第6話 三章 無知 その1
三章 無知
このスライムがどこから現れたかについては今をもって正確な答えは出ていない。スライムは主に池やおだやかな川のような水辺に発生する魔物である。森の中にも沼はあるが、これまでにスライムの発生事例は報告されていない。沼の近くに川は流れているが、急流である。
有力な説としてこれまで語られてきたのが、召喚術による召喚とその暴走である。何者かがとある理由で召喚術を使いスライムを呼び出した。通常であれば、召喚された魔物は召喚者に従う。だが、何かの理由で制御を失い、スライムは召喚者の元を離れ、流れ流れてトレメル村まで行きついた、というものだ。
魔物が召喚者の意図と反して暴れ出すという事例は、大昔から何度も報告されている。
この説を裏付ける証拠が魔術師の死体である。事件後、捜索隊がトレメル村の付近を調べたところ、山頂付近に洞窟を発見した。中には腐敗の進んだ遺体が横たわっていた。男(かろうじて性別は判断できた)の持ち物から、召喚術の著書や触媒、魔方陣を書くためのチョークも発見されている。外傷はなく、男の死因は病気と判断された。
つまり魔術師は何かの理由でスライムを召喚したものの、急な病で倒れてそのまま亡くなってしまい、制御を失ったスライムが暴走したと思われた。
この説は長らく、最有力な説として信じられてきた。テオドール・コルネリウスの報告書でもそのように推測している。『トレメル村の悲劇』や『真実のトレメル村』でもこの説を採用している。一八四四年出版のブレタニス百科事典では、トレメル村事件の原因についてはっきりと「召喚者が急死したため、スライムが暴走した」と書いている。
だが、この被召喚スライムの暴走説をペヒシュタイム大学のハロルド・ラングニック教授は召喚術の見地から否定する。
「この魔術師の召喚術はですね、換流式なんですよ」
召喚術を知らない人のためにおおまかに解説しておく。
召喚術には大別して二つある。亜空間に存在する魔物を取り出す捕獲式と、全く別の場所にいる魔物を手元に呼び寄せる換流式である。
捕獲式では召喚獣を捕獲している分、すぐに呼び出せるし鍛えれば強い個体を何時でも手元に置いておくことができる。だがその個体が死亡すれば、再度呼び出すことはできない。換流式はその属性の魔物、たとえばワイバーンなら世界中から不特定にワイバーンを手元に呼び寄せ、戦わせる。たとえ死亡しても術を使えば別のワイバーンを呼び出すことができるが、その分個体の強さに差が生じる。
捕獲式と換流式、どちらが優れているということではない。両方にメリット・デメリットがある。
ラングニック教授の専攻は魔術統計学だ。魔術で引き起こした要因について事例を調べ上げ、法則性を調べ上げる学問である。ラングニック教授は魔法の暴走や失敗とされるケースを調べ上げている。中でも召喚術の成功率について論文は、准教授から教授への昇進に一役買っている。
ラングニック教授によると、暴走事件を起こしたケースは全て捕獲式の魔物だという。
「換流式の場合、本来ここにいないものを魔術でムリヤリというか一時的に、術者の手元に呼び寄せている。たとえば呼び出した瞬間に召喚者が亡くなったとしますよね。そうしたら魔術も切れる訳ですから元いた場所に戻ってしまうわけです。野生化して暴走するなんてことはありえません」
――この魔術師のケースもそうだということですか?
「召喚術は魔術の流派によって色々異なるんですよ。捕獲式だったり換流式だったり、あるいは両方ごちゃまぜだったり。この名前も知らない魔術師がどこで召喚術を習ったかはわかりませんが、チョークの素材や触媒からして、レーヴェンガルト式の召喚術を使おうとしていたことは間違いありません。レーヴェンガルト式の召喚術はガチガチの換流式ですね」
かの魔術師の召喚術は換流式であり、術者が死亡した場合はただちに元いた場所に戻るという。従来の説のように暴走するということはまずあり得ない。
ここで問題は最初に戻る。では、かのスライムはどこから来たのか、ということだ。近年、召喚術の失敗説の代わりに唱えられている説がある。結論から言えばどこから来た訳でもない。元々、山にいたのだ。山の地下にある、地底湖の中に。
トレメル山は岩盤の固い岩山である。雨が降れば岩を滑り、たちまち川に流れ込み山のふもとまで流れる。だが岩山にはいくつかの空洞があり、そこに水が流れ込めばやがて雨水がたまり、池になり、湖になる。この湖が発見されたのは、事件より五十五年も後のことである。
探索魔法により、地底湖の存在は確認されていたが、落石により岩が崩れ、地底湖が顔をのぞかせた。そこでトレメル山の管理局で調査班が編成され、地底湖に向かったところ多数のスライムが発見された。
当時の新聞の記事を引用してみる。
『トレメル山に再びスライム出現! 調査員二名が軽傷』
「夏雲月十七日、午前十時ごろ。フンボルト州トレメル山では先日、山頂付近で発見された地底湖調査のため、管理局による現地調査が行われていた。管理局職員・アマンド・ウールマンさん(三十七歳)ら三名が湖の水質調査のためにボートを浮かべていたところ、湖底から車輪ほどの大きさをしたスライムが飛び乗って来た。とっさに持っていたオールで反撃したもののひざの辺りを触られ、やけどのような痛みを感じた。一緒に乗っていたダイバーのデトレフ・ツェプターさん(二十八歳)が水中用の魔法銃で仕留めたものの、その際、腕に触られてケガをした。二人とも全治一週間程度のケガだという。その日の調査は中止となった。管理局は定例会見の際に後日、対策班を派遣し、湖底のスライムを全て排除する方針を発表した。かつてこの山でスライムによる大量死事件が発生したこともあり、事件との関連性を問う声もある。専門家によると【スライムの寿命は長くても半年程度のため、生き残りの可能性はあり得ない】という」(『デイリー・フンボルト』(聖暦一八六九年 夏雲月十八日号より)
全国紙となるともっと扱いは小さい。
『地底湖にスライム出現! 調査員二名負傷』
「夏雲月十七日、午前十時ごろ、フンボルト州トレメル山の地底湖を管理局が調査していたところ、湖底よりスライムが現れ、調査員二名がひざと腕にケガをした。命に別状はなく、その日の調査は中止となった。スライムはその場で処分された」(『ザガリアル・タイムズ』(聖暦一八六九年 夏雲月十八日号より)
『デイリー・フンボルト』では、二日後に湖底調査終了の続報が出た。その際、スライムの処分が完了した旨も書いてある。全国紙の方では続報は出ていない。管理局発表の事故調査報告書も事務的ではあるが同様の事実を語っている。
トレメル山の地底湖は一般人の立ち入りは禁止されているが、特別に許可を得て入らせていただいた。
直径は約十三フート(約十九・八メートル)、深さは最大で二フート(約三・二メートル)。水の透明度は高く、底にはコケの生えた石の間を泳ぐ小魚の姿も確認することが出来た。湖の周りは鍾乳石が覆っている。
驚いたのは天井の低さである。
正確な高さは計測できなかったが、目算でも三フート(約四・八メートル)もなかった。
成長したスライムなら二フート(約三・二メートル)に達するものもいる。事件発生当初の大きさも証言によって差はあるが、人一人を飲み込むくらいだから平均すれば一・五フート(約二・四メートル)前後はあったと推定されている。
スライムは体を震わせ、その反動を利用して跳躍することも出来る。地上から盛り上がった岩場から飛び上がれば、さらに高低差はなくなる。飛び上がり、地面の隙間を抜けて地上に出ることは十分に考えられる。大雨が降って地底湖の水位が上昇すれば、ハードルはさらに低くなる。地上に出たスライムがエサを求めて山をさまよううちにトレメル村に行き着いた。
これは何も筆者が導いた結論ではない。レナートゥス国立大学のオラフ・ルジツカ准教授やペヒシュタイム大学のヨルク・リオッテ教授も同様の説を発表している。研究者が膨大な証拠を精査し、たどり着いた推測である。
召還者死亡による暴走説は長い間、定説として語られてきた。
事件を元に発表されたエンリコ・ヴォッシュの小説『山津波』では、悪意ある魔術師が意図的に村を襲わせたと書いている。小説家が何を書こうと自由であるが、問題は創作が長らく事実のように語られてきた点にある。召喚士の名誉は今も汚泥の中にある。
話を元に戻そう。
巨大スライムは不定形の体をずるずると這いずらせながら道に現れた。ケヴィンは発砲した。弾はすべて命中したが、腹の中のクンツの死体に穴を開けただけで、有効なダメージを与えた様子はなかった。
ケヴィンは舌打ちすると、叫び声を上げようとしたバルトの口を手のひらでふさいだ。
「叫ぶな。寄ってくる」
スライムは構造上、他の動物や魔物のように目や耳や鼻といった感覚器官を持っていない。代わりに優れているのが触覚である。ゼリーのような体全体で波紋のような空気中の振動を感じ取るのである。表面に受ける光量で視覚の代わりを、空気の振動で聴覚の代わりにエサとなる生物の居場所を察知するのである。そのため目や耳はなくても獲物の居場所を突き止められるし、音で獲物の位置を察知することも出来る。
「どうする、親父」
「逃げるぞ」
息子の質問に父親は真っ先に撤退を決めた。
トレメル村の付近でスライムが出たという話はついぞ聞いたことがない。ケヴィン自身、スライムとの戦いは未経験である。おそらくトレメル村には一人もいないだろう。ふもとの村の何人かの古老が戦ったことがあり、その体験談という名前の自慢話を何度か酒の席で聞かされたことがある。彼らに聞けばもう少し有効な手立てを打てるのかも知れないが、全員墓の下だ。夜中に得体の知れない魔物を相手にするなど自殺行為である。
銃口を向けながらじわりじわりと距離を取ると、背を向けて一気に村へと走り出す。
ニコラスとバルドも慌てた様子で後に続いた。手足も持たないスライムとの追いかけっこは負けるはずもない。たちまち差は開いた。
息を切らせながら北門まで戻ると、バルトとニコラスはかんぬきをかけて扉を閉めた。
遭遇した場所からわずか数百フートの距離なのに、三人とも額に汗をかいていた。バルトは扉にもたれかかるようにして座り込んでいる。
「どうする?」
もう一度ニコラスが父親に尋ねた。これは「祭りを中止するかしないか」という意味だった。
ケヴィンの答えは決まっていた。どこから来たかはわからないが、あのスライムはクンツを食べている。野生の魔物はおとなしくても血と肉の味を覚えれば、人間を捕食対象として認識するようになる。ほかの三人も既に襲われたとみるべきだ。もしかしたらこの村まで襲ってくる可能性もある。ためらっている時間はない。
「中止するしかないだろうな」
人の集まってくる気配がした。暗闇の中から見知った顔が浮かび上がる。彼らの銃声は村の中まで響いていた。
「何かあったのか?」話しかけてきたのはアドルフだった。村でも最年長の猟師でクンツの父親である。当時五十八歳。遅くに出来た一人息子を溺愛していた。ためらうそぶりを見せるニコラスとバルドに対し、ケヴィンは事実ありのままを告げた。
「クンツが殺された。スライムに食われた」
事実を正確に報告するのは、情報を発信する上で大切なことだが、やはり時と場合による。アドルフはたちまち顔を真っ赤にしてケヴィンに詰め寄った。
血相を変えてわめき立てるアドルフに対し、ケヴィンはもう一度同じことを言った。
「お前の息子はスライムに食われた」
アドルフはケヴィンに馬乗りになって殴りかかった。
「お前はクンツを見捨てたのか! クンツを見殺しにして逃げてきたのか」
そのような意味のことをわめいていたと、騒ぎを聞きつけた者の証言(発言者不明)に残っている。
「スライムの腹の中にいる者をどうしろと言うんだ? まとめて焼けばいいのか?」
「ふざけるな! お前はクンツを焼こうというのか」
「別に死人が生き返るわけじゃない」
ケヴィンは別にアドルフに対して恨みや悪意があったわけでもない。息子を唐突に失った父親へ憐憫の情がなかったわけでもないだろう。そういうものの言い方しか出来ない人間だったのだ。
彼は生まれながらの狩人だった。猟師の子供として生まれ、子供の頃から魔物を狩って暮らしていた。その分、人との接触を極端に避けていたきらいがある。自身の心情を語る性格ではなかったため、ケヴィンがどういう気持ちで人を遠ざけていたのかは推測の域を出ない。
先代の村長が山を越えたロッシャー村の娘との見合いを進めなければ、生涯独身だっただろう。
ニコラスとバルトは二人かがりでアドルフを引きはがした。
「ケヴィンのせいじゃない。俺たちが駆けつけたときにはもう死んでいたんだ」
バルトが説明しても聞く耳を貸さず、哀れな父親は地面に突っ伏して泣き崩れた。
「かわいそうなクンツ。かわいそうに」
ケヴィンは殴られて赤くなった頬を撫でると淡々と言った。殴られたことも息子の死を悼む父親に対しても何の感情も抱いていないように見えた。
「時間がない。話はあとでゆっくりしてやる」
異変があれば銃を撃って知らせるようバルトに言い残すと、手にたいまつを持ち、息子を引き連れて祭りの本部になっている教会へと向かった。
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