第37話 主導者×虐殺×血文字

 陽たちがヴラドの討伐に成功した同時刻――。


 科学特区の研究所では騒動が起きていた。七年間の歳月を費やして完成させた人工生命体であるヴラドが敗北したためだ。数多の犯罪に手を染めながらも結局は異能者に歯が立たない結果に行政区の上層部が紛糾する。対して科学者は研究を早急に進めるように圧力をかけられた結果が敗北の事態を招いたと訴えた。人工生命体が完成した頃は諸手を挙げて喜びあった両陣営を知る者かすれば責任を押し付け合う姿は滑稽で醜悪にしか映らない。その有様を見て盛大に笑う男がいた。


 スーツを着用した細身の男だ。室内にいながらもサングラスを着用していることから容貌が窺えないが、研究所に集まっているメンバーは当然、その人物を良く知っている。


 男の名前はノバルティス。人工生命体開発計画を発案して実行に移した張本人である。つまりヴラドが敗北したことで一番の非難を受ける人物だ。特区を挙げての計画なのだからノバルティスだけを非難する謂れはない。それでも責任を押し付け合う人間の性。それを証明した現状にノバルティスは笑い声を我慢できなかったのだ。


 怒り心頭の連中にとって奇行な態度は恰好な的になる。上層部、科学者と共に非難の声が波濤の如くノバルティスに寄せられた。多くの罵詈雑言を気にする様子はない。笑い声こそ控えはしたが、余裕な態度を崩さない。


「何を慌てているのです。人工生命体の開発という根本の研究は成功したのですからいいではありませんか」


「そうは言うがね、ノバルティス君⁉」


「ああも容易くヴラドを倒されたのは想定外ではありますが、彼らは異能者の中でも異名持ちなのでしょう?」


「う、うむ……。確かに漆原陽と天瀬那月は共に風花と雷閃の異名持つ手練れではあるな」


「つまり異能特区にとっては最高戦力に位置づけされる実力者。その他の異能者が皆等しく彼らのように強いわけではありません」


 ノバルティスの発言はまさしく鶴の一声となった。あれだけ荒れていた研究所の空気が一変して穏やかなものになる。それどころかノバルティスの言葉に賛同する意見が次々と出る始末。空気すら敵だった状況を言葉だけで味方にする話術は相当な人物なのだとわかる。


「それにヴラドの敗北は無駄になりませんよ。あの戦闘記録は研究の糧となってより良い人工生命体を作ることができる」


 誰もがノバルティスの言葉に耳を傾けている。一瞬にして研究所を支配下に置いてしまう彼の話術は一種の麻薬だ。それ故に続けて発せられた言葉の意味をすぐに理解できなかった。


「相も変わらずどんくさい方々だ。ここで死んでください、と貴方がたに言ったのです」


 ノバルティスの発言に研究所は再び喧騒を取り戻した。どれだけ言葉巧みに場の支配を作ろうとも他者を従わせるような睡眠作用はなかったようだ。


 先程までノバルティスに賛同していた者たちが手の平を返して激怒の声をあげだす。一転、二転、とコロコロ意見の変わる節操のなさにノバルティスは呆れた表情を浮かべた。


「ヴラドが倒されたことで彼らが次に目指すのはこの研究所です。そしてヴラドに武蔵弐式を失った我々に彼らとやり合うだけの力はない」


「それと我らの死に何の意味がある⁉」


 反論に転じた一人の政治家を賛同する声が無数にあがった。


「察しの悪い方々だ。ヴラドと武蔵弐式を失ったことで打つ手をなくした君たちは逃げられないと判断して自ら命を絶ち、そうして巷を騒がせた吸血鬼事件は終結する。素晴らしいシナリオだろ?」


 ノバルティスは悪びれる様子もなく全ての罪を身内に擦り付けるシナリオを語った。事件に携わった者は到底、納得できるはずもない。聞くに堪えない罵詈雑言が再びノバルティスに寄せられる。その勢いは当初の時よりも激しくて汚い。思わず耳を塞ぎたくなるほどである。その渦中でもノバルティスが余裕な態度を崩すことはない。それどころか細く笑みを浮かべてこの状況を楽しんでいる節があるほどだ。


 止まない罵詈雑言の嵐。その最中でノバルティスの表情から一切の感情が消えると、勢いよく立ち上がった。勢い余って椅子が背から床に倒れる。ガタン、と地面を強く打った音が室内に響く。そこに行動も相まって喧騒が消え、静寂が支配した。それからノバルティスは反論に転じていた政治家に体ごと向けると、懐に手を入れて物体を手に取った。


 静寂を一発の銃声が貫いた。ノバルティスが懐から取り出したのは拳銃だ。銃弾が放たれた銃口からは硝煙が昇り、銃弾が穿たれた政治家の胸からは鮮血が飛沫をあげて倒れ込む。


 銃声の後も何が起きたのか理解が追いつかず研究所は静寂に包まれていた。それも僅か数秒間だけで、静寂は数多の悲鳴によって塗り替えられた。


 我先にと出口に向けて逃げ出す面々。恐怖のあまり逃走する者の背はがら空きである。その背に向けてノバルティスは次々と銃撃した。銃弾にして十発程度。その全てが的中して絶命していく。しかし、逃走の足が止まらない。


 ノバルティスは空になった弾倉を再装填しながら呟く。


「無駄なことを……」


 ノバルティスの呟きの意味を最初に実感したのは出口の扉を開いた人物だった。扉を開けた先に武装メイドが列を成していたのだ。武装メイドたちは一礼をした後、問答無用に武装した銃器や刀剣で逃走する者たちを次々と葬り始めた。


「一人として逃がすな」


 ノバルティスの命令で殲滅行動が開始された。


                ◇


 梅巽の案内で研究所に侵入した陽たちはノバルティスによって行われた惨劇の惨状を目の当たりにしていた。百人はくだらない死体の山が重なっている。死体からは無数の銃弾の痕があることから銃撃による殺害だとわかる。その際に陽たちが浮かんだ犯人像は武装メイドの姿だ。


「武装メイドが反逆したということですか?」


「それはありえない」


 クラリッサの疑問に間髪を容れずに否定したのは梅巽だ。


「人工脳を搭載している武蔵弐式やヴラドであれば反逆心を芽生えさせる可能性はあるが、武装メイドたちには自己判断できる知能を持ち合わせていない」


「つまり誰かの命令で動いたということか?」


「命令したのはノバルティス博士だろ。人工生命体開発の総指揮権を担っている人物だ。彼なら武装メイドを自由自在に動かせるアクセス権を独自に持っていてもおかしくない」


 梅巽は身内の情報を次々と喋っていく。それは自分が開発した武装メイドを勝手に使用されたことへの当てつけだ。自分の成果を勝手に使用されるのは科学者が一番嫌う行為である。


 陽はクラリッサたちの会話に耳を傾けながら研究所全域に通していた視線を一点で止めた。そこには血で壁に文字が綴られている。


 “ARS MAGNAアルスマグナ”。


「どういう意味でしょうか?」


「わからない。山渕博士は何か知らないか?」


「私も聞いたことがない。そんな暗号も計画もなかったはずだ」


 梅巽も把握していない謎の文字に皆が頭を悩ます。その最中にどうしてもブルーノが殺された理由が頭にチラつかせる。


「やはりブルーノさんが殺された理由に通ずるものがあるのでしょうか?」


「その可能性は捨てきれないが、今の俺たちにはそれを知る術がない。……残されているとは思えないが、一通り調べてみよう」


 陽の指示に従って一行は研究所を隅々まで調べ始めた。しかし、放棄された研究所にデータが残されているはずもなく、調査も空振りで終わる。


 結果からしてヴラドの討伐は果たされて吸血鬼事件そのものは解決に至った。しかし、主導者であるノバルティスの身柄と協力者であるニールセンを捕まえられずじまい。陽たちにとっては中途半端な形で異能特区の潜入は終わりを迎えた。

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