第26話『二人で一人』

 柚月尚志は、姉の様子が最近変なことに気付いた。

「さっ、今日の夕ご飯はブリの照り焼きよ~」

 フフン、と上機嫌で鼻歌を歌いながら、母の瑞江が料理を盛った皿を、次々と台所から運んでくる。 父はだいたいいつも帰りが遅いので、夕食の食卓はは母と姉弟の三人で囲むことが多い。

「おっ、母さんナイス!」

 中学二年の尚志は、今が食べ盛りである。

 柔道部の練習がひけたら、とにかくお腹がすいて仕方がない。母の機嫌がよいということは、料理がうまくできたということだと経験則から知っている。

 母を手伝って、御飯と味噌汁をよそう。



 ……姉ちゃん、やっぱりおかしいや。



 いつもなら率先して配膳を手伝い、逆に遊んでいる尚志を注意するほうなのに。

 ここ数日は、夕食に呼ばれたらフラフラとやってきて、椅子に座って配膳されるまでボーッとしている。そして、食事中も上の空で、ろくにしゃべりもしない。

 もともとクールな姉ではあったが、それにしてもやっぱり様子がおかしい。

「いっただきま~す」

 台所から引き上げてきて席についた母と尚志は、手を合わせて高らかに宣言する。

「……いただきます」

 うつむいたまま小声でつぶやく麻美。



 つい先日、麻美が元気なく食卓を去って二階の自室に行ってしまった後、尚志と母は、顔を突き合わせて話し合った。

「……姉ちゃん、また様子変だね。何だろ?」

 彼がまた、と言ったのは少し前にも似たようなことがあったからである。

「前のときは、間違いなく恋愛ね。母さんには分かるの」

 そこは女性としての先輩である母の、的確な勘であった。

「でも、今度のは……母さんにも読めないなぁ。あの年頃で恋じゃないことで悩むことって、何だろ?」

「オレが知るかよ!」

 まだ中学生に過ぎず、まだ恋の悩みにすら突入していないスポーツバカの尚志には、想像もつかない。

 まぁそれは、最近まで麻美も同じことだった。四六時中弓道に明け暮れていた姉が急に色気付いたのは、本当につい最近のことである。

 結局、二人とも麻美が今何で悩んでいるのか思い当たらなかった。



「うん! 母ちゃん、これなかなかいけるよ」

 瑞江に空の茶碗を突き出す尚志。

「まぁ。あんたはうまいんだから」

 ほどなくして、白米を盛ったお代わりが母から返ってくる。

 瑞江は単純な性格なので、おだてておいて損はないのだ。

「あんた、次の大会は頑張れそう?」

 彼の中学の柔道部は、いつも地区大会でいいところまでいくのだが、最後の最後で隣町の中学に敗れて全国大会行きの切符を逃してしまうのである。なぜなら、その隣町の中学に、全国のジュニアチャンピオンがいるからだ。

「どうだろうなぁ。全国大会に行くには、現チャンピオンの『福田孝太 』っていうバケモンを倒さないといけないからなぁ。なかなかタイヘンなんだよ」



 柚月家は、不思議と代々スポーツの才能ある者を輩出する家系であった。

 実際、この柚月一家も全員運動神経が良かった。

 父はアイスホッケーチームの監督。

 母・瑞江も、バドミントンでインターハイ準優勝の経歴を持つ。今はただの専業主婦だが、たまに地域のサークルで指導をしに出かけるくらいには、腕がなまらないように楽しんでいるようだ。

「そう言えばさぁ」

 だんまりを決め込み、ただひたすらに箸を口に運び続ける姉を、会話に巻き込んでみようと尚志は考えた。

「姉ちゃんはやっぱり弓、プロになるん? だって向かうところ敵なしだもんな。姉ちゃんほどすごかったら、大学もスポーツ推薦枠とかで楽に入れるんだろうなぁ」

「まぁっ。あんたったら」

 母は、あきれ顔で尚志をたしなめる。

「ヘンなこと考えないの。スポーツばっかり当てにしないで、ちゃんと勉強もしときなさいよ。お姉ちゃんはお姉ちゃんで、それなりの苦労があるんだからねっ」



 その時だった。

 ここ数日食事の場で口を開かなかった麻美が、やっとしゃべったのだが——

 その内容が、突拍子もないものだった。

「……母さん。私は本当に、母さんと父さんの子?」

 しばらくの静寂が、食卓を支配した。

 尚志と瑞江は、麻美のその質問の意図をどう理解していいのか悩んだ。

「あんた、何言ってるの。そりゃ、決まってるじゃない。間違いなく、あなたは母さんが腹を痛めて生んだ子どもですっ」

 とりあえずそう返した瑞江だったが、なぜ今更麻美が思いつめた様子でそんなことを聞くのか、まったく理由を思いつけずにいた。



 ……そりゃ、大昔冗談で 『あんたは実は橋の下で拾ってきた子なの』 な~んて冗談を言ったことはあるけど、それだってもう時効でしょ?

  第一、そんなこといつまでも根に持つような子じゃないはずだし。



「……そう」

 ため息をついた麻美は、うつむき加減で席を立つ。

「ごちそうさま」

 それだけ言い残して、スタスタと部屋に戻ってしまった。

「あの子がごはんのお代わりをしないなんて、よっぽど何かがあるのね」

 残された二人は、顔を見合わせた。



 自室に戻った麻美は、ベッドに体を投げ出した。

 勉強する気にもならなかった。

 頭の中に、この前弓から言われた言葉が、ずっと心に引っかかっているのだ。



 『……あなたは、滅亡した幻無宇宙『五つ国』の、最後の生き残り。そして最後の希望——』



 あの言葉を、一体どう受け取ったらよいのか。

 普通に考えれば、私はどこかの宇宙から飛来したということになる。

 すると、私は地球の父と母から生まれたのではないのか? しかし、どう考えても父や母が何かやましいことを隠している、という風には見えない。至って普通の、逆に明るすぎるくらいの家庭だ。

 私が間違いなく柚月家の子どもだったとしたら、あの言葉が真に意味するところは一体何?



 ……今まで、ごめんなさい。今こそ、私の正体を明かす時ね。



 麻美の中で、何かがしゃべった。

 誰か他人ではない。自分の中で、自分の意思の領域でない何かの声がするのだ。

 次の瞬間。ベッドの脇に大きな光源が現れた。まぶしさに目のくらんだ麻美は、一瞬あまりに強いその光に、何も見えなくなった。

 しかし、時間の経過と共に、だんだん視覚が回復していった。

 彼女は飛び起きて、部屋の中にいきなり現れた女性に目が釘付けになった。

 なぜなら、服装が違うだけで麻美とまったく瓜二つの姿をしていたからだ。

 昔の神話の登場人物が着ているような、白いローブのようなものをまとっていた。




「私の名は、アーシェラス。あなたのいる星からはかなり離れた銀河にある、炎羅国という星で生まれました。私は、軍隊とは別に、王のおそばで常に護衛をする役目を負っていました。その役割のことは、『青の闇』と呼ばれていました。

 なぜなら、青の闇には、弓術や暗器・隠密行動に秀でた者が選ばれ、その才能をもつ者は皆、能力を発動する時に目が『青く光る』からです。

 そして、私はその星の最後の生き残り。心配しないで、あなたはこちらの父母から生まれたれっきとした地球の人よ」



 彼女の説明によると、こうであった。

 炎羅国は、かつては緑豊かな、平和な星であった。

 しかし。ある時、宇宙征服の野望を抱く、『黒の帝国』という星に攻め滅ぼされたのだ。

 地球でもそうだが、他の星に戦争を仕掛ける場合は、まず最初に使者を送り、その旨を通達する。場合によれば、それによって話し合いがもたれ戦争が回避できる場合もあるし、そうでないなら望むところということで、互いが戦争準備に入りいざ開戦となる。

 つまり、いきなりの『奇襲』は、宇宙でもっとも卑怯な行為とされており、普通はあり得ないことだった。しかし、黒の帝国の女王であるリディアは、良くも悪くも『過去の常識や慣習にとらわれない』人物であった。

 確実に相手を潰すために、卑怯者のそしりを受けることなど厭わず、炎羅国に奇襲をかけた。何の準備もなかった炎羅国側はすぐに総崩れとなり、たった3日で星全体が制圧された。



「幸い、この太陽系はまだまだ黒の帝国が目を付けるに至っていないようですね」

 アーシェラスはただ一人、占領下の炎羅国から脱出し、宇宙を漂流した。

 そして、やっとみつけたこの地球。

 彼女は血眼になって、自らの魂をゆだねるに足る身体能力と精神力の持ち主を探して、地球中を巡った。そしてやっと見つけたのが麻美だったのだ。

 ただ、脱出の際に戦闘でケガを負い、コンディションが悪い状態のままコールドスリープ(冷凍睡眠)に入ったせいで、地球に着く頃、彼女の肉体はほぼ使えない状態になっていた。

 アーシェラスは、麻美の肉体と「同化」した。ひとつの肉体という入れ物に、二人分のソウル(魂)が入っていたのだ。でも彼女は、肉体のもともとの主人である麻美に迷惑はかけまい、と今の今まで麻美に正体を現すことはしなかった。



 しかし、ついに時は来たのだ。

 地球純正のエスパー・藤岡美奈子によって見出され、その特殊能力を開花させたことが、すべての始まりであった。麻美はもう子どもではなく、自分の能力や使命を受け入れ、受け身でない自らの目的をもって歩き出している。今なら、麻美は私の使命を、受け継いでくれる——。

 ここで初めて、アーシェラスは自分のもうひとつの正体を明かした。



 あなたが呼んでいるあの大弓、クレッセント・シューターはね——

 実は私自身なの。



 驚いている麻美に、アーシェラスは厳かに言う。



「私はもう、人の姿では二度とあなたの前に現れません」

 淋しそうに笑う彼女は、それでも気丈に語り続けた。

「今こそ、私はあなたに本当に『同化』しようと思います。今まであなたとは別々の存在として隠れてきましたが、もうその必要もありません。

 私のすべてをあなたに与えることで、あなたのESPとしての能力も格段にパワーアップすることでしょう」

 不安を感じた麻美は、恐る恐る尋ねた。

「同化したら、あなたはどうなるの?」

 それに対する答えは、麻美の胸を痛めた。

「私の能力と記憶の一切が、あなたに受け継がれることになります。そして、私の自我意識は完全に消えてなくなります」



 麻美はアーシェラスの両肩をつかむと、必死に揺する。

「だめよっ。あなた、自分がなくなっちゃうんでしょ?  それって、どういうことか分かってるの?  死んじゃうようなものじゃないの!」

「……ありがとう。優しい麻美」

 その瞳の輝きは、彼女の決心の変わらないことを物語っていた。



「もう、いいの。私の星は、もうどうにもならない。

 それよりは、まだ未来のあるこの地球のために私の力を使ってもらうほうがうれしい。そしてそれをするべきは、他の星から来た私のすることじゃなくて、地球に住むあなた自身」



 再び、アーシェラスの体が光に包まれた。



「さよなら、じゃないよ麻美。

 これから、私たちはずっと一緒よ。

 いつまでもいつまでも、私はあなたの中に——」



 麻美は、涙を流しながら次第に消えてゆくアーシェラスにしがみついた。

「行っちゃいやだ、行っちゃいやだよう!」

 ポタポタこぼれ落ちる麻美の涙は、すでに実体を失いつつあったアーシェラスの体を素通りし、カーペットにしみてゆく。

「あなたには素晴らしい友達がいるじゃない。美奈子ちゃん、麗子さんを大事にしてちょうだいね」

 それが、彼女の最後の言葉だった。



 その瞬間、麻美の頭にアーシェラスのすべての記憶が刻まれた。

 部屋に静寂が戻った。

 ある星の滅亡。アーシェラス自身の抱いた夢、そして絶望。再び地球で麻美と共に抱いた希望……

 それらが麻美の胸に一気に押し寄せ、彼女はベッドに突っ伏して気の済むまで泣いた。そしてひとしきり泣いたあと、泣きはらした目を天井に上げて、ひと声高く叫ぶ。



 クレッセント・シューター!



 …………!



 今まで空から降りてくるのを受け取っていた光の大弓が、今呼んだだけで一瞬にして手の中に現れてくるようになった。

「アーシェラス……」

 呼びかけても、もはや大弓は黙して何も語らない。

「私さ、頑張るから。あなたの分まで頑張って、この力絶対に無駄にはしないよ。沢山の人を幸せにするために、使わせてもらうよ」

 麻美は弓を抱きしめて、これからへの決意を新たにするのだった。



 ……だって、私たちは二人で一人。そうでしょ?



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「あまり心配することもなかったですわね」

 麗子は、やれやれとばかりに肩をすくめた。

「……よかったぁ。麻美ちゃん、自分の力で運命を受け入れることができて」

 美奈子も、麗子と並んで麻美の家をあとにする。

 実はこの二人、最近様子のおかしい麻美を心配して、時々様子をうかがいに来ていたのだ。心術系の能力がない麻美に、二人の超能力を使った 『のぞき見』 がバレる心配はなかった。

 元来、美奈子はそういうことを嫌うカタブツタイプだったのだが、麗子に押されて今回だけは納得の上で、麻美を観察し続けた。

「これで、麻美ちゃんもパワーアップ・バストアップ・賃金アップですわね!  頼もしいですこと、オーッホッホ」

 やはり、麗子の言うことは相変わらず意味不明だ。

「麗子先生。ちょっとそこの屋台でおでんでも食べて行きません?」

 美奈子に背中を押された麗子は、何のことか分からずオドオドした。

「おでん、って何ですの? 食べて大丈夫なものなんでしょうね!?」

「いーからいーから」

 最近の美奈子は、麗子にどんどん庶民の味を覚えさせることにハマっていた。

 これまでに焼肉と焼き鳥がおいしいことを認めさせてから、味を占めた。


 

 ……よっしゃ、次回はラーメンじゃ!



 朱に交われば赤くなる——。美奈子も最近、かなりくだけてきたようである。

 麗子の感化力は、絶大だ。



 麻美は知らないうちに、自分の首にペンダントがかかっていることに気付いた。

 見ると、Gemini、つまり『ふたご座』のサイン。



 ……これを、私だと思って、大事にしてね。



 アーシェラスがそう言っているような気がした。

 ペンダントをギュッと握った麻美は、窓辺に歩み寄り夜空を見上げた。



 ……見ててよ。

 あなたが命を与えてよかった、と思えるくらいに、素敵な人生を歩いて見せるよ。

 あなたはわたし、わたしはあなた。



 あなたとわたし、ふたりでひとり——。


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