第10話 生態×親子×屋敷

 死の森に足を踏み込んだ三人を最初に出迎えたのは亜熱帯の環境で独自の生態系を築いた未知の領域だ。図鑑や行政のデータベースにもない植物が生存しており、乱立する大木からは無数の蔦が地面を這うように伸びている。視線を上に動かせば木の枝で侵入者を監視するように猿やリスといった小動物が睨みを利かせていた。その猿やリスも初めてみる品種で、形状から予想したにすぎない。サイズは一般的なものと変わらないが、その双眸は猛獣を彷彿とさせる鋭いものだ。遭遇することのない人間に対しても脅える様子を見せない辺り、やはり普通の生態でないことが分かる。


 森を突き進むと人骨と思われる白骨体が視界に映った。その周りに散らばる衣服や荷物から察するにここ最近の犠牲者だと分かる。自殺の名所としても知られていることから自殺して白骨化した死体が多く、その中には調からの報告があった犠牲者も含まれているかもしれない。


「神に仕える者としては供養をしてあげたいところですが……」


 クラリッサは白骨化になった死体に視線を配りながら悲痛の声で言った。


「……簡単にすませなさい。ここは敵地同然。同じ位置に居座るのは命取りになりかねないわ」


「……申し訳ありません」


 クラリッサは白骨化の死体に手を合わせて頭を下げた。それが今できるせめてもの供養だとして。時間にして数秒。その間、陽と那月は周囲に警戒を張りながらクラリッサを待つ。そのクラリッサは合わせていた手を解き、下げていた頭を持ち上げて背後で待つ二人に振り返った。


「ありがとうございます」


 自分が手を合わせている最中にも二人が警戒してくれていることを知っていたクラリッサは、今度は陽と那月に頭を下げた。


「君の立場を考えれば仕方ないさ。身元も経緯もわからないが、それでも死者は死者だ。放っておくことはできないだろうさ」


「あら? クラリッサには随分と優しいじゃないの、陽」


 クスクスと小さく笑いながら人をからかう視線を那月は陽に向けた。


「そんなことはありませんよ? 那月さんにも同じように接しているつもりです」


 陽の言葉に嘘偽りはない。彼からすれば那月にもクラリッサにも同様の優しさを与えているつもりだ。だがあくまで個人の見解。こういった目に見えないものは受け手によって捉え方も見え方も違うというのが相場である。


 しかし、こんなやり取りも陽と那月の間では別段珍しいものではない。一種のコミュニケーションというものだ。そして那月からこういう形でアクションを見せたときは第三者の緊張を和らげる意図がある。それは相棒として長い付き合いになる陽だからこそわかる彼女の気配りだ。


 気配りは功を奏した。死の森に入り、死者を見たことで一層強くなっていたクラリッサの緊張の糸が解けた。その効果は絶大で、緊張の糸が解けたことで広がった視野は死の森の違和感に気付いた。


「不気味すら感じさせる静けさですね……」


「ええ、死の森に入ってからずっとこうよ。クラリッサは緊張のあまりそこまで気を配れていなかったようだけどね」


 那月からの厳しい一言でクラリッサは先程の二人のやり取りの意図を理解した。同じく一般人とは程遠い世界で生き、年齢もそれ程変わらないというのに、明確な実力差にクラリッサは自身の非力さを実感する。それと同時に陽と那月はその若さでどれだけの修羅場を潜ってきたのかと興味を抱いた。


「試しに少し騒いでみますか?」


「……それ、本気で言ってるの?」


「まさか。場を和ます冗談ですよ」


「それを聞けて安心したわ。本気で考えてたら一から教育し直さないといけないもの」


 陽と那月の何気ない会話にクラリッサが喰いついてきた。


「お二人は師弟関係か何かですか?」


「うーん、……まあ、似たようなものね。それと足と警戒は止めない」


「は、はい!」


 質問の際に足を止めて注意力を散漫にしていたクラリッサを那月は叱る。


「陽は……そうね、弟子というよりは息子に近いわね」


「む、息子さんですか? でも……」


「もちろん、血は繋がってないわよ」


 血を繋がっていないことを知ったクラリッサは続けて那月の容姿を観察するように視線を上下に動かす。その行為はとても失礼なことだと知りながらもクラリッサが行為を止めないのは那月の容姿が幼いものだからだ。血が繋がっていないのだから親子関係と年齢が比例するわけではない。それでも容姿だけで判断するならば陽と那月は同年齢に映る。


「おそらく私の容姿を見て陽と同年齢と考えているみたいだけど、違うわよ」


「そ、それじゃあ年下――」


「それも違うわ。私はこの子より年上」


「う、うそ⁉ 那月さんっておいくつ――」


「女性同士でも年齢を問うのはマナー違反よ」


 優しい口調で微笑む那月だが、その手に持つ日傘の先端がクラリッサの額に突き付けられていた。その日傘には魔術師の統括者を殺した時と同じ銃口が仕込まれている。そして那月という人物は脅しだけ冗談を言わない。つまりクラリッサ、ピンチ。


「静かに」


 二人が他愛のない話をしている最中に先行していた陽から声が届いた。陽は姿勢を低くして木々に身を潜める姿勢を取っている。その姿を見た二人も姿勢を低くして陽に近寄った。


「見てください。屋敷です」


 陽は前方を指差す。指先に合わせて視線を送ると、その先には二階建ての屋敷が建っていた。


「……目撃情報にあったローブを着用した人物の屋敷でしょうか?」


「おそらくそうでしょうね。でも……」


「死の森に人が住んでいることもそうだが、そもそも屋敷をどうやって建てた?」


 常に死と隣り合わせの環境下で手を取られる大工作業を熟せたことが陽には気がかりだった。


「……色々と考えさせられることはあるけど、とりあえず屋敷内を調べてみましょう」


「大丈夫でしょうか? 人の気配はありませんが、もしかしたら罠という可能性も……」


「クラリッサの不安はもっとも。でも今は危険を冒してでも何かしらの証拠や情報が欲しいところよ」


「……わかりました。行きましょう!」


 クラリッサは両目を瞑って考えを纏めた後、意を決心した。その様子を見守った陽と那月は安心したように小さく笑みを交わした後、屋敷に向けて歩き出すのだった。

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