第26話 八章 没原稿(正式タイトル不明) その2

「私が神父様? あなた一体何を言っているの」

 しわだらけの顔がさっと青ざめた。平静を装ってはいるが、隠しきれない動揺が見て取れた。

 それには答えず、私は薄い冊子を取り出した。『天界報告』と大きく書かれた文字が表紙にでかでかと踊っている。教団のフンボルト州支部がかつて発行していた広報誌である。私が差し出したのは一八一〇年収穫月号。事件より四年前だ。シミの付いた付箋の貼ったページをめくり、彼女に差し出す。

「新人の神父を紹介する記事です」

 記事には名前と顔写真が掲載されていた。写真は雑誌とともに大分茶色く変色していたが、顔を判別するのに不都合はなかった。この広報誌を州都の古本屋で見つけたときには小躍りしたものだ。

「ドミニク・ミューラー神父。今も当時も男性主体の教団において、数少ない女性神父・・・・として就任されました」

 私は彼女のベッドの上に『天界報告』を置き、記事の顔写真を指さす。

「これ、あなたですよね」

「知りません」

 彼女は顔を背ける。まるで太陽でも見てしまったかのように。

「第一、神父様は死んだのですよ」

「死んだとされているのは現場で行方不明になったからです。スライムに食べられれば死体は残りません。せいぜい身につけていたボタンとかベルトの金具とか、金属片が腹の中から見つかるくらいです。ならばあの事件当日、自分から姿を消した人間も死亡扱いになります」

 祭りで薄暗くしていた上に事件の大混乱の最中である。姿をくらますのは難しくない。

 私は『天界報告』をいったん手元に戻し、代わりにファイリングした紙の束を取り出す。トレメル村の村民名簿、そのコピーである。

「コルネリウス准尉の報告書や事件の研究書には死亡者あるいは行方不明者の名前は全て載っています。ですが、生存者の名前は多くても半数程度です。村人全員を載せてはいません。そこで私は死亡者と生存者の名前をつきあわせてみました」

「結果は?」

「全員そろっていました」

 トレメル村の人口は一五七人、犠牲者は死者・行方不明者を合わせて三十八名、生存者は全部で一二〇人。犠牲者の一人であるブルクハルトは村の外から来たので勘定は合っている。

「だったら」

 得意げに反論しようとする彼女を手でさえぎる。

「死んだはずのドミニク神父は生きていた。しかし、死者と生存者の数に間違いはない。ならば考えられることは一つ。実際に生きていた人間と死んだ人間が入れ替わっていたんですよ」

 行方不明になっていれば死亡したと見なされる特殊な状況だからこそ可能な方法だ。

「バカバカしい」彼女は冷ややかに言った。「そんなの村の人が見ればすぐにわかるじゃない」

「生存者の動向を調べてみました。生存者の中で村を離れた人は大勢いますが、事件直後から一度も村に戻っていない人間はたったの二人。ヴィオラとアルマさん、あなたです」

 ヴィオラは当時六歳で、神父と入れ替わりが可能なのは彼女だけだ。村に戻れないのは当然、見つかればドミニク神父だとばれてしまうからだ。

「第一、生きているかどうかは軍が調べたのですよ」

「コルネリウス准尉の調査方法は、村民簿の調査と生存者への聞き取りです。村民簿に顔写真はありません。つまり同じような年格好の人間が別人の名前を出せばすんなり通ってしまう」

 まさか死んだ人間の名前を騙るなど准尉には想像もつかなかったに違いない。

「少し、長話をしましょうか」

 以下は私の想像である。


 ドミニク神父は意図せずしてスライムの暴発という惨事を招いてしまった。大勢の村人がスライムに飲み込まれるのを目撃したはずである。胸中にはたくさんの感情が渦巻いただろう。罪悪感、絶望、混乱、恐怖。彼女自身も大量のスライムに追われ、危険にさらされていた。

 教会は広場のすぐ近くだ。逃げ場所として日頃から慣れた場所に向かうのは自然な発想だろう。だが教会の入り口には既にスライムで埋め尽くされて入れず、その裏庭で本物のアルマ氏と出会う。

 そこで彼女は死んだ。

 当然ドミニク神父はそれを目撃している。この入れ替わりは本物のアルマ氏の死を見ていないと成り立たないからだ。そこで何が起こったのかは、神ならぬ身には推測するしかない。たまたま逃げ遅れたアルマ氏が犠牲になったのを目撃しただけかも知れない。不幸な事故だったのかも知れない。もしかしたら、ドミニク神父が生き残るためにアルマ氏を犠牲にしたのかも知れない。

 真相は神父の記憶の中だけだ。

 スライムに溶かされ消えたアルマ氏を見て、彼女の中に何かが生まれた。

 カソックを脱ぎ捨て、倉庫の中にあった村娘の衣装と入れ替えた。

「根拠は?」

「神父の服が残っていたからです」

 スライムの体内に取り込まれれば肉体はもとより服まで溶けてしまう。絹や木綿で出来たカソックが残るはずがない。

「木の上に引っかかっていたのもあなたの仕業です。服を残せば中身は溶かされてしまったと判断するだろうと。そして教会の倉庫に隠れてスライムをやり過ごした。あなたご自身が話されたとおりに」

「バカね」話の途中で老婆がせせら笑った。「そんなのすぐにばれるに決まっているでしょう」

「そうですね」私はうなずいた。「村人に見つかればすぐにわかってしまうような底の浅い変装です。それはあなた自身よくご存じのはずです。これはあくまで私の想像ですが、そのお顔のケガもご自分で付けられたのではありませんか? 少しでも顔の印象を変えるために」

 彼女は答えなかった。ただ唇を震わせ私を憎々しげににらみつけている。

「ですが、このトリックを補強した人物がいます」

 そこで言葉を句切り、上目遣いに彼女の反応を見る。

「ヨースト・カルケル少佐です。あなたは少佐と親戚だったんですよね」

 私はもう一度『天界報告』に掲載された写真を指さす。そこには女性神父誕生の見出しとともに、彼女の肩を抱くカルケル少佐が笑顔で映っていた。

 スライムを駆逐し、村娘の格好をしたドミニク神父を発見した少佐は、すぐに事態を察知したのだろう。彼女を匿い、アルマ・ヴィーグとして生存者リストに載せると同時に病院へ運ぶという名目の元、彼女を村の外へ連れ出した。トレメル山のふもとの診療所ではなく、州都の病院まで運んだのもそのためだろう。あるいは、隠れていたドミニク神父にアルマとして生きるように少佐が指示したという可能性もある。

「そんなことをしてあの人・・・に何の得が?」

「教団のためです」

 ただでさえ当時は、司教の不品行により教団の名誉が著しく傷つけられていた時期だった。その上、スライムの暴発に教団から派遣された神父が一役買っているなど、少佐としては何としても避けたい事態だっただろう。

 アルマとして入院した神父に対し、少佐はこんなことを言ったのだろう。

「ドミニクは死んだ。お前はこれからアルマとして生きるのだ」

 彼女に選択肢はなかった。少佐はこの時期、教団関係者としきりに面会している。フンボルト州本部大司教に副支部長、枢機卿付の司祭と、いずれも非公式である。内容はおそらく、ドミニク神父の処遇と今後の対策についてだ。少佐は准尉から報告を受ける立場であるし、ドミニク神父本人からも一部始終を聞き出していただろう。入れ替わりは既に神父一人の思いつきではなくなっている。反対するならすれば村の者たちに全てばらすとでも脅されたのかも知れない。かくしてドミニク神父は災厄の泥に消え、代わりにアルマが這い上がってきた。


 一通り話し終えると老婆は目線をせわしなく動かしていた。天井やベッドの上、私の顔、雑誌に自分の手、鏡と、部屋中のどこにも置き所がないようだった。代わりに長年隠し通してきたものを暴かれた恐怖や怒り、内側からこみ上げるもの必死でこらえるかのように腕だけはベッドのシーツをつかんでいた。手の甲には細い血管が浮き出ている。

「ノンフィクション作家と聞いていましたが、ずいぶん空想豊かですね」

 彼女はいかにも平然という声音で言った。しかし声はかすかに震え、取り繕ったものであることを如実に物語っていた。

「ノンフィクションにも想像力は不可欠ですよ」

 付け加えるなら私はまだ作家ではない。駆け出しの雑文書きだ。ちなみに昨日まで書いていたのはフンボルト州の繁盛料理店のレポートと新式の美容法についての記事だ。

「ただし、裏付けのないことは書きません。今、あなたに言ったこともそれなりの根拠があってのことです。神父」

 私はカバンから大きな封筒を取り出し、その中身を差し出した。

 彼女の目が見開かれた。私が取り出したのは、藁半紙を紐で綴じた小冊子である。タイトルは手書きで『聖者巡礼の旅』と書かれている。

「懐かしいでしょう。あなたがトレメル村で書かれたお芝居の台本ですよ、ドミニク神父」

「こんなものどこで」

 言ってからはっと顔をする。認めたのも同然の発言だが、言い間違えたと言われればそれまでだ。そんなものよりもっと確実な証拠がある。

「これもコルネリウスの『手記・・』です」

 本書の冒頭でも述べたが、『コルネリウスの手記』にはは本人のメモや下書きのほかに村から収集した資料も含まれている。准尉は持ち主のいなくなった教会の倉庫からこの台本を見つけて、回収していたのだ。元・文学青年には芝居の台本は興味を引く代物だったのかも知れない。本来ならば村に返却、あるいは軍の資料庫に保管されるべき代物だが、ヴィオラ生存のどさくさで返却し忘れていたのだろう。


 神は細部に宿る。名探偵の言うとおりだ。

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