20話 そして私は酒場で歌を聞く
よくよく考えたら私は全ての人生で、酒場なる場所に行くのは初めて。
最初の人生では学生時代に合コンなどに誘われる事もなく、社会人になってからも歓迎会も無くて、入社直後から仕事に追われる毎日になってしまった。
2回目の人生は成人前に聖女として王宮暮らしをする様になった。
だからちょっとだけ未知の世界に行く期待感でワクワクしている。
今は、酒場に向かう馬車の中。
私とエマは兄様達、男性陣と向かい合って座っている。
てっきり歩いて行くと思っていたけど、これはやはり目撃されてスキャンダルになるのを防止するためなのかな?
「楽しそうだね」
兄様が話しかけてきた。
「ええ、酒場に行くのは初めてです」
兄様も私と一緒に馬車に乗るのは実に8年ぶりで喜んでいいるようだった。
癪に触るが、今回はこちらが頼んだこと。
遺憾ながら受けいれざるを得ない。
「エマ嬢、今日は妹に付き合わせてしまって済まない。今日は私にエスコートさせて頂けますか?」
兄様がエマに話しかけた。
この組み合わせなら、兄とエマ、私とトレーニ様になるだろう。
隣を見れは、エマはガチガチに緊張していた。
「あ、 いえ、そんなことは。 あ、 ハイ。 あの、お願いします!! あ、 でも私達男装だから!」
「ええ。ですが男装なさっていても麗しさは全く損なわれていませんよ。美しいレディーであることに変わりはありません」
兄様の言葉にエマは顔を真っ赤にして、魂が抜けたようになってしまった。
兄様はきっとこれを素で誰にでもやっているのだろう。
天然にも程がある。
ちょっとイラっとした私は兄様を冷たい目で見た。
兄様の隣のトレーニ様は目を瞑り、じっと黙ったまま。
無理なお願いをして機嫌を損ねてしまったのかしら?
公爵家嫡男のお立場もある。
お詫びした方がいいよね。
そんな私の表情を読みとったと思われる兄様がトレーニ様話しかけた。
「トレーニ。君も
言葉は丁寧だけど、これは暗にトレーニ様を非難している。
兄様がエマにエスコートの話をしたのに、トレーニ様が私にエスコートの申し入れをしないのはいかなる事か? という意味だと思う。
兄様の気持ちは嬉しいけど、我儘を言ったのはこちら側。
却って申し訳ない気持ちになってしまう。
兄様の言葉にトレーニ様はハッとなった。
「いや、済まん。大変失礼した。許してほしい。今日は私も大変楽しみにしていたんだ。 ただ、リリー。君の男装姿が、その、あまりにも」
「お二人のお立場を悪くしないようにと思ったのですが、見苦しい格好で申し訳ございません」
「いや、そうではないんだ。君の姿があまりに美しくて、その、目を合わせられなくてな。目をつぶっていたんだ。今日は是非、私に貴女をエスココートさせて欲しい」
「ありがとうございます。トレーニ様。宜しくお願いします」
私の言葉にトレーニ様は頷き、恥ずかしかったのか顔を少し赤くしていた。
兄様は肩を竦め、やれやれという表情をわざとらしく作った。
どうやら兄様はこうなることをわかっていたみたい。
まだもう暫く、酒場にはつかない様。
無言の車内の空気は緊張に包まれている。
緊張の発生源はエマとトレーニ様の二人。
トレーニ様は女性慣れしていない?
正直驚きだ。
私は二人の緊張を解く為、力を使うことにした。
「あの、皆さん。少しだけ換気をしたいのですが構いませんか?」
私は皆の了承を貰うと馬車の窓を開ける。
寒い季節ではない。
私の力で呼び込んだ風は優しく心地よい涼しさ。
そして、リラックス効果を含んだいい香りが付いている。
「あ、いい風」
ぽつりとエマが呟く。
「本当だね」
「ああ、なんだか癒やされるな」
兄様とトレーニ様も頷く。
「うふふ。良かった」
2人の緊張が少し和らいだのを確認した私は、皆に向けて笑顔を見せた。
トレーニ様はまた顔を真っ赤にしてしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
酒場は私の想像以上に綺麗だった。
わざと薄暗くしてある店内には、多くのお客さんがおり、それぞれが会話しているので静かではないけど騒々しくはない。
ムードのある音楽が流れ、耳に心地よかった。
店に入る前に外套を預けたので折角の男装も意味は無くなってしまった。
流石に私もエマもこの日のために髪を切ることはしなかったので長い髪を隠すことが出来なくなってしまったのだった。
席までエスコートされた私とエマは席に着くと、エマと兄様、私とトレーニ様が向かい合う様に男性陣も席に着く。
ウェイターさんが直ぐにやって来ると思ったら店長さんだった。
どうやらここは特別席みたい。
他の席からは目立たないよう2階だったし、2階の席はどなたも高貴そうな方々だった。
なるほど、兄様とトレーニ様の立場ならそうなるだろう。
トレーニ様は一言店長さんに告げた。
「ではお願いする」
「畏まりました。ごゆっくりお楽しみ下さいませ」
店長さんはと恭しく一礼して去った。
「二人ともお酒と言うわけにはいかないでしょう。ですがジュースを取り寄せましたのでそちらをご堪能下さい」
兄様の言葉に
「何かなら何までお心遣い感謝いたします」
と、返事出来るくらいにまでエマの緊張はとけていた。
ひょっとすると、兄とエマはいい組み合わせかも知れない。
「ジュースといってもぶどうのジュースだから雰囲気だけはワインと同じだ」
「それは楽しみです。トレーニ様。お兄様。今日は私達の為に骨を折って下さってありがとうございます」
「いや、これくらいはお安いご用だ。それに今日は先日の非礼のお詫びだから気にしないでくれ」
「お願いがあったら、いつでも言ってください。可愛い妹とそのご友人の頼みなら、トレーニに叶えさせますよ」
「おい、なんだそれは。 まあ(リリーなら)願いを言ってくれれば出来る限り善処しよう」
(リリーの願いと言えないところがトレーニ初心なところだろう)
兄がトレーニ様を誂っている。
ちょっと意外だった。
まあ、エマのいる手前の対応なんだろうけど、兄様も成長しているんだなとすこし寂しさを覚えた。
<あれ? なに寂しさって? 私が兄様に? 嬉しさの間違いでしょ>
ここの雰囲気に流されてしまっているのかしら?
きっとそうに違いない。
「ありがとうございます」
にっこり笑って返事をすると、トレーニ様はまた少し顔を赤くしてワインを一気に飲み干すのだった。
暫し、食事と歓談を楽しんでいた私達だったけど、やがてステージに歌姫が現れた。
きらびやかなドレス。
しかしアイドルというより大物歌手のような感じだった。
これは、私の望むものは期待はできそうに無いかな。
酒場全体が静かになった。
スポットライトが歌姫当たる。
魔道具だろうか、こういう演出はいいかも知れない。
また歌姫はなにかマイクのようなものを持っている。
恐らくそのままマイクだろう。
拡声効果がある魔道具と思われた。
<スポットライトとマイクはあった方がいいわね>
歌姫が歌い出す。
案の定しっとりとした恋の歌だった。
キレイな歌声。
確かな歌唱力は、歌詞に意味と力を与え、感情を揺さぶってくる。
これだ!これなのだ!
歌の方向性こそ異なるが、観客の心を揺さぶり、感動させる。
アイリにはその力がある。
アップテンポの歌を歌えば、きっと皆のテンションを上げて活気を与えてくれるに違いない。
この世界で初めてのことをすればきっとアイリは『世界のアイリ』になるだろう。
お姉ちゃん。ウットリ。
その点は再確認できた。
次第に余計なことを考えられなくなリ、歌の世界に引き込まれてしまった。
私もエマも気づけば泣いていて、兄様とトレーニ様にハンカチを差し出されてしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「今日は本当に有難うございました。ハンカチは洗ってお返し致します」
寮の前まで送ってもらった私達は門限が迫っていたけど、お礼はきっちりしないとならない。
「門限が近いから、さぁ、行って」
兄様が行くように促す。
私達はお辞儀をして寮に急ぐのだった。
そんな私達が寮に入るまで
月と兄様、トレーニ様が見守ってくれたのだった。
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