アルスマグナ

雨音雪兎

吸血鬼事件

第1話 吸血鬼の噂

 太平洋上に浮かぶ五つの島がある。


 それぞれが人工的に造られた島だ。従来の土砂や廃棄物の埋め立てる方式ではなく、無数の金属の柱を海底に打ち込むことで土台を固定した浮遊構造である。中央に造られた島を中心に他の四つの島がそれを囲み、方角の名を借りて北島、西島、東島、南島、そしてそれらの中央にあることから中央島として呼ばれている。


 周囲の島を繋ぐのは一本の橋だ。それぞれ関所が設置されており、許可なしに島の移動は禁止されている。中央島に繋がる橋も同様の体制が敷かれていて、各島から架けられた橋にも関所が設けられている。そこまでして島の移動を禁じているのは各島が敵対関係にあるからだ。


 夜空を覆い隠していた雲が晴れ、白い月が姿を見せる。頭上から淡い光が街を照らすも地上まで届かない。地上を輝かせるのは外灯や看板のネオン光、コンビニやカラオケ店から漏れる人工の光である。夜でも昼間のように明るい街中は夜中の一二時を過ぎても喧騒に包まれていて、その多くが若者だ。


 若者の多くが浴衣を着用しているのは花火大会が催されていたからである。夏の暑さの中で人混みに揉まれたことで浴衣は着崩れ、男の視線の多くが女性に向けられている。たむろする男たちの会話は一貫して女性の容姿によるものだ。聞くに堪えない下品な言葉が飛び交い、酒に酔った者は勢い任せにナンパを始める。しつこいナンパに機嫌を悪くする女性もいれば、まんざらでもない態度を見せて会話を楽しむ女性と、反応は千差万別だ。


 夏特有の陽気に当てられた街中を男女が歩く。男女が通った道では会話やナンパも忘れた若者たちの視線が集まる。肩を並べて歩く男女は美男美女。しかし、視線を集めた理由は容姿ではなく、その格好にある。


 ――何あれ? コスプレ?


 若者の誰かが言った。その声に反応して女性が振り向く。喧騒の街中、数多くの若者で溢れかえっているにも関わらず発信した相手を的確に捉えていた。双眸を弓なりにして微笑みを浮かべるも、発信者は底知れぬ恐怖を覚えて体を震わせた。腕を交差して両肩を掴んで震える姿に満足した女性は顔の向きを戻して止めていた足を動かした。背後では脅える友人を心配する声が届く。


「……あまり目立つ行為はするな。許可が下りているとはいえ、監視の目はある」


「はいはい、分かってますよ。ただコスプレ呼ばわりされたのは許せなかっただけ」


 体を捻って自身を包む修道服をひらひらと揺れ動かす。連動してスリット部分から黒色のソックスに締め付けられた太股が露わになった。


「そんな風に改造するからシスターのコスプレに間違われるんだよ」


 男は呆れた顔でスリット部分を指摘した。本来の修道服にはないもので、彼女が自ら改造したものだ。


「失礼するわね。これはファッションの一貫よ。それに服装については貴方に言われたくないわ」


 修道服の女は敵意を込めた視線を男に向ける。


「そもそも貴方は修道服すら着ていないじゃない!」


 指摘されたように男の服装は黒色のスーツを着用して、頭にハットを被っている。格好から彼が神父だと信じる者はいないだろう。


「狩り専門の俺があんな堅苦しい格好などしていられるか。それにお前たちの改造服も教会では黙認されているだろ。それを一般人にコスプレと勘違いされたところで自業自得だろうが」


 修道士の正論に修道女は反論の口を噤む。完全に論破された形である。余程悔しかったのか子供のように両頬を膨らませて怒りを表現した。修道士の男は呆れた表情と溜め息を漏らした後、修道女の頭を軽く小突いた。


「くだらないことで怒る暇があるなら周りに耳を配れ。標的がこの辺りで確認されているのは間違いないんだ」


「そうは言ってもね……」


 口論の最中でも耳を外に向けていた修道女だが、耳に入ってくる情報はくだらない話ばかり。目玉の花火大会が終わって退屈になった若者たちの実りのない話題ばかりである。二人が求めているのは巷を騒がせている吸血鬼の情報だ。


「騒がれていても花火大会程度に呑み込まれる話題性。犠牲が出ていても所詮は他人事か」


「一般人からすれば吸血鬼は架空の怪物。犠牲が出て噂が立っても、それを本気で考える人はいないということでしょう」


 現状を冷静に分析する二人だが、無理を通して島に入る許可を得たからには些細な情報でも持ち帰らなければ面子がたたない。そこに狙ったかのように待ち望んだ情報が耳に入った。


 ――お前、吸血鬼の噂知っているか?


 真剣な口調で男は言った。


 ここ一ヵ月以内で起きている殺人事件。その死体の全てが血を吸われて干からびた状態で発見されている。首元には鋭い牙で貫かれた二つの傷痕が確認されている。それらから吸血鬼の仕業ではないかって話だ。


 真剣な口調で話す男に感化されたのか、聞き手も真剣に耳を傾けて話を聞いている。


「……ブルーノさん」


「ああ、ようやく見つけた」


 ブルーノと呼ばれた修道士と修道女は吸血鬼の話題で花を咲かせる男女を足止めするように立ち塞がった。奇抜な格好した男女が立ち塞がったことに動揺を隠せない。


「今、吸血鬼の話をしていましたよね?」


「あ、ああ。してたけど……なんだよ、あんたたち?」


「なーに、吸血鬼の噂に興味がある修道士と修道女だ」


「貴方の知る吸血鬼の情報を全て話してください」


 声をかけてきた二人が本気で吸血鬼の話題を欲していることを口調と表情から感じ取った男は素直に従って自分の知る情報を話した。彼が話した情報はたった一つを除いてブルーノたちが知るものだったが、その除かれた情報こそが一番欲しかった情報だった。


 情報提供に礼を言ってその場を後にしたブルーノは歩きながらある場所を目指す。隙間を縫うように路地中へと入っていき、建設途中の工事現場にたどり着く。そこは一番新しい殺人現場である。


「――僅かだが魔力の残滓が残っているな」


「やはり吸血鬼の正体は魔術師?」


「どうだろうな……。仮に魔術師だったとして、吸血鬼の伝説にちなんだ殺し方をする理由が分からない」


 ただ殺人を目的としているなら手っ取り早い殺し方を魔術師は心得ている。それを血を吸って殺すといった手のかかる方法を選んだ理由がブルーノは見当がつかなかった。


「ひとまず残滓の回収を。それを手がかりに追跡を続ける」


「わかった」


 ブルーノの指示に従って修道女は残滓の回収に当たる。首から下げる十字架を両手に握り、呪文のように文字を紡ぐ。伴って足場に陣が展開された。陣からは白の光と淡い赤色が交差するように立つ。その中心で呪文を紡ぐ修道女の元に光の粒子が集まっていくと、十字架に溶け込んでいった。


「残滓回収完了」


「よし。それなら早く立ち去るとしよう。妙なのに嗅ぎつかれたようだ」


「これは……」


 現場検証に集中している合間にブルーノたちは囲まれていた。影は四つ。魔術師が好む深めのローブを纏った集団だ。


「一点突破する。後についてこい、クラリッサ」


「はい!」


 ブルーノを先頭にクラリッサと呼ばれた修道女が続いた。その後方で火の柱が噴き上がり、月が浮かぶ夜空を紅蓮の焔に染め上げた。




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