第36話 走馬灯×記憶×真の目的

 人は死に際に走馬灯を見るとされている。それは他の生命体も例外ではない。この世に生きた者は等しく人生の記憶を遡る。


 しかし、ヴラドは瀕死状態でありながらも走馬灯を見ていなかった。朦朧とした意識と掠れた視界。それらを上回る強烈な痛みと心臓を貫いた銀弾が肉体を侵食していき自由の強奪が襲う状態にあってもヴラドが走馬灯を見ないのは過去を遡れるだけの記憶がないからだ。


 当然である。ヴラドが生まれたのはほんの数か月前。人間で例えるならば赤子と同じである。本来ならば言語を口にすることも出来ない未成熟。走馬灯を見れるだけの記憶を保持しているわけがない。


「死ぬというのは存外、寂しいものだな……」


 遡る記憶もないヴラドにとって実感できるのは刻々と消えていく命の灯火だけだった。


「死とはそういものさ。多くの人に看取られて現世を去る人の方が少ない。俺たちのような存在だとなおさらな」


 瀕死のヴラドの傍に立った陽は彼の言葉に共感した。多くの死を経験してきた陽の言葉は重たい。拉致された幼少期から異能特区の行政執行部に所属してからも敵味方関係なく多くの死を見てきたが、誰かに看取られて逝ったものはごく少数だ。大多数が一人寂しく死んでいく。それこそ死んだことすら誰の記憶にも残らない。


「はは……、なら俺は運がいい。生まれたばかりの赤子同然の俺の死を看取る者が四人もいるのだから……」


「……最後に訊いておきたい。吸血鬼事件の被害者に止めを差したのはお前か?」


「――? その通りだが、どうして今さら訊く?」


 質問の意図を理解できなかったヴラドは残りの力を振り絞りながら問い返す。


「……念のために確認しただけさ」


 陽は推理の答え合わせをする為だけに訊いた。イゼッタと邂逅する前までは吸血鬼と模倣犯がいる複数人の犯行だと推理していた。それからイゼッタが息子の形をした人工生命体のサンプルを使用して様々な血を採集していることを知り、採血した被害者の止めを差す相手が別にいることを教えられた。その時点で模倣犯の線は消えた。被害者が皆等しく吸血されたことで死因だからだ。


 それらはヴラドと対面したことで解決した。よもや本物の吸血鬼が作られていたとは陽も思っていなかった。


「……いや、最後の一人……だけは……俺が到着した頃には既に死んでいたな…………」


「……なに? おい、そのことを詳しく――」


 胸倉を掴んでせがむも、既に息を引き取ったヴラドが力なく崩れた。ただでさえ白い肌は血の気を失って蒼白に染まっていく。これ以上は無駄な足掻きだと諦めた陽は静かにヴラドの体を下ろした。


 安らかな表情で息を引き取ったヴラドに視線を落としながらクラリッサが最初に言及した。


「最後の一人。つまりブルーノさんはヴラドに殺されていない……。それでは犯人はニールセン?」


「どうかしら? 宗教特区の行政事務次官が総術特区に出向いて自ら手を下すような危険を冒すとは思えない。そもそもヴラドよりも先にニールセンが始末に当たる理由がない」


 協力関係にある科学特区とニールセンでブルーノの始末を競う必要がないというのが那月の見解だ。ただ少しのトラブルで暴走してしまう程の小心者のニールセンの事を考慮すると断言できないのも事実である。


「そもそもブルーノは何故、殺された?」


「それはニールセンが裏切ったからでは?」


「それならニールセンはどうして裏切った? 七年の歳月をかけた大計画だ。二人がどの程度、関与したのかはわからないが、危ない道に手を出している同志として関係はそれなりに築いていたはずだ」


 空間に沈黙が生まれた。その答えを誰一人として持ち合わせていなかったからだ。イゼッタから伝えられたニールセンの裏切り情報の真意を深く考えなかった付けがここにきて押し寄せてきた。


「これは仮定の話だ。もし吸血鬼事件に繋がる人工生命体の開発計画には別の目的があって、それをブルーノが知ってしまったとしたら?」


「その口封じとして殺された。それも成功体であるヴラドや協力者であるニールセンも教えられていない目的。もしその仮定が正しければ解明すべき本命はそちらになるわね。オルガにはそれを手土産としましょう」


 那月はヴラドの生け捕りを条件として提示されていた一件を真の目的に連なる情報を提供することで免除してもらう算段をたてた。


「ですが、どうやって探るのですか? ヴラドも死んで研究所に案内できる者がいなくなりましたが……」


「ああ、それなら当てがある。出てきてくれ」


 陽の声に誘われて姿を現したのは蟲型の偵察機だ。それは武蔵弐式の雄姿を観察していた梅巽の偵察機である。


「信頼できるの? 裏切られて敵軍の渦中にでも放り込まれたら台無しよ?」


「それは信じて欲しいとしか言えないな。ただ良くも悪くも科学者だ。俺の戦闘記録を提供するといったら承諾した」


 一にも二にも、梅巽が求めるのは最強の機械兵士の開発。人工脳を搭載したことで成長する力を手に入れた武蔵弐式を持ってしても歯が立たなかった陽の戦闘記録をサンプルとして手に入るなら裏切りも厭わない精神である。


 蟲型の偵察機は皆の先頭に立つと四本の翅を広げて前進した。陽たちはそれぞれの顔を見てから頷き合わせた後、その背を追いかけた。


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