Act.1 The beginning

Act.1-1

――ドサッ


「………」


 布団ごとベッドから落下した衝撃により目を覚ました栗毛頭の少女・美亜みあは、寝ぼけ眼の瞳でぼんやりと天井を見上げた。それから次第に襲ってくる鈍い痛みに、その可愛いらしい顔を酷く歪ませる。


「痛……いなぁ、もぉ……」


 右手で頭を押さえつつ唇を尖らせながら起き上がると、その場に座り込んだ。

 そして、未だハッキリとしない頭に、先程見た不思議な夢の内容を巡らせる。


(さっきのは夢だったのか……でも、何だか聞き覚えのある声だったような……)


 そう考えながら、ふと目の前に落ちている時計に目を遣った。


 ――am07:50


「ヤバイ! 遅刻だっ!」


 現在の時刻と状況を認識した脳は瞬時に覚醒し、身体を驚く程素早く動かす。

 年頃の少女とは思えない程の凄まじいスピードで身支度を終えると、通学カバンを片手に勢いよく階段を駆け降りて行った。


 居間に入ると、朝食を食べ終わり通学準備の整った妹が、テレビ前のソファに座って朝の占いを見ている所であった。

 母はキッチンで洗い物をしており、目の前のテーブルには美亜のものであろう朝食が並んでいる。


「お母さんっ! 何で起こしてくれなかったの!?」


 文句を言いながら朝食の並んだテーブルの椅子に素早く腰掛け、直ぐさまパンを口いっぱいに頬張る。


「やぁね、ちゃんと起こしたわよ。いくら起こしても、美亜が起きなかったんじゃない」


 “じゃあ、さっきの声はお母さんだったんだ”などと思いながら、次は必死にサラダを掻き込んでいると、母親の呆れたような声が続く。


「どうせ、また遅くまでゲームか何かやってたんでしょう? やるのはいいけど、ちゃんと考えてしなさい」


 図星を指されウッとむせ返りそうになり、慌ててオレンジジュースで飲み込む。すると、溜め息混じりの何とも小憎らしい声が美亜の耳に飛び込んできた。


「お姉ちゃんは、本の虫じゃなくてゲームの虫だね……完璧オタクじゃん」


 そう言いながら隣から冷めた視線を落とすのは、妹の美紀みき。占いを見終え、美亜の横を通り過ぎがてら口を挟んできたのだ。彼女は怪訝そうに、その綺麗に整った顔を歪めている。

 美亜が食べる手を止めキッと睨み上げると、今度は爽やかな笑顔で壁に掛かる時計を指差す。


「そんな事してる暇、無いんじゃないの? 行ってきまーす」


 美亜の威嚇を気にも止めずそれだけ言い残すと、美紀は艶やかな黒髪を靡かせながら、悠々と居間から出て行った。

 美紀が先程指し示した時計を見ると、時刻は8時を回っている。


(ヤバイ!)


 家から美亜の通う高校までは、どんなに自転車を飛ばしても40分は掛かる。朝のホームルーム開始時間は8:30。

 ちなみに美紀の通う中学は家から歩いて10分と近いため、余裕で出て行ったのだった。


(もう完璧遅刻じゃん……)


 “でも、もしかしたら気合いで何とかなるかもしれない!”と思い、朝食の残りを必死で詰め込み席を立つ。


「ごちそうさま! 行ってきます!」


 慌てて玄関へ向かい靴を履いていると、愛犬が自身の散歩用リードを咥えながら嬉しそうにやって来た。彼の名前はパティ。白くサラサラな毛並みが自慢の大型犬だ。彼はそのフワフワな尻尾を左右にパタパタと振り乱している。

 その姿を目にし、美亜は自分が今週の散歩当番だった事を思い出した。


(あちゃー……)


 居間へと振り返り、大声で母親へ呼び掛ける。


「お母さんゴメン! パーティーのお散歩、お願いね!」


 それだけ言い残すと、母親の返事を聞かないまま玄関の取っ手へと手を掛ける。そして未だに期待の目を向けている愛犬に、謝罪の意味を込めて頭を撫でてから急いで外へ出た。


 車庫に停めてあった自分の愛車(自転車)の籠にカバンを放り入れ、素早く跨がりペダルを踏み出す。そして、学校を目指し、桜色に染まる道を猛スピードで駆け抜けて行った。


 玄関には、愛犬パティのガッカリとした溜め息が虚しく響く。その溜め息には未だ名前を正式に呼ばれない件も含まれているのだが、その話はまた別の機会にしよう。

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