Farce

威剣朔也

第1話



 何時のことだったか忘れてしまったけれど、見知らぬ女の子に「貴方が欲しい」と言われた。真紅の頭巾を被り、俯く彼女の顔は黒いシミに覆われていて表情を知ることはできない。そんな人を初めて見た僕は幼い子供心に、何を言い出すのだろうかこの不気味な女の子は、と思った。そして「誰のものでも、ましてや物でもないからあげることなんてできないよ」と冷静に答えた。すると彼女は「貴方が何を言おうと、私は貴方が欲しいのよ!」と、酷く怒ってしまった。どうやらその女の子は世間一般的に『魔女』と呼ばれ、疎まれている子だったらしく、彼女は僕に死ぬまで付き纏う呪いと、ヒトならざる力を僕に与えて文字通り僕に『成り代わった』。


 何処か見知らぬ場所に捨てられるわけでもなく、自分の体に居なくてはいけない僕にとって『魔女』にかけられたその呪いは『魔女』にとっての戒めで。成り代わるという行為は『魔女』が生きる為の術でしかなくて。それに気付いたのは『彼女』が僕の自我に消されてから、しばらく経った後だった。


 基より形などない『魔女』は誰に対しても偽りを言い、自分一人だけが利益を得るためなら何よりも冷酷になり、自分が持ちえないものを他人が持っていたら嫉妬する。『魔女』はそんな単純な人だったけれどそこには必ず一つの願望が付いてきていた。


 それは、「人間の心理」について知ることである。




◆・・・




 月明かりが微かに入る部屋の中、熱がじわじわと私の身体を侵食してゆく。風邪にもよく似た、だけど決して風邪などではない何か別の症状になって、もう何日目だろう。皆すぐに治るよ、と言っていたのに一向に治る兆しが見えてこない。私だって村の友達、皆みたいにお日さまの下で遊びたい。皆ともっと仲良くなりたい。でも、それは叶わない。どうして私はこんな特異な病気になってしまったんだろう。一人悲観しながら小さく咳をすれば、不意に部屋の扉が音を立てずに開かれた。


 そこから現れたのは私より少しばかり小さな男の子。もしかしたらこの村に住んでいる子なのかもしれないけれど、私はこんな子を知らない。でも、何だか仲良くなれそうな雰囲気を持った子だなあと感じた。


「きっとみんなが嘘ばかり言う世界があったなら、それは不幸でしかないんだと、僕は思うよ」


 この男の子は一体何を言い出すのだろう。部屋の扉を閉める音や足音さえも立てず、私が寝ているベッドの隣にやってきた彼は私の方をじろりと見おろした。その眼は僅かな月明かりの中でも分かるぐらいの綺麗な水色で、私は羨ましいと思ってしまう。だって空の色と同じ水色とずっと一緒にいられるなんてとても嬉しいことじゃない?


「どうしてアナタはそう思うの」


 彼が初めに問いかけてきた質問にそう返せば、その男の子は「そんなことも分らないの?」と怪訝そうな顔をして私を見つめる。けれど、私には彼の言った言葉の意味が理解できなかったんだから、そんな目をしなくたっていいじゃない。だって私はこの世界には、吐いて良い嘘と、吐いてはいけない嘘があることぐらいしか知らないんだもの。


「嘘を吐きすぎるのも時には人の気持ちを麻痺させるからね……。君たちを見ていると僕はそんなふうにしか思えないんだ」


 諦めを含んだことを言ってからその子は目を細め、「返事はいらないよ」と言うように私の頭をクシャリと撫でた。彼のその手はひどく冷たくて一瞬『怖い』と思ってしまったけれど、その冷たさが私の身体に溜まっていた熱を確実に奪ってくれて、少しだけホッとしてしまう。


 ああ、久しぶりに感じる自分自身の正しい体温。憑き物が落ちたみたいに軽くなった私の身体。それに安堵した私は瞼を静かに降ろした。


「明日には今までのことが嘘みたいに元気になっているよ」


 その言葉にハッと瞼を開ければ、そこにはニコリとも笑わず、すぐに私の側から離れて部屋から出て行こうとする彼の姿があった。月明かりぐらいしか入って来ることのない静かな部屋に一人で取り残されることが寂しく感じられ、思わず私は「待って」と彼を引きとめてしまう。


 もしかしたら、私の言葉を聞かず出て行ってしまうかもしれない。そんな不安を私は感じていたけれど、彼はすぐにピタリと止まってくれた。しかし決してこちらを向いてはくれない。


 どうして私の方を見てくれないの。


 そう言いたかったけれど、私の口から出たのは「アナタの名前は何?」という言葉だった。きっと、名前を知っていれば村の中で彼のことを探せるだろうと思ったからなんだろう。けれど彼は名前を教えてはくれず、唯「僕は『魔女』だよ」と言って私の居る部屋から音を立てずに出て行ってしまった。



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