第3話 推理と苦渋 無能力者と能力者
部室を先に出た新聞部の部長、
殺人現場に一貫しているのは人の喧騒から離れた場所であること。主に路地裏や廃墟、建設途中の建物で、時間帯は夜中。人目を避ける犯罪行為としてセオリー通りの現場である。
「夜中での犯行だから夜行性の吸血鬼が犯人――」
自分で言っておきながら飛躍しすぎたな、と調は反省する。そもそも吸血鬼の噂が立ったのは殺しの手口から面白半分に誰かが言ったものでしかない。そこに魔術の痕跡が発見されたのであれば吸血鬼の疑いは捨てるのが賢明だろう。
「だからといって痕跡だけで魔術師が犯人だと断定するのも早急かな……」
犯人を断定する決め手がない調では明確な答えが出せない。魔術の痕跡は決め手として十分な証拠だが、魔術師が魔術の痕跡を残すようなへまをするとは考えられないというのが調の率直な感想だ。
「その魔術師が宗教特区の人間を襲撃した、と聞かされたらどうしますか?」
聞き慣れた声に振り向いた調は陽の姿を捉えた。
「遅かったですね」
「すいません。これでも急いだ方なのですが……」
その割には息を切らした様子もないことに調は訝しむも、以前にも似たようなことがあったと自分の中で納得した。
「それよりも、さっき言ったことは本当? 魔術師が宗教特区の人間を襲撃したというのは」
「確かな情報です。ちなみに襲撃されたのは修道士と修道女で場所は魔術特区とのことです」
その二人が吸血事件の調査に当たっていることを陽は敢えて伏せた。いたずらに情報を与えることで調の身を危険に晒すことを避けるためだ。
(俺と違って部長は一般人だ。その辺り配慮しないと取り返しのつかないことにな
る)
部室での電話から察することが出来るように陽は一般人とはかけ離れた位置で生きている学生だ。そして調は真逆の位置に立つ女子学生である。類い稀な情報収取能力と幅広い情報網を持つ女子学生が一般人なのかは些か疑問に思うかもしれないが、それでも特区の中枢や暗躍する組織と関係を持っていないことは陽自身が確認している。そもそも彼が新聞部に入部したのは安芸津調の身辺調査も兼ねてのことだ。
「修道士と修道女ということは教会の神父とシスターということよね……」
調は顎に手を添えて思考を働かせた。その仕草は昔から持つ彼女の癖である。
思考を働かせるのは襲撃された相手のこと。神父とシスターはその職業柄、許可が下りれば島の往来を許可された立場にある。しかし、吸血鬼騒動の最中に巡回するとはどうしても考えられなかった。
「襲撃された理由は別として、巡回神父とシスターであれば魔術特区にいてもおかしくはないと思いますが」
「吸血鬼事件のことを考えたら巡回を中止するのが普通じゃないかな?」
「吸血鬼事件のことがあるから巡回を中止できないのでしょう。恐怖を和らげるのに
神の教えを乞うのは今も昔も変わらないでしょうから」
古今東西、人とは形容しがたい恐怖に遭遇するほど神様という存在を頼る傾向にあると陽は考えている。
「こんな時だからこそ宗教の教えは人の心を満たすというわけか……」
そのとき調の思考が一つの推理を生み出した。
「裏を返せばこの事態は宗教特区にとって信者を増やすチャンス!」
「それだと巡回神父とシスターが魔術師に襲撃されたのをどうやって説明するんですか?」
「自作自演? もしくは疑いを擦り付けられた魔術特区の反撃という可能性も考えられるわ」
「ですが最初の犠牲者は宗教特区から出ました」
「血の吸われた死体を偽装することぐらい簡単にやってしまうわ」
陽の質問に躓くことなく調は答えていく。そこに一切の揺らぎを感じられないのは自分の推理に自信がある表れだ。このまま探偵のように犯人の元に乗り込んで推理を披露しそうな勢いである。
「仮に部長の推理が正しいとしたらこの事件はここで手を引いた方がいいと思います」
「どうしてよ? 新聞部始まって以来の大スクープじゃない!」
「これはもう学生新聞の域を超えた内容です。それこそ口封じとして殺されてもおかしくはありません」
陽の真剣な口調と表情に調は口を噤む。彼の忠告が自分を心配してのことだと感じ取ったからだ。そこに推理の熱が冷めたことが事態の大きさを実感させた。吸血鬼という架空の怪物を話題性と取り上げて始動した取材が、調査を進めていく上で特区の思惑が交差する陰謀論が浮上した。
「……そうね。これ以上は分不相応、か……」
調は納得した様子を見せるも、その表情は自身の無力さに悔しさを滲ませたものだった。そんな調を陽は声をかけることもせずに見守ることに徹した。煩わしい喧騒も届かない静かな空間が調の心に染み込み、自身の無力さも納得という形で落とし込んでいった。
「でもそうなると、どう新聞を完成させようかしら……」
頭を切り替えた調はどういう形で吸血鬼事件を完結させるか考え始めた。ぶつぶつ、と独白を漏らしながら頭の中で新聞の構図を決めていく。
「ここは写真を使って……それと陽君の情報も記載しておきたいわね」
調は見守っていた陽に振り向いた。
「新聞の作成に入るから私は先に帰るわ! お疲れ様、陽君」
先程までの苦渋の表情が嘘のような清々しい笑顔で調は去って行った。陽は後ろ姿を見送る形で現場に一人取り残された。
「……ふぅー。これで取りあえず部長を事件から遠ざけることが出来たかな」
陽は緊張が解けたようにホッと息を吐いた。
「さすがにこれ以上は無能略者を巻き込むわけにはいかない」
誰かに話しかけるように会話を弾ませる陽は体を翻した。
「そうですよね? 那月さん」
陽の呼びかけに応えるように一つの人影が日傘を差しながら舞い降りた。黒髪を靡かせ、ゴスロリと呼ばれる衣装に身を包んだ人影の容姿は少女そのものだが、実年齢は高校二年生の陽よりも上を行く。そのことを声にするようなら串刺しにされてしまう。
「当然だ。ここから先は私たち能力者の領域。そして無能力者の人命と安全を守るのも能力者の使命だ」
差していた黒の日傘を閉じると体を翻す。ふわりとスカートの裾が広がり、黒のタイツで覆われた細い足が姿を見せてはスカートの中に納まった。
「ほれ、行くぞ」
「行くって、どちらへ」
「宗教特区と総術特区に決まっておろう」
那月と呼ばれた女性は陽からの返事を待つことなく足を進め出すのだった。
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