなものだ。高床式で正面に小さな階段がある。登った先には六畳ほどの板張りの部屋。その周りをぐるりと回廊が巡っている。


社にはもう長いこと人の手が入っていない。


かつてはきちんと掃除されていたが、もうすっかり森の生き物たちの住み処となり、朽ちてボロボロになっている。あちこちに動物の糞がこびりつき、板は腐って変色している。


ここに住んでいた人がいなくなってから、誰も手を入れていないのだ。


村の守り神を祀る社となれば、中には御神体が納められているはずだろう。しかしここには何も、石1つだって置かれていない。


だからこそ、ここまで放って置けたとも言える。


御神体として崇められていたのは、かつてここに住んでいた人間だった。


彼は生き神として1人森の社に住み、時折村に姿を現しては神や先祖の言葉を伝えた。


村人が神のお告げや先祖の意見を聞きに社へやってくれば、彼は1人、明かりも持たずに洞窟の中へ潜って行く。


村人は誰1人中へ入ることを許されず、外で待っているしかない。そこからあんな噂が生まれた。


戻ってきて神の意を伝える姿は堂々としていて、威厳があった。


痩せて皺が多く、真っ白な髪をしていたが、その身体は村のどんな若者よりも生気に満ちていて、さすがは生き神さまだと皆感心していた。


だからこそ、死んだ時には誰もが信じられない思いだった。


男は冬のある日、社で死んでいるのを発見された。


いつものように、お告げを聞きに来た村人が見付けたのだ。外から呼び掛けても返事がないため、社の中に入ってみると既に亡くなっていたという。


村ではしばらくその話題で持ちきりだった。


神官だって人間なのだから、寿命だったのだろうと言う者もいた。


凶作で供物が少なかったから、飢え死にしたのさと揶揄する者もいた。


また何も言わずに、お喋りな連中を軽蔑したように見ている者もいた。


それから、森の社は無人のままだ。


神官を勤めてきたのは、その男だけではない。


彼があまりに長くやっていたため半ば忘れられていたが、神官が死ぬと別の誰かが新しく選ばれることになっている。


しかし、男が死んでからは誰も神官になっていない。神官は村人が勝手に決められることではないからだ。


生き神たる神官がいないのに、空っぽの社に詣でるのは本来滑稽なことだろう。それでも村人はやってくる。以前のように頻繁ではないが、夏至の日には必ず。

参拝者は社の前で手を合わせて前の年を無事に過ごせたお礼を述べ、次の年も平穏に暮らせるようお願いする。


そうしてまた青い道を通って森から出るが、その間誰も一言も口をきかない。


声を出せば気付かれてしまうと信じられているからだ。


森の神と、その使者に。


気付かれた者は呼ばれてしまう。呼ばれたら二度と戻ってこれない。


社で死んだ、あの男がそうだったように。


誰もそうなりたくなかった。神や神官に頼っても、自分がそうなるのは嫌だった。

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