第10話 四章 惨劇 その1


   四章 惨劇



 炎は火柱となって燃えさかり、煙を上げて天へ昇っていく。小さなスライムが火の中から飛び出してきたときのために、猟銃やフォークや鍬を持って警戒しているが、その様子はなかった。スライムが火柱に包まれ、ドロドロに溶けていくのを見てほっとした空気が流れる。被害は決して小さくはないが、一段落したという雰囲気が流れた。

 スライムの鳴き声を聞いた、と証言した者もいるが、スライムに発声器官は存在しない。おそらくは聞き間違いか、その後に起きた悲劇から記憶が改竄されたものと思われる。溶け出したスライムの大群は炎の中で形を失っていった。『狂気の狩猟団ワイルド・ハント』は形を失い、境目も消え、溶け合って互いに入り交じっている。そこにいるのは一匹の不定形な赤紫色の粘液だった。炎の中で身もだえしながら少しずつ小さくなっていく。そのまま蒸発して消えるものとその場にいた誰もが思っていた。

 その時だった。

 破裂音がした。

 まるでポップコーンのような軽い音だったという。


 熱気混じりの暴風とともに巨大なスライムの全身から無数の小さなスライムが火と煙をまとったまま炎の中から飛び出してきた。一粒は大人の拳ほどの大きさだが、不規則な軌道を描きながら広場の中心から四方八方にわたって夜空に舞い上がった。まるでホウセンカかツリフネソウの種のようにはじけ飛び、赤紫色の粘液の塊は広場中に飛散して、村の男たちに降り注いだ。

 飛散したスライムはまだ生きていた。予想もしなかった動きの上、上空から降り注ぐ無数のスライムを回避するのは至難の業だったろう。村の男たちは次々とスライムの雨を浴びた。村人たちに張り付いたスライムはすぐに行動を開始した。腕に張り付いたものはその腕を、足に付着したものはズボンごと、顔に付着したものは髪の毛から眼鏡ごと、張り付いた箇所を急速な勢いで食らい始めた。村人たちは狂乱に包まれた。火に巻かれたように体を地面にこすりつける者や、とっさに、たいまつの炎をスライムに押し当てる者もいた。豪の者の中にはナイフで皮膚ごとスライムを引きはがそうとした。

 スライムは人間の抵抗など意に介した様子もなく、本能の赴くままに食事を再開した。人間の抵抗も逆効果だった。せっかく捕まえた獲物を逃してならじ、と消化速度を速め、服ごと人間の体を溶かしていった。

 叫喚の中もなおもスライムの雨は降り注いだ。反対に炎の中のスライムは見る見るうちに縮んでいった。

 集まった者のうち、十名以上がスライムの雨を浴びた。アントンはすさまじい勢いで迫ってきたスライムの体当たりを受け、そのまま取り込まれた。ウーツは雨のように降ってきた小さなスライムに体中にへばりつかれ、全身を同時に溶かされて死んだ。ティムの父親・トミーは何事が起ったのか呆然としたまま、飛んできたスライムの破片を頭に浴びてそのまま地面に倒れて動かなくなった。村長は運良くスライムの破片から難を逃れた。

 村人たちは逃げまどいながら再び悪夢が始まったことを悟った。


 なぜ、このような事態になったのだろう。

 トロン大学特殊生物学部のターニャ・ファンケルヴァイン教授は指摘する。

「明らかにスライムの逃避行動ですね」

 スライムたちは火にまかれ、生命の危機にあった。少しでも生存確率を上げるために一度分裂した個体と再結合をする。そうして小さな群れを一つの生命体とするという。

 それでもダメと判断した場合は、逆に小さな個体として八方に散らばるという。

 花が種子をばらまくように。わずかでも生き残ればどれかは生き残るかもしれない。

 スライムという種を残すための防衛本能だ。

 たとえるならスライムは油の詰まった袋だ。炎を忌避するが故に追いつめられると爆発的に飛散する。

 スライムをそのまま火であぶることは危険きわまりない行為なのである。

 こんな実験データもある。

 逃避行動時のスライムの飛散する距離は平均三~四フート、速度にすれば約二十クロメイル(約時速六十キロメートル)に達するという。ところが、火にあぶられた時の飛散速度や距離はこの三倍近くにふくれあがる。(『魔物と実験』(一八六六年月雪降月号)四四ページ『スライムの飛散速度について』)

 火を苦手とするからこそ、本能的により遠く速く逃げようとするのかもしれない。

 こうした事態を避けるため、スライムの大群を始末する時はまず浄化塩をふりかける。さすがのスライムも水がなければ生存できない。水分を失えば、再結合も再分裂もできずそのまま乾燥して死んでいく。洗礼を受けた塩が理想的なのだが、量さえあれば家庭用の塩でも事足りる。

 スライムの飛散行動については冒険者の手記にも残っている。彼らはそれを『暴発』と呼んでいた。

 だが、この研究結果が世に出たのは今から四十年前、事件の起こった三十年も後である。

 現在では広く知られている知識ではあるが、当時としてはまだ一部の経験則的な知識に過ぎなかった。

 もう一つ忘れてはならないのが、これはスライムの生存本能に基づく行為だということだ。体を焼かれて、水分を失ったスライムはまず水を求めたが井戸は堅くふさがれており、入り込めない。そこでスライムたちは水分と栄養を求め、手近にいた人間をおそい、補給した。スライムに限らず、一度飢えさせた生物にエサを与えると過剰に摂取する傾向がある。

 過剰な食欲のため、村の男たちを食べても満腹にならなかった。

 スライムたちはいくつかの集団に分かれ、村中を徘徊し始めた。

 村人たちは恐慌に駆られて逃げ回った。

 第二幕の始まりである。


 ここでの疑問は「誰がスライム村の中に招き入れる策を提案し、決めたか」ということだ。コルネリウスの報告書にはこうある。

「(スライムが押し寄せていると 筆者注)村長をはじめ、村長の家で対応策を話し合っていたがなかなか決まらなかった。最終的に村長がそれで行こうと言うことになり、ユーリが北門へと伝令に走った」

 ここでは最終的に決めたのは村長、ということになっている。実際その後の流れを見ても村長が陣頭指揮を執り、一連の作戦を進めていたのは間違いない。複数の証言もある。

 だが思い出して欲しい。本来、村長ら村の顔役たちは村祭りのために集まったのであり、村祭りの本部は教会である。村長がスライム対策に乗り出すまで、移動したという記述や証言はどこにもない。祭りの中止も人を介して指示を出している。

 教会は村の中心にあり、指示を出すにはうってつけの場所だ。ところが報告書では対策会議の場所について書かれていない。

 村長宅は村の西側にある。第一、切羽詰まった状況で対策会議の場所を移動させる理由がない。時間の無駄だ。

 ケヴィンが祭りの中止を訴えた時にもいたはずなのに、奇妙なまでにドミニク神父の存在が省かれている。

 役付きでこそないが、村の名士の一人である。間違いなく、対策会議にも参加していたはずだ。それなのにドミニク神父の存在が途中から削られている。証拠もある。

 ここでコルネリウスの手記の出番である。報告書の下書きになったと思われる部分から該当箇所を見比べてみる。


「(スライムが押し寄せていると 筆者注)村長をはじめ、□□□(黒塗りされている)対応策を話し合いましたがなかなか決まりませんでした。(以下、二行にわたり黒塗り部分が続く)最終的に村長がそれで行こうと言うことになり、ユーリが北門へと伝令に走りました」

 

 手記には後で塗りつぶしたと思われる修正部分が多数見られる。集めた証言の中には意図的に破ったような痕跡もある。そこまでして隠したいものはなんだろうか。

 この修正の意味は現代魔法が解明してくれた。


 四年前にフェルグ聖国大学所属の教授兼特級魔術師のアドルフ・フォン・ベルツマンは新たな解析魔術『四十七術式』を発表している。物体の時間軸を操作し、紙の上にわずかに残った筆圧から再現する。これにより、塗りつぶされたインクの下の文字を読み取ることもできる。さらに驚くべきことに、紙の状態さえよければ、失われた箇所に何が書いてあったのか再現することも可能だという。

 筆者はフェルグ聖国大学に塗りつぶされていた箇所の解読、および破り捨てられた箇所の再現を依頼した。七日後、戻ってきた資料は新品のように真新しく、まるでたった今書かれたかのようにインクの匂いまでかぎ取ることができた。

 塗りつぶされていた最初の文字は「教会にて」である。

 続いて塗りつぶされた二行は以下のようになる。


「そこでリードが神父にどうしましょうかとお伺いを立てたところ、神父様はスライムを村の中に引き入れる策を提言されました。反対する意見もありましたが、火で焼けば大丈夫だと(後略)」


 つまり神父が提案し、村長が最終的に同意したという流れになる。発案者はドミニク神父なのだ。

 村の中に引き入れ、結果的に被害を拡大させたのが神父だったとしてなぜ、公式の報告書では削られていたのか。

 筆者は当時の情勢に理由があったのではないか、と推測している。

 年表をひもとけば、教団の権威は十七世紀を境に徐々に低下していた。魔道蒸気の発明、聖教騎士団の解体宣言、魔法技術の発達は礼拝・洗礼など多くの儀式が形骸化した無用な手順だと明らかにしていた。

 一八一四年は枢機卿のスキャンダルが発覚した年でもある。その年の深雪月に枢機卿バルトローメウス・ホイスティングを含む七名が、常習的に信者の青少年を自室に招き入れ性的暴行を加えたという疑惑が、被害者とその家族らの告発によって明らかになった。現在としてはさして珍しくもない醜聞ではあるが、金銭による売春や誘拐まで行っていたという事実が当時の市民の反発を招いた。当初は告発された枢機卿をはじめ、教皇も「明確な証拠がない」と容疑を否認し、被害者を「悪魔の手先」呼ばわりまでしていた。

 教団有利に進んでいた情勢は、被害者をベッドに招き入れる写真が雑誌『聖国時報』に掲載されると一変した。市民の矛先は教団の腐敗を激しく攻め立てた。貴族や画家、舞台女優など、熱心な信者とされていた有名人による棄教宣言も続出した。当時の神聖議会では政府による宗教介入を示唆する発言まで出ている。教団の権威はこの年、著しく揺るいでいたのだ。

 この問題が沈静化するには翌年の早春月を待たねばならない。枢機卿は司教への降格の上私財没収、ほか数名は教団からの破門を言い渡された。

 トレメル村の事件が起こった時は宗教問題にナイーブな時期でもあった。それが末端とはいえ神父の判断ミスで大勢の村人を死なせたとなれば、信者離れを加速させることは明らかである。

 そうした状況に配慮したため、カットしたのではないだろうか。


 この推理は『手記』を手に入れる前から考えてはいたが、証拠がなかった。何よりコルネリウスは歴とした軍人であり、熱心な教徒でもない。そのことは遺族の証言もある。宗教問題に配慮するのは彼自身の意思であるとは考えにくかった。となれば別のところから修正を命じられたのかもしれない。

 証拠はやはり『手記』にあった。別紙のメモに黒く囲ってある箇所にこんなメモが書いてあった。「少佐より削除命令」

 ここでの『少佐』、とはというのはコルネリウスの上官であるヨースト・カルケル少佐(当時)のことと考えて問題ない。報告書の方でもヨースト・カルケル少佐のことを『少佐』のみで呼称しているからだ。

 都合の悪い文書や報告書が上司や時の権力者に握りつぶされた事例は枚挙にいとまがない。とある談合事件の告発文が発表後わずか半日足らずで抹消された例もある。だが報告書の発表どころか、完成以前に添削が出来る人物はそう多くはない。加えて、少佐の母方の大叔父が件の枢機卿であることを考えれば、偶然の一致では片付けられないだろう。自身も熱心な教団の信者であり、広報誌には親戚の娘とともに笑顔で映る少佐の写真も掲載されている。『災厄の泥がもたらしたもの』の著者・メーメット・ゲストヴィッツも軍上層部の関与を疑い、少佐にインタビューを申し込んだが、明確な証言は得られていない。

 いずれにせよ、スライムを引き入れる策を提言したのはドミニク神父に間違いない。どういう意図でこの策を取ったかは、現在も不明のままである。本人に聞きたくともこの騒ぎの最中にスライムに飲み込まれ、命を落としたという。


「神父様はねえ、まじめなお方でしたよ。おかわいそうに」

 彼女は古い友人の不幸を憐れむような口調で語ってくれた。

 本書執筆のための資料を集めていた際、アルマ・ヴィーグ氏からの手紙をいただいたのは序章で語ったとおりである。

 アルマ氏は当時二十二歳。猟師の娘である。十七歳の時に嫁いだ。七歳年上の夫も猟師であったが、アルマ氏が二十歳の頃に猟の途中で熊に襲われて亡くなった。以後は、独身を通している。ご本人によると亡き夫への操を守ったのではなく「たまたま縁がなかった」だけだったそうだ。

 両親も既に病死しており、夫亡き後は亡父の母の世話をして少ない畑を耕したり、教会でドミニク神父の手伝いをしていた。

 彼女自身、祭りの手伝いをしていたものの参加はしていなかった。アルマ氏は事件の直前、ふもとの村の診療所に二日間ほど入院して、前々日に戻ってきたばかりだった。まだ本調子ではなかったためか、祭りの始まる直前に体調を崩し、教会の小部屋で休んでいた。

 事件後は村を去り、隣のヴィルッダ州で学校の下働きの仕事に就いていた。アルマ・ウィーグ氏のことは以前より知っていた。多くの生存者が病気や寿命により他界する中、トレメル村事件を記憶する数少ない生存者である。ラファエル・ヴィルトやイェローム・テルバッハら多くのノンフィクション作家や記者が取材を申し入れたが、拒否されたと聞いていた。本書の執筆においても取材申し入れの手紙をお送りしていたが、返事はなかった。やはりダメかと諦めていたところに、了承の返事である。筆者は自宅のアパートメントでダンスを踊って階下の住人に怒られた。

 取材当時は入院中のため、ベッドの上でインタビューとなった。


 丸顔で目が細く、顔に刻まれている無数のしわは長年の苦労を思い起こさせる。病床においても撫でつけた銀髪がつややかなのは、髪の手入れを欠かさないからだという。若い頃は相当な美人だっただろう。何より印象的なのは、顔の左頬から左目の辺りにかけて広がる火傷の痕だ。事件の時についた傷だという。既に百歳近い高齢だか、背筋も伸びており矍鑠とした雰囲気を醸し出していた。

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