第5話 二章 異変 その2


 取り決めでは、二時間ごとに教会へ定期的に連絡をよこすことになっていた。

 南側は時刻どおり連絡をよこしたのに、北側からは外の二時(筆者注 夜八時頃)を過ぎても連絡が来ない。

 どこかで酒を調達して酔い潰れているのだろうという声もあった。みな若いし、特にモリッツは樽ごと飲み干したこともある大酒飲みである。

 だが、例の熊の件もある。異変が起こったとみるべきだという意見が大勢を占めた。


「俺が行こう」

 名乗りを上げたのは猟師のケヴィンである。当時四十五歳。村一番の銃の名人として知られていた。

 先だって熊が襲撃してきた際に、追い払った猟師の一人である。右目の上の弾痕も彼が付けたものだ。既に酒も入っていたが、元々酒の臭いをさせながら狩りに出るような男である。たかがワインの一本など飲んだうちにも入らなかった。

 ケヴィンとほかにバルトと、そしてケヴィンの息子のニコラスが続いた。ニコラスは当時二十二歳。父と同じ猟師の道を選んでいた。バルトはケヴィンにも負けぬ酒飲みではあるが、いざという時のために控えていた。ニコラスは下戸だった。

 反対意見も出なかったので三人はただちに猟銃を担いで外に出た。万一の事態に備えて、傍らに猟銃を用意していた。

 村はまだ祭りの最中である。村人に無用の警戒感を与えぬよう、こっそりと塀つたいに北側へ向かった。大回りになったが、暗闇のこともあり、途中誰にも気づかれなかった。音を立てぬようにそっとかんぬきを外し、北門を開けた。

 北門の前には誰もいなかった。門の前にかがり火だけがぱちぱちと火の粉を巻き上げていた。

「どうした、何かあったのか」

 バルトが声をかけても返事がない。三人は猟銃を構え、夜の森を気配をかぎ取ろうと息を潜ませる。いざという時に村の中に逃げ込めるよう、門は少し開けたままである。

 夜の森は獣の本領である。うかつに立ち入れば、たちまち餌になる。野生の獣は火など怖がらないことを猟師たちは経験的に知っていた。

 やはり返事はなかった。ここでニコラスが北側の見張り四人が行方不明であることを告げに教会へ戻った。

 知らせを聞いた村長は目を泳がせて困った顔をした。

「やはり、熊が出たのかな」

「わかりません。もし、許しをいただければ俺たちで四人を捜しに行きたいと思うのですがどうでしょうか」

 ニコラスは毅然とした口調で言った。偏屈者の父親と違い、落ち着いた物腰の上に礼儀正しい好青年だった。村の娘の何人かは彼に思いを寄せていたようだ。ここにきても村長の決断は鈍かった。

「いいでしょう。あなた方にお任せします」

 認めたのはドミニク神父だった。

「念のため、動ける人たちには声をかけておいてください。最悪、熊とやりあうことも考えなくてはいけません」

 ニコラスの提案(実際は父親の意見だったそうだが)に村長は人形のようにうなずくだけだった。


 再び北門に戻ったニコラスを連れて、ケヴィンとバルトは行方不明の四人の捜索に向かった。

「返事をしろ! クンツ、モリッツ、ジムソン、ティム!」

 北門を出ると、バルトが名前を呼びながら手にしたランタンを掲げる。見つけやすいよう軽く左右に振っている。ケヴィンとニコラスは油断のない目つきで道の両側に目を配っている。いつでも撃てるように安全装置は外してある。

「親父」

 十五分ほど歩いた時、ニコラスが地面のほうに目線を送りながら声をかけた。ちょうど北門と森の出口の中間地点の辺りだった。

 バルトがランタンを近づける。血まみれの靴が転がっていた。

 靴はかかとのあたりが溶けかかっており、靴底には血痕に交じって皮膚らしきものも見えた。バルトは総毛立った。

 ケヴィンがつま先で靴を転がすと、靴の内側に書かれた名前が見えた。

 ティムのものだ。

「何があった、おい。返事をしてくれ」

 バルトが半ば懇願するように叫びだす。ケヴィンは奪い取るようにランタンを受け取ると、さらに地面を照らす。

 その傍らで護衛するようにニコラスが猟銃を構える。

 それから数分ほど山を登ったところにまた赤黒い血痕を見つけた。

 血だまりの上に頭皮の付いた髪の毛や猟銃、そして引き金にかかったままの右手人差し指が落ちていた。

 ニコラスが顔をしかめながら口元を手で押さえる。

「こりゃあ一体何があった?」

 バルトも苦々しい顔つきで血だまりをのぞき込む。熊に襲われたにしては奇妙なことが多すぎる。体の大半が見当たらないのはまだ理解できる。熊が殺害した人間をエサとみなして住処に引きずっていくことはある。事実、地面を這いずったような跡が道の真ん中から茂みの方まで続いている。だがそれでは靴が溶けた理由が説明できない。何より引きずったように痕跡とともに地面が濡れているのが気になった。

 指ですくってみたが、粘り気はするが血ではなさそうだ。

「わからん」とケヴィンが残った人差し指を拾い上げ、傷口を見つめながらつぶやく。

「熊ではないってことくらいしかわからん。爪や牙で落とされたにしてはきれいすぎる」

「誰の指だ?」

「多分、モリッツだな」

 人差し指と一緒に落ちていた猟銃を拾い上げる。銃床に書かれた名前はモリッツのものだ。

「一度戻った方が良さそうだな」

 ケヴィンはズボンから銃を吹くための布切れを取り出すと人差し指を包み、後ろポケットに戻した。バルドもニコラスも不快そうに顔をゆがめたが、ここで指摘している余裕はなかった。

 これ以上の捜索は危険すぎる。なんにせよ、この異変を村に報告しなくてはならない。

「そうだな」と、バルトは言いたいことをぐっと飲み込みながら来た道を戻ろうとした時、道の脇から物音がした。三人はほぼ同時に振り返った。

 藪をかき分けながら大きなものが迫って来る気配がした。

 ケヴィンは威嚇のため空に向かって発砲した。

「誰だ、名を名乗れ」

 呼び掛けながら次弾を装填する。既にニコラスもバルドも銃口を音のした方に向けている。

「名乗らないと撃つ」

 返事はなかった。藪の中、暗闇に巨大なものがうごめく気配がした。

 ケヴィンは引き金を引いた。

 過たず弾は命中したが、仕留めた手応えはなかった。獣ならば悲鳴を上げたり、血を流して向かってきたり逃走するものだ。即死ならば倒れる音がするはずだ。何より、暗闇の気配は少しずつこちらに向かってきている。着弾の音もおかしかった。まるで水たまりに石を放り投げたような音がした。

 バルトが引き金を引く。続いてニコラスが発砲した。どちらも当たったのは確実なのに、迫る気配は止まることはなかった。

 首を振りながらバルトが二歩後退する。顔はすでに水死体のように青ざめている。

 ランタンの明かりの下にそいつは現れた。

 バルトの視界に真っ先に飛び込んできたのはクンツの溺死体だった。腕を天に伸ばし、足は水平に浮いている。陸地とは思えぬような不自然な体勢で浮かんでいた。そこでようやくバルトは気づいた。どろどろのねばねばした不定形な、赤紫色の粘液の中にいるのだと。巨大な粘液が腹の中にクンツを抱えながら現れたのだ。そいつの正体を彼は半ば本能的に悟った。


 巨大な、スライムである。


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