第39話 会談×同盟×約束

 翌日、邦春の指示通り朝一番でオルガの下に陽と那月は訪れていた。予め邦春から連絡が届いていたことから待ち時間なくスムーズにオルガの執務室に案内された。それから秘書が客人用のお茶を出し、間もなくオルガが訪れると言い残して執務室を後にした。陽と那月は出された茶菓子に舌鼓を打ちながらオルガが到着するのを待つ。


「邦春様もそうだが、特区の長というのはどこでも忙しいみたいだな」


 陽は事前に会談の約束を設けておきながらも時間通りに事が運ばないことからオルガにも心配の気持ちを寄せてしまう。特区の最高責任者としての立場から忙しくなるのは理解できるが、その下に就く部下たちからすれば休暇を取って息抜きをしてほしいというのが本音である。


「あの人たちが体を壊して倒れる姿は想像できないわね……」


 邦春たちの体を心配する一方で、那月の発言にも陽は頷く。彼から言わせればヴラドよりも邦春たちの方が超人的である。


「失礼しますね。私たちも人ですから体調も崩します」


 陽と那月の会話が執務室の外まで漏れていたらしく、到着したオルガが室内に入るなり苦言を呈した。


「これは失礼しました。これまでに体調を崩した姿や話を聞いたことがなかったものですから」


 陽は肩を竦めながら当たり障りのない返事をした。会話を長引かせると余計な一言を口にして相手を不快にさせてしまう恐れがあるからだ。ましてオルガが相手だと特区を挙げての問題になりかねない。


「何事も体が資本です。それに特区を治める者が体調を崩していては部下や市民に示しがつきませんから」


 オルガは行政長としの心得を説きながら執務室の奥に進んでて自分の机の上に着席した。足を組み、机の上に設置された珈琲メーカーからドリップされた珈琲をコップに注ぐ。余計な物を一切いれずにブラックのまま口に流し込んだ。独特の苦さに表情を歪ませながらも、何度も口に運んで喉を鳴らす。


「――ふぅー、やっぱり朝はブラックですね。眠気が一気に吹っ飛びます」


 空になったコップを机の上に置き、腕を上げて背を伸ばし始めた。ポキポキ、と背骨の軽快な音が執務室に響く。それから首から頭を回転させてストレッチをした後、机に置いてあった封筒を持って陽たちの向かい側にあるソファーに移動した。


「待たせてしまい申し訳ありません」


「いえ、行政長が多忙なのは理解していますので」


「ふふふ、ありがとうございます。その気遣いの心を大切にしてください。――さて、それでは本題に入りましょう」


 オルガが本題を切り出すと、手に持つ封筒の中身を机の上に広げた。そこには吸血鬼事件のことが詳細に記されている。


「クラリッサに提出させた吸血鬼事件の報告書です。此度はイゼッタ殿にも協力提供者として力を貸してもらった形になります」


 オルガの説明を聞きながら陽たちは手分けして報告書に目を通す。中身は二人も記憶している部分と一致することが多い。それでもイゼッタが情報提供者として協力しているだけに細かいところまで行き届いている。


 陽と那月はそれぞれ手にしていた報告書を交換して再び目を通し始めた。


「しかし、報告書を用意されているとは思いませんでした」


「今後のことを考えるなら準備するのが適切だと判断しました」


「……つまり、宗教特区は異能特区と正式に協力関係を結ぶと?」


「こちらはそうありたいと考えています。報告にもあったARSMAGNAが何を示しているのかはわかりませんが、伝説の怪物を作り出せる人工生命体の開発技術を野放しにしておくことはできません。ましてその計画に身内が加算していたなどと恥ずかしい」


 特区としての優先度は前者だが、オルガ個人の本音は後者だろう。自分の右腕として信頼していた人物が裏切り行為に及び、それを身近にいながら気付けなかった自分を恥じている。そしてそれを晴らせるのもまた自分だけ。しかし、行政長という立場が単独行動を邪魔する。そこで特区で同盟を組むことにしたのだ。


「どうか私たちに身内の恥を晴らす機会をいただきたい」


 オルガは頭を下げた。行政長という立場から容易く頭を下げていいものではない。まして相手が同じ地位に立つ者ではなく、その部下に当たるのだから尚更である。それでも惜しみなく頭を下げれるのは覚悟があるからだ。


「頭を上げてください、オルガ様。宗教特区と同盟を組むのはこちらとしても有り難い話です。こちらこそ是非ともお願いしたい。もちろん私たちの独断で決定できることではありませんので、後日改めて異能特区の行政長に連絡してもらうことになります」


 秘密裏に結ぶ同盟と違って公式な同盟となれば行政長同士の会談を設ける必要がある。陽と那月も異能特区ではそれなりの立場にはあるが、こればかりは独断で決定していい問題ではない。まして執行部に所属する人間は尚更のこと。敵味方関係なく悪と認定された者を処罰するのが執行者の使命だからだ。


「わかりました。それでは今後の方針は正式に同盟を組んだ後に決めていったほうがよさそうですね。それにクラリッサから聞きましたよ。この夏に海水浴の約束をしているみたいですね」


「そういえば、そんな約束をしていたわね」


「……すみません。正直、俺も忘れていました」


 吸血鬼事件の解決に集中していて調と約束していた海水浴の一件を陽も忘れていた。場所も日付も決めていないことから明日、学校に登校すれば調から必然的に話題を振られていただろう。そのときに忘れていたと知られたら機嫌を損ねて面倒事になっていたかもしれない。


「是非、私も参加したいものです!」


 オルガは両手を合わせて頬の傍に寄せながら満面の笑みを浮かべながら言った。当然、彼女の言葉が通るはずもない。宗教特区の行政長が異能特区の執行者と海水浴を楽しんでいる風景などカオスでしかない。


 だからオルガの発言を陽も那月も冗談だと踏んでいた。いざ海水浴が開かれるその時までは。

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