トロンボニスト

黒イ卵

共通書き出し企画です。

 『それは、天上の白き宝玉と呼ばれていた』


 今号巻頭は、先月行われた演歌の歌姫と世界的トロンボニストの演奏会の様子と、彼のインタビューをまとめたものをお送りします。



 ――天才プレイヤーと呼び名の高い。


 そんな大それたもんじゃないさ。

 普通のトロンボーンプレイヤーだよ。


 (水筒の蓋を閉じ、ロックする。中身漏れ防止である)


 楽器の練習をする際は、ペットボトルよりもロック付きの水筒が良いね。


 軽くカンタンに倒れるペットボトル、ゆるまったフタからこぼれる中身なんて、悪夢だ。


 床にならまだしも、譜面や楽器にかかって大惨事になるのは避けたいから。


 ――その、中指はどうしましたか?


 ああ、大きいタコが出来てね。

 最近、滑りが悪いみたいでさ。


(そう言いながら、トロンボーンのスライドにクリームを塗り始める)


 まあ、それも、曲をるとどうでもよくなるね。


 ――今日の曲は演歌、そしてロック調にするとのことですが?


 いまどきは音楽のジャンルを超えて、コラボやアレンジで様々なところに呼ばれる。


 演歌のとロックは相性が良いと思う。

 個人的な意見だがね。


 (銀色に光るマウス・ピースを口に当てる)


 まずはマウス・ピースで口の調整だ。


   vu-vu vu vu vu-vu-vu


 乾燥してるせいか、唇がカサカサしてうまくないな。


 (無香料のリップクリームを塗り、あぶらとり紙で軽く唇を押さえる)

 

   bu〜bu bu bu〜bu bu


 ――コンディションは、悪くないと?


 まあ、調子はなかなかだ。

 このリップクリームは良いと思うよ。


 (手元のリップクリームを見せる。〇〇社のロングセラー商品だとわかる)


 ――演奏中、気になることは?


 会場内、客席のぽつぽつとした空席が目立つことかな。


 (スタッフの笑い声)


 照明で見えないだろって?


 照明転換で色が変わる時、意外と見えるんだよね。

 もちろん、会場ハコにもよる。


 曲と曲の間、司会が話す時に、後ろの扉から遅れてきた客が入るのもわかるよ。


 ――結構、見えるんですね。


 よく、ステージ上からは見えないだろ、なんて話があるけれど、よほどピンスポ当てて眩しくしてないと、そんなことないからね。


 ――照明の加減で、トロンボーンが白く見えることは?


 あると思うよ。吹いてる時はスライドを動かすのに、夢中だけど。まあ、白くなるほど光を当てたら、反射で眩しくて見てられないんじゃないか?


 ――変な噂について、どう思いますか?


 変な噂?


 ――あなたが演奏中に、クスリをいてるって。


 (大きな笑い声)


 はは、演奏中に! そうすると、トロンボーンが白くて丸い玉に見えるのかな? 面白いね!

 

 ――『天上の白き宝玉』の評判については?


 まあ、ここまで有名になるとありがたいけどね。

 俺は、ただ、吹いて、少しでも近付くのさ。


 ――何に近付くのですか?


 それこそ、天上ってやつじゃないかな?

 (ウィンクするトロンボニストの写真)


 (スタッフが呼ぶ声)


 おっと、そろそろリハーサルだそうだ。

 インタビュー、こんなもんでいいのかい?


 ――また、後ほど、終演後にお願いします。




 ♫ ♫ ♫




 演奏会が始まった。


 演歌の女王と呼ばれる、日本の歌姫の演奏会に、オリジナルの曲でコラボする。

 世界的トロンボニストのホームページで公開された情報は瞬く間に広がり、彼が出る一回だけのチケットは発売開始直後に売り切れた。


 稀代のトロンボニスト、金管の名手、また、鼻から吸った息を口からそのまま楽器に吹ける呼吸法をマスターしていることから、天上ラッパの永久機関、などと数々の異名を持っている。


 最近、彼の偏執的なファンと、それに対するアンチが言い出した事が噂になっている。


 彼のオリジナル曲の演奏中、天上の白き宝玉が見えた! と。

 たまに表現が行き過ぎるのは、熱心なファンにありがちなことだろう。


 それに噛み付いたのが、しばしばそのファンと対立していたアンチで、クスリを使って幻覚を見せているんだ! とネット上で攻撃したのをきっかけにお互い罵り合い、それが拡散し、噂として広まっている。


 まあ、うちの雑誌も、それを盛り込んで記事にするわけだけど。

 事前に彼にはインタビューの質問内容を通達し、OKをもらったものを聞いている。


 彼の演奏を生で聴くのは初めてだ。

 なかなか機会に恵まれず、仕事でこうして席につけるのは幸運と言う他無い。


 そんなことを思いながら、歌姫の持ち歌や、持ち前の声量を活かしてのカバー曲を楽しみ、気付けば何曲か終わっていた。

 彼女は一度退場し、司会者が出た。


 「ーー神の楽器と呼ばれ、教会の聖歌隊の伴奏に使われていた楽器、トロンボーン。

 天の使いが吹くラッパは、後にトロンボーンとなり、その音域は人間の肉声に近いことから、天使の歌声とも表現されています。

 まさにその、天上の音楽の表現者、世界的トロンボニストの方と、演歌の女王と名高い歌姫たっての希望で、本日一曲だけの、夢のコラボレーションが実現しました!」


 拍手の中、舞台袖から歌姫とトロンボニストが現れた。


 準備が整い、静寂の中、歌姫がマイクの前に立つ。


 歌姫の独唱が始まった。



 ♫



 北の海に雪が降る。


 冬の海は厳しく、送り出す漁師の女房の嘆きと無事に帰って来いという祈り。

 それは聖なる歌のような、それでいての効いた演歌独特の歌唱で、歌声が会場中を包み、震わせているのを感じた。


 ふいに。メロディーにかぶせて吹くトロンボーンの音。甘く哀愁を帯びた優しい音に、身が溶けるようなゆるやかな快楽を味わう。


 と、いきなり波にさらわれるかのように、トロンボーンの音が途絶え、バックバンドの演奏が始まる。


 ロック調の、演歌。


 低く唸るような声で歌姫は漁師となる。


 冷たく荒れる海、かじかむ手、仲間の舟とはぐれた漁師。沖のカモメの群れに、陸に残した女房を思う男の悲哀。


 死を覚悟した漁師は、海の神に酒をささげ、他の漁師達の無事をこいねがう。


 歌姫とそのバックバンドの独壇場の中、突如切り込むトロンボーンの割れんばかりの音。


 波が止み、曇天の空から光が射し、天からの使いが白き宝玉を持って男に渡す。


 時間にして、ほんの五分ばかりの、トロンボーンのソロパート。

 スポットライトが当たり、眩しく照り返す金管、荘厳な天上ラッパ。


 再び歌姫が歌い出す。


 ――は海の宝珠、龍の玉。


 ――まったき白の、たっときもの。

 

 ――かつて海に在るはいさかいの元と、天が預かった。


 ――海の神に返して来れば願いを聞き届けよう。

 

 そう言われた男は一匹の魚になり、白い宝玉を呑み込んだ。


 小さな魚になった男は、深く深く潜る内に少しずつ大きくなり、巨魚となった。

 身は擦り切れ、尾びれは無くなり、深海の圧力に少しずつ潰されながら、ゆっくりと進む。


 やがて辿り着いた海の神、龍神を前にして、漁師だった魚はその体ごと宝玉を差し出した。


 ――龍の玉が我が手に戻ったか。魚よ、願いを聞き届け、その身を永遠にたたえよう。


 そして男は星座になった。


 いつしか白き宝玉を呑み込んだ魚の星が見える日は嵐になる、と漁師達は漁に出なくなった。その代わり、翌日は大漁になった。

 魚の星座は、漁師座、あるいは大漁星と呼ばれるようになった。


 また、魚の腹の辺りの一等星は、天上の白き宝玉、とも。



 ♫



 噂は本当で、まるで嘘のような出来だった。


 観客は皆、天上の白き宝玉を見た。


 それだけではなく、漁師の物語の全てを知覚した。


 いつのまにか曲は終わり、客席にぐったりと持たれている者、静かに涙する者、何とか立ち上がり拍手しようとするが、手が震えうまくいかない者など、とんだことになっている。


 「――曲名は、【天上の白き宝玉】でした」


 司会の声が震えている。


 身の内から快楽と涙が止めどなく押し寄せ、席から立ち上がる事もなく、そう言えば終演後にトロンボニストのインタビューがあったな、と、かろうじて思い出すのであった。


(了)

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トロンボニスト 黒イ卵 @kuroitamago

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