第2話 一章 発端 その1
一章 発端
そもそもトレメル村とはどんな村だったのだろうか。ここでトレメル村のあったトレメル山の地形について簡単に説明しておく。
トレメル山は切り立った崖ばかりの岩山である。土質も悪く、麦や稲のような農作物を育てるのにもあまり適していない。お世辞にも住むのに適した土地ではなかった。ふもとには鬱蒼とした大森林が広がっているものの、ある程度の高さになると樹木は姿を消して背の低い草や木がまばらに生えるばかりである。岩山の中腹に平らな部分があり、その一帯にだけ森がある。トレメル村はその森を切り開いてできた村である。トレメル山の中で人が住める場所がここしかなかった、と言い換えてもいい。
村の東側にはリース川の上流が流れており、山の途中でライヒヴァイン川と合流してセドル海まで下っている。
村の南側はある程度まで進むと地面がぽっかりと消えてまた険しい崖が広がる。
山を横側から見ると、まるで椅子のような形になっている。その座面の部分に森があり、森の中にトレメル村がある。
主な産業は狩猟と林業である。特にトレメル村の近辺の森ではゾルフや、ラトリスといった樹木が生えている。当時は獣や魔物避けの建築材料として引っ張りだこだった。フンボルト州の州都ジンネマンにある旧サルクブレンナー男爵邸もトレメル村近辺の材木が使われている。
村の古老らが聞いていた言い伝えによると、村の原型ができたのは三百年ほど前。鹿や雉を狩るために猟師たちが宿泊所として小屋を建てたのが始まりだという。狩り場として徐々に広げ、やがて猟師だけでなく、家族も住むようになった。森には果実が取れる。川にも上流で魚が獲れる。森を焼き、肥料を撒いてできた畑にはわずかではあるが、小麦や豆や芋も収穫できるようになった。
公式記録に初めて名前が出てきたのは聖歴一五四八年、事件より二百六十六年前である。
当時、ライヒヴァイン山脈近辺を治めていたアルベルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク子爵が領地を検めた。その際、検知役人が村にも訪れたのだが、村人は自身の村の名前を知らなかった。ほかの村との交流ともまばらで、「村」あるいは「山の村」だけで不都合がなかった。
不都合なのは子爵たち支配者である。仕方ないのでトレメル山の中腹にある村を「トレメル村」と呼称したのが始まりだとされている。村に神父が派遣されて教会ができたのがその二年後である。
教団の『フンボルト州教団神父派遣記録』では当時の神父が、名もなき村に「トレメル」の名前を与えたとされている。派遣記録より前の納税書類にトレメル村の名前があるため、事実ではない。誤認というより教団の権威を示すための宣伝だろう。
その後も何度か支配者は変更になったものの、事件らしい事件も起こらず、東西戦争時も峻厳な山に守られて戦禍を被ることはなかった。このまま何もなければ、どこにでもある田舎の山奥として誰の記憶にも残らず、だが平和な村として今も残っていたかもしれない。
トレメル山を含むライヒヴァイン山脈一帯には、太陽信仰がある。
元々曇り空が多く、天候が不安定のためそのような信仰が生まれたとは容易に想像がつく。太陽をあがめるいくつかの風習のほかに、太陽神へのレリーフが描かれた建造物も多々存在する。
当然、教団とは異なる考え方ではあるが、異端扱いされることはなかった。当時の宣教師たちは「太陽を含め万物は主の作り給うたものであり、太陽を信仰することは主への信仰につながる」と迫害するのではなく、取り込もうとしたようだ。
ライヒヴァイン山脈に点在する村には、現在でも教会の中に救世主のお姿と太陽神のレリーフが同居しているところもある。
トレメル村も例外ではなかった。
だが、信じる者は救われないのが世の常である。
信仰は悲惨な形で裏切られることになる。
聖暦一八一四年の春、万緑月十二日のことである。一部の人間しか使えなかった『魔術』が機械技術の発展により『魔道具』として汎用化が進み、一般人にも広まり始めた。反面、軍属以外の平民が氏姓を許されておらず、悪しき旧弊が色濃く残っていた。古いものと新しいものが混ざり合った時代、トレメル村ではある祭りが行われようとしていた。一年に一度、太陽神への日頃の感謝をこめて、家々の明かりを消して一晩を過ごすのだ。あまねく光は太陽神が与えられた神聖なものであり、あえて光のない夜を過ごすことでその有難みをかみしめるのだという。
言うなれば光の断食である。
日が暮れた後、村の広場に組んだやぐらに火をともし、一晩中かがり火を焚く。それ以外の火は全て禁止となる。もちろん、かまどの火も使えない。
祭りでは果実酒やめったに現れないクロイノシシの肉がふるまわれることになっていた。ハレの日、ということで普段は食べさせてもらえない蜂蜜漬の果実も食べさせてもらえる、ということで子供たちの楽しみでもあった。
その祭りの開催がその年は危ぶまれていた。
理由は熊の出没である。花芽吹月の末ごろからしきりに巨大な熊が村の周囲に姿を見せ始めていた。村の周囲にあるリンゴや野イチゴ、リミノといった果実は食い荒らされ、村の外にあった蜂の巣箱は地面に散らばり、蜂の死骸は踏みつぶされていた。万緑月に入ると、熊はますます人家に近づき、七日(もしくは八日頃)には夜中大きな物音がして、馬や牛がいななきを上げた。近隣の者が駆け付けると、北門に巨大な爪痕がいくつも刻まれていた。
一昨日、つまり十日も森へと向かう道に巨大な熊が目撃されている。およそ二フート(約三・二メートル)はあろうかという黒々とした巨体で、右目の上に弾痕らしき傷が見えた。目撃した猟師を四つん這いのまま、坂道の上から悠然と見下ろしていたという。
その時は幸いにも襲われることなく森の中へと消えていったが、人間など意に介していないのは明らかだった。
そして今朝、北側の塀の縁から下にかけて削ったような痕がついていた。熊が飛び越えようとして失敗した痕跡だとはすぐに知れた。巨大な熊を制圧するのに猟師たちの武器は心もとなかった。彼らの猟銃は州軍から払い下げられたレイスドルフェ社製品の零年式である。銃身は半フート(約八〇センチ)口径五セロフート(約八ミリ)のボルトアクション式、弾倉は五発。射程は二ラルフート(約一六〇〇メートル)、当時としても旧式である。分厚い毛皮と筋肉にどこまで通用するか、疑問だった。
猟師たちはバルトを先頭に村長の家へ向かった。祭りの中止を訴えるためである。
バルトは当時四十三歳、背は低く丸々とした体つきで、黒いちぢれ髪に丸い口ひげ、ドングリ眼で、果実酒をかっくらう姿は山賊のようだったという。いつも青のシャツにズボンといういで立ちで、太めの体を動かすとシャツがはちきれんばかりに膨張していた。肝心の腕の方はいまいちだったようだが、温和で気配りのできる男で、猟師仲間からは一目置かれていた。自然と村の猟師のまとめ役を務めるようになっていた。
猟師の代表として今回の熊は見過ごせなかった。その時一緒に向かっていたのは五名程度だったが、村長の家に着くと、村長の息子からこんなに大勢は入れないと断られ、バルトのみが入ることを許された。
当時の山村と同様、村立の施設というものはなく、村長の家が役場を兼ねていた。
貴族の領地だった時代には、代々村長家の長男が後を継ぐのがならわしだった。州制度になり、五年に一度の村長選挙が導入されても形ばかりでしかなかった。ここ三十年は村長一族による無風選挙が続いていた。
その時、村には村長のベルトラムのほかにも知らせを受けて集まっていた者たちがいた。神父のドミニク、農家のアントン、木こりのウーツ、いずれも村の顔役か、村の重要人物である。小さな部屋にバルトを含めた五人がテーブルを囲んで対策を話し合った。
バルトは熊の被害を興奮した面持ちでまくしたてた。
あれは普通の熊じゃない。何度猟銃で撃っても分厚い肉と毛皮の前に、ほとんど通じなかった。昨夜の熊も同じ個体のようだ。あの熊は人間を恐れていない。暗闇に乗じて熊が村の中まで入ってくれば大惨事になる。村の周りには板塀で囲われているが、熊は木登りが得意な動物である。近くの木に登り、そこから飛び移られる可能性も無視できない。祭りは中止すべきだ。
近隣の猟師は総じて信心深い者が多かったが、トレメル村は例外だった。神の祭りより目の前にいる熊の脅威である。
報告を受けて村長のベルトラムは眉を寄せた。当時四十一歳。色は黒いものの細身でともすると目を泳がせた。気弱な性格だったという。
ベルトラムは村でも珍しい中学校の出だった。この頃はまだ中学校は六年制であり、十八歳まで寄宿舎で生活していた。植物の研究が好きだったという。小学校を卒業すれば働き始めることが当たり前の時代で、村でもまれなインテリだった。教師学校に進学して教員になるのが夢だったというが、村長だった父の命令でトレメル村に連れ戻された。
卒業後は次期村長として父の元で働いていたが、本人は乗り気でなかったようだ。木こりやら猟師を相手にするには胆力が欠けていた。そのまま進学していれば、まじめな教師になっていたかも知れない。十年前に父の他界により村長の任を継いだが、気弱な性格と、村長という任を大儀そうにしている様子に変わりはなかった。
村に戻って二年後に、ふもとの村の村長の次女と結婚させられ、息子に恵まれた。息子のスヴェンは、はきはきとした性格で、息子の方が村長に向いている、ともっぱらの噂だった。
「参ったなあ」
報告を受けたベルトラムは頭をかきながらため息をついた。いつもの口癖である。
「どうしましょう」
おどおどとした視線を隣に座っているドミニク神父に向ける。そうですね、と神父は頬に手を当て、首を傾げた。当時二十四歳。村には四年前に派遣されてきた。切りそろえた栗色の髪に切れ長の目に整った容姿は見目麗しく、若き神父は小さな教区の信者たちにも評判が良かった。若干二十歳で助祭から叙聖した時には教団の州本部が発行していた広報誌でも取り上げられた。その際には教団内の羨望と嫉妬を集めたという。美声の持ち主で、礼拝や洗礼の声は、男女を問わず虜にしていた。身だしなみに常に気を配っており、黒のカソックに身を包み、白い布手袋を嵌めていた。
「私としては、皆さんの安全を最優先にすべきだと思いますが」
まさか神父から神へ捧げる祭りを中止すべきという意見が出るとは思わなかったのだろう。村長はうろたえた顔つきをした。
「で、では中止すべきでしょうか」
「そりゃ困る」
反対したのは、農家のアントンである。御年五十一歳、バルトが猟師の代表ならこちらは農家のまとめ役である。農家と言っても畑ばかりではなく、果実や茸、養蜂といった森の恵みの管理も兼ねていた。
「もう祭りの用意も済んでいるんだ。今更中止なんてしたらガキどもが承知すまい」
子宝に恵まれ、七人の子持ちである。ごちそうをたらふく食べようと育ち盛りの子供が腹を空かせて今夜の祭りを待っているのだ。
「しかし、熊だぞ熊」木こりのウーツが忌々しそうに自身の左腕を撫でた。
匂いにつられて村の側まで寄ってくることは十分考えられる。彼の左腕には細い傷跡が無残に走っている。若い頃、森からの帰りに熊と出くわした時に引っかかれた痕だ。以来、彼は熊と聞けばすぐに斧を捨てて逃げ出すようになった。
「塀だって乗り越えるだろうさ。次はうまく乗り越えるかもしれない」
「まだそうと限ったわけではあるまい」
アントンはむきになった様子で反論した。
トレメル村の周りは大きな板塀に囲われている。トレメル山の森から切り出したラトリスの木から切り出したもので、隙間なくぴっちりと組まれており、厚みはおよそ二シンチ(約三・二センチ)、表面にはゾルフの木から絞り出した樹液を塗っており、それを火で炙って焦がしている。黒々とした囲いは城壁のような重々しさを感じさせたという。門にも同じ樹液が塗られている。ゾルフの木は野生の獣や魔物の嫌がる臭いを出すため、昔から魔物除けとして珍重されていた。
「門も塀も去年塗りなおしたばかりだ。削られたところは昼のうちにもう一度塗っておけばいい。今度こそ熊だって寄り付くまい」
「だったらそいつを熊に聞いてみてくれ」
バルトはうんざりした顔をした。熊の恐ろしさを甘く見て、食い殺された猟師は数多い。
「だいたいそんな危険な熊をのさばらせておいてどうする。さっさと退治してしまえばいいだろう」
「それができれば苦労はしねえよ」
バルトら猟師たちも何度か熊狩りを行っているが、全て空振りに終わっている。無論、このままにしておくつもりはないが、今日中に倒せる可能性は極めて低い。ふもとにあるクレムラートの村からも応援が来れば何とかなるかもしれない。だが、ふもとへと続く渓谷にかかる橋は落石により壊れ、いまだ修理中である。そのため馬車も通れず、切り出した材木は南門の外に積みあがっている。人の通れる道ならあるが、遠回りになる上、途中で狭いつり橋を通ることになる。目もくらむような断崖が足元に広がり、その光景にバルトは何度も股間の縮み上がる思いをさせられた。大人数を連れて通れる道ではなかった。
「だったらどうすれば」
堂々巡りしかけた議論を断ち切ったのはドミニク神父だった。
「神に捧げる祭りは中止すべきではありません。ですが、村の安全が大事なのもまた然り。何かしらの対策は必要でしょう」
そこでみな押し黙った。村長をはじめ村人たちは若き神父に頭が上がらなかった。村に赴任してきた当初は若造と侮っていたが、整った容姿に加え、神に仕える者特有の奇妙な迫力を感じていた。特に村長は「神父様を前にすると、まるで透明な壁で常に押されているような気がする」と評していた。おまけに叔父だか祖父だかはフンボルト州軍のお偉いさんだという。反対できる雰囲気ではなかった。
その後も協議は続いたが、祭りは予定通り開催することに決まった。
代わりに村の南北にある門の前にかがり火を焚き、見張りを置いて警戒に当たることにした。
今回の熊の出没以前よりトレメル村には禽獣がよく出没していた。村の付近はトレメル山に数少ない高地の森林である。草食動物のエサの宝庫であり、当然、それらを狙って肉食動物も現れた。オオカミやイノシシは頻繁に姿を見せたし、山猿や野鳥は貴重な果実を容赦なく奪い取っていった。
数は少ないものの魔獣の類も現れている。村の記録にも二十年前に
そのために一人では森に入らないように、というのが村の共通認識であった。狩りをするときも最低二人以上で行動するようにしている。
熊は危険だが大勢で撃ちかければ、追い払うことくらいはできるはずだ。
祭りの前にもう一度森に入って熊を討ち取ってしまう案も出たが、バルトをはじめ猟師たちはこぞって反対した。
あの熊は頭がいい。鉄砲の臭いを知っている。大勢で行けば逃げてしまうだろう。猟師が村を離れた隙に村を襲うかもしれない。そもそも簡単に退治できるようなら祭りの中止など提案するものか。
こうして消極的ではあるが、見張りを立てる策に決まった。
当然見張りには火は欠かせない。火は祭りに禁忌であるが、村の外ならば問題はあるまい、との判断である。ドミニク神父も許可を出した。
問題は誰が見張りに立つか、である。アントンやウーツは猟師組が立つべきだと主張したが、バルトは反対した。猟師の中にはバルトをはじめ、飾りつけや祭祀の手伝いなど祭りの重要な役目を担っている者もいる。一晩中見張りに立てるわけにもいかない。第一、祭りを楽しみにしているものも多い。猟師だからと厄介ごとを全て押し付けられるのは不公平というものだ。そこで子供や老人を除く、村の男の中からくじで選ぶことになった。
ベルトラムが細かくちぎった紙に名前を書いていく。それを木箱に詰め、神父が目を閉じてつまみ上げた。
選ばれた見張りは全部で八人、北と南の門の前に四人ずつ配置された。熊が出没する可能性の高い北側の見張りに選ばれたのは、猟師のクンツに木こりのモリッツ、農家の次男坊ジムソン、それから炭焼き小屋の息子のティムである。
この結果に村長を始め、村の顔役たちは安堵した。
クンツとモリッツは村でも有数の大男だった。当時二十二歳と二十四歳。色黒で腕っぷしもあり、体格もいいジムソンだって二十五歳(二十七歳という説もある)、畑仕事で鍛えた腕力はなかなかのものだ。この三人に任せておけば熊が出ても応援が来るまで持ちこたえることができるだろう。
問題があるとすればティムである。ティムは小柄で線も細く、生来気が弱く、何をするにも消極的であった。
夜には表に出ない。暗いのが怖いからだ。森には入らない。獣におそわれるかもしれない。鉄砲なんてもってのほかだ。暴発したら死んでしまう。
当時十八歳。村の北側にある炭焼き小屋で父親の手伝いをしていた。炭焼きといえば毎日薪を持ち運びする仕事のはずだが、多少色黒になったものの何年経ってもティムの腕には筋肉は付かず、枯木のように細いままだった。
誰か別のものと入れ替えようという意見も出たが、神の名の下に行われたくじの結果は厳正である。この四人が北側の見張りに付くこととなった。
南側には木こりのホラント(三十六歳)、同じく木こりのコスタス(四十歳)、小麦農家のマルコ(二十六歳)、鍛冶職人見習いのルーヘン(十七歳)が見張りに決まった。
くじの結果を受け、栄えある当選者たちはすぐ村長宅に集められた。
集められた面子は一様に迷惑そうな顔をした。何が悲しくて村の者たちが祭りを楽しむ中、村の外で見張りなどしなくてはならないのか。それでも反対する声は出なかった。狭い村のことだ。断れば、村中から嫌味を言われるだろう。どんな嫌がらせを受けるか知れたものではない。嫌も応もなかった。
唯一、迷惑そうな顔をしなかったのはティムである。
見張り役に選ばれたと聞いた途端、白粉でも塗ったかのような不自然な白い顔になり、今にも倒れそうなほど震え出した。
クンツとモリッツは公然とせせら笑った。夜中に小便にも行けないような奴に何ができる。お前はせいぜい熊のエサにならないように気を付けているんだな。彼は反論しなかった。ただ涙目でうつむきながらじっと青くなった唇をかみしめていたという。
その様子を物陰から観察していたものがいる。ティムより六歳年下で当時十二歳のエーリッヒ・カウフマン氏である。
「そのまま卒倒するんじゃないかってくらいふるえていたなあ。実際、見た目もねえ全然頼りなくってねえ。子供心にもどうしてティムにやらせるんだって思ったよ」
エーリッヒ氏のみならず、この人選はどうだろうというのが村の空気だったようだ。
それでも、くじは神父様が公平に決めたものだ。異議を唱えるなど、太陽神様のバチが当たる。それに、クンツは猟の腕もいいし、モリッツは手斧でイノシシを仕留めたこともある。二人とも村でも五本の指に入るほどの力自慢だ。ジムソンもやる時はやる男だ。ティム一人くらい足手まといがいたところで何とでもなる。要するに応援が駆け付けるまで、持ちこたえられればいいのだ。入り口には門に加えて簡素であるが、熊返しの柵も作ってある。
断るに断れず、家に戻ったティムは父親に相談した。
炭焼き小屋のトミーは息子のティムとは違い、筋骨隆々の大男である。押し出しも強く、村の者から一目置かれている。
父親から言ってくれれば見張りなど立たずに済む。
トミーの返事は拳骨だった。
「泣き言言ってねえで、とっとと行ってこい腰抜け」
トミーは息子の軟弱さを嫌っていた。日ごろから「どうしてお前は俺の息子なのにひ弱なんだ」と攻めたてた。
村での評判は悪くなかった。何といっても豪傑肌の男で、細かいことにも気にしない豪放な男だった。暴力もほとんどふるわないのに何故か、息子にはすぐに手を上げた。ティムの気弱な性格はトミー本人が作り上げたものに相違ないのに、本人はそれに気づかずさおも息子をなじった。ティムが九歳の時に妻を流行り病で亡くしてからは、より一層強くなったようだ。
なお渋る息子を張り倒し、文字通り家から蹴りだして、役目へと送り出した。
幼子のように泣きじゃくりながらティムが家を出ると、色違いのエプロンドレスを着た小さな女の子が二人、声をかけてきた。
農家のカールの娘ヴィオラと、木こりのルドルフの娘エリカである。
ヴィオラが六歳で、赤い髪に青い瞳をしており、波のついた髪の毛を手でいじるのが癖だった。エリカが七歳、背中まで届くアッシュブロンドの髪に緑色の瞳をしている。年も近いこともあり、姉妹のように仲が良かった。おそろいのエプロンドレスも互いの両親に頼んで作ってもらったものだった。ヴィオラがピンクで、エリカが水色である。女の子たちは十歳も年上の少年をむしろいたわるように見上げていた。
ティムは気弱な性格ではあるが、小さな子供には人気があった。手先が器用でよく女の子たちに花冠や草笛を作ってあげていた。子供たちからすれば「優しいお兄ちゃん」であり、彼の父親に言わせれば「子供にしか相手にされない軟弱な奴」だった。
ヴィオラとエリカは不安そうな目をしながら取りすがるように話しかけてきた。
「どうしたの? 泣いているの?」
「お祭りなんだから泣いてちゃつまらないわ」
「またおじさんにしかられたの?」
「今度泣かされたら私に言いなさい、あのもじゃひげ全部引っこ抜いてやるから」
七歳の女の子のこましゃくれた物言いにティムはふき出した。シャツで顔をぬぐうと、赤い目をしながら女の子たちの頭を撫でた。
「大丈夫だよ」ティムは精一杯の笑顔を作った。
「君たちは祭りの準備は終わったの」
「もうばっちりよ」
ヴィオラはウィンクをしながら親指を立てた。
「そうね、お祭りだもんね」
「楽しみだよね」
女の子たちは思わせぶりに視線を合わせると、くすくすとほくそ笑んだ。
夕方になり、くじ引きで選ばれた八人を南北の見張りに立てた。
ティムの顔は蒼白だった。まるで熊に食い殺される運命が決まっていたかのように見えたという。
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