42話 私って怒れる人だったみたい

「リリーは怒っていないのかい?」

 

 私の様子に兄様はやや拍子抜けした模様。


「トレーニ様のお家の事情があって私は相応しくないと思われたのかもしれませんし、以前から婚約者は決まっていたのかも知れません。でも私は大丈夫です」


 正直ホッとしている自分がいた。

 これでお兄様のお仕事の手伝いを続けられるし、アイリを心置きなく愛でることが出来るもの。

 特にアイリをまだまだ愛でる事が出来るのが嬉しい。

 アイリは公演の無いお休みの日に私に会いに来てくれる。

 それもこの王都の邸宅に居ればこそ。

 嫁いでしまったら滅多に会えなくなるかもしれないのだ。


「せめてトレーニの奴が秘密にしてくれてたなら僕も堪忍できたけどね。世間ではリリーは奴の婚約者になっている。昨日の奴の婚約でリリーは婚約破棄されたって噂されるんだよ?」


「でも、真実を私もお兄様も家中の者は皆知っています」


「リリー済まない。僕は決して同性には人気が在るわけじゃない。僕を快く思わない連中がきっとリリーを蔑んでくる。リリーの内面に問題があって婚約破棄されたってね」


「兄様……私は誰に何を言われても兄様とアイリが味方になってくれるなら大丈夫です。それよりも……」


「何か気になることが在るのかい?」


「決闘は止めて下さいね」


「む、どうして? トレーニはリリーを辱めたんだ。僕は到底奴を許せない」


 兄様に問われて私は言葉が詰まってしまった。

 どうして……かしら


「えっと………勿論、却って噂に真実味を与えてしまうからです。ここは祝福して余裕を見せた方がお互いの為でしょう」


「そういう見方もできるか……」


「それに正式に婚約を結んだ訳では無いのでこちらの言いがかりになってしまいます。リッシルト家と争って法廷に立っても到底勝てません」


「……そうだね。どうやら僕は冷静になりきれていない様だ。リリー有難う」


「兄様のお役に立てれて嬉しいです」


 兄様をなんとか宥める事に成功。

 私としては、噂を信じて縁談が減ってくれれば万々歳。

 心置きなくアイリを愛でれるというもの。


「兄様、いざとなったら私を養って下さい。と言っても兄様の縁談の邪魔はしませんし、秘書として雇って頂ければじゅうぶんです」


 軽い冗談(半分は本気)で兄様を和ます。


「いざとなったら僕が一生面倒みるよ」


 兄様も軽いノリで返してくれた。

 でも、その言葉を聞いた時、胸が熱くなった。

 あれ?何故?

 自身の気持ちに向き合おうとした時、ノックされ意識がそちらに移る。

 私が扉を開けると執事がいて、トレーニ様が面会を求めていると報告を受けた。


「通してくれ」


 兄様の言葉に執事は一礼して下がった。


「私は下がりましょうか?」


 私が今更会ってもお祝いを述べる以外は特にお話も無いし、アイリの為の特製アロマを作りたいので下がってもいいですよね。

 アイリ達の歌の脳内再生も楽しみたいし、アイリの激カワボイスも堪能したい。

 久々に私と再開し感極まったアイリの『お姉さまぁ!』がヤバすぎる。

 私の脳内再生回数堂々のNo1で毎日朝100回、昼100回、寝る前100回は最低でも再生している。

 

「いや、奴はリリーに会いに来たのだと思うよ」


 やはりダメ?

 下がりたいけど兄様の空気がピリつき出して私がいないと決闘沙汰になりかねない。

 トレーニ様の話を聞くしかないと観念する。


 そしてトレーニ様が入ってきた。

 空気が張り詰めている。

 息がしずらいので勘弁して欲しい。

 お茶淹れを口実に抜け出そうかしら。

 しかし気を効かせた執事が直ぐに紅茶を運んできたので、その目論見は挫かれてしまった。


 ソファーに座ったトレーニ様は思いつめた様な表情をしていた。

 兄様はトレーニ様の正面に座り、そんなトレーニ様を厳しい目つきで無言のまま見つめている。

 私は兄様が暴走しない様に兄様の隣に座っていた。

 到底紅茶を飲める雰囲気では無い。

 少し、トレーニ様がお可哀そうね。

 

 2人とも無言。

 私はどうしたらいいの?

 えーと、私から話した方がいいのかな。


「あの」


「リリー、それは違うよ」


 私が話しかけようとしたら兄様に遮られた。


 また暫しの沈黙。


 ええい、もう!


「兄様、話が進みません。トレーニ様はお話があってこられたのですよね?」


 私の脳内アイリとのおしゃべりタイムが短くなってしまうじゃないの。


「リリー!」


「兄様黙って」


 私は冷たい視線で兄様を牽制。

 兄様は黙る。

 心なしか兄様の顔が赤いけど無視。


「リリー、話は聞いているだろうか?」


 トレーニ様はそう切り出した。


「先程、兄様からお聞きしました。ご婚約おめでとうございます」


「ありがとう……その事なんだが、申し訳なかった」


「慶事なのですから謝らないで下さい。私達の事は口約束だけですからお気になさらずに。お家の事情についてはお話して下さらなくても結構です」


「しかし俺は浮かれて周囲に漏らしてしまい、結果として君の経歴に泥を塗ってしまった」


「婚約破棄された令嬢……ですか。事実では無いので私は気になりません」


「リリー、発言させてもらうよ。これだけはどうしても聞きたいことがある」


 黙って聞いていた兄様が口を挟んできた。

 私は黙って頷いた。


「リリーが気にしないのだから僕がとやかく言う筋合いでは無いけど……リッシルト家では無くトレーニ、君個人はリリーにどう責任とるつもりだい?君がリリーにプロポーズをしたのは事実だし、他家のご令嬢と婚約したのも事実だ。当家に対しても当然説明は有るんだろうね」


「兄様!」


「リリー、これは家の問題でもあるんだ。トレーニは父上にも説明する義務が有るし、けじめをつけるのが当たり前だ」


 流石に兄様の言い分は正論で私もフォロー出来ない。

 他家との縁談を進めるにしても発表する前に当家に話があって然るべきだったのにそれが全く無かったのだから。


「今日はその事で、お願いがあって来た」


「お聞きします」


 兄様が激怒しそうな嫌な予感がするわ。


「ユニスリー辺境伯にお話しなかったのには理由が有る。リッシルトの都合でこんな形になってしまったが、俺が愛しているのはリリー、君だけだ」


 この先は聞いてはいけないわ。

 予感が的中してしまう。


「トレーニ様。そのお言葉だけで満足です。それ以上は」


「いや聞いて欲しい。婚約者とは会った事もないし正妻として迎えるのも形だけだ。俺が本当に妻に迎えたいのは貴女なのだ。リリエナスタ譲、正妻ではないが側妻として迎えさせて欲しい」


 ああ、やっぱり。

 

「トレーニ君は!」


 私は立ち上がろうとした兄様の手を掴みギュット握り抑える。


「兄様お願い」


「リリー…………わかった」


 ふう、兄様が怒りに任せて斬りかかるなんて最悪の自体は避けられた。

 でも、コアトレーニン様の発言は私の心も冷めさせるにはじゅうぶんだった。


「コアトレーニン様、正妻になられる方は他国から来られるのです。さぞ不安に感じる事でしょう。それなのに、そのご令嬢と向き合いもせず結ばれる前から側妻を持ちたいだなんて」


「それは……しかし俺が愛しているのはリリー、君だけだ」


「……このお話は聞かなかった事にさせて下さいまし。妻に迎えられるお方を蔑ろにする殿方の元に、わたくしは参りたくありません」


「リリー、俺は……」


「コアトレーニン様。顔を知らないのはご令嬢も同じですわ。何もかもが初めてなのに、信じるべき夫に省みられないなんて」


 だんだん、怒れてきたわ。


「コアトレーニン様は愛してくれない伴侶と添い遂げられますか?わたくしがそのご令嬢の立場なら、側妻に迎える女性も、愛するべき夫もお恨みしますわ。お家が乱れる元になる様な事はお控え下さいまし」


「リリー……」


「一度は貴方様の申し出をお受けしましたが、そういう事でしたらお受け致しかねます。白紙に戻すのはわたくしの我儘。恨んで頂いても構いません。ですがそれもお互い様ですわ。お互い水に流すのが宜しいかと存じます」


「………」


「もうお会いする事もございませんが、わたくしは貴方様が幸せな家庭を築けますようお祈り致します」


「待ってくれリリー!」


 私はその言葉を無視してコアトレーニン様に礼をすると扉に向かって歩き出す。


「リリーの気持ちを察してくれ。父上には僕から話すからもうリリーや当家に関わってくれるな。それよりも君は婚約者殿にも心があると知った方がいい」


 扉に向かう私の背中越しに兄様の静かな言葉が聞こえた。

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