スペースオペラに雀の喜歌劇は必要か?

シュガーリン

プロローグ

 かつて水生生物は自らの機能を書き換えながら、陸という未開地を目指した。

 生命は常に、いずれ来る革変期をその貪欲さで乗り越えていった。

 繁栄と衰退の明滅を繰り返すそれは、はたから見れば星の瞬きのようだ。

 かように生命は醜く、かように生命は美しい。


 ちきちきと鳴る音を聞きながら『スペロウズ』の少年、ユウリはため息をついた。ワーキテクトの関節部に砂が入り込んだようだ。先ほどの岩盤の切削作業時に付着したのかもしれない。大気は薄く、ほぼ二酸化炭素。赤い岩だらけの地形だ。充分にあり得る。

『ユウリ、本機基軸座標9.2.5に小惑星を認識しました。速度5にてこちらに向かっています。回避のため、本艦は離陸準備に入ります。ただちに帰還してください。』

 オペレータのセクラから通信が入った。

「ごめん。もうちょっと待って。ちょっと遠いからな。すぐに戻るのは骨が折れる。」

『わかりました。時間的な余裕はまだありますので安全を優先して帰還してください。』

「イエス・サー」

『失礼ね。』

「イエス・マム」

 ユウリが口を斜めにして言うと、セクラのため息をつく音が聞こえた。

『洗浄機の起動準備をしておきます。』

「頼むよ。」

 ユウリは通信を切ると、ワーキテクトの視覚センサーのスイッチに指を置いた。

 画面右上のウィンドウに映る風景が色を変えた。

「透過率は悪くないか。」

 計器に表示された数値を見てユウリはひとりごちた。ワーキテクトを帰還させる分には十分に周りを見通せる。

 瞬間、視覚センサーの映像が大きく乱れた。ある種の隕石が近づいたときに発生する特有の磁気嵐だ。この磁気嵐は計器だけでなく、磁場の波を聴くことのできるユウリの平衡感覚も乱した。

耳の奥を穿つような感覚に襲われる。その眩暈を振り切るようにユウリは下唇を噛んだ。産まれて十七年、この感覚だけは慣れることができない。しかし、今はワーキテクトの操縦桿を放すわけにはいかない。自動操縦に切り替えれば、磁気嵐のために即時に暴走を始めてしまう。

(きついな。持っていかれる。)

 今回の磁気嵐は特段酷い。あまりの眩暈に、ユウリの意識は一瞬途切れた。

 その一瞬後、ユウリは目を見張った。

「うそだろ!」

 その一瞬の間に「何か」が起こったらしい。未だに乱れの残る視覚センサーの映像には先ほどまでと違う風景が広がっていた。

(どこだ。こんな未開惑星で遭難とか、洒落ならんぞ。)

 ワーキテクトが暴走し、移動したのか。磁気嵐が地形そのものを変えたのか。この地盤には砂鉄が多く含まれていた。どちらもありえない話ではなさそうだ。

 まずは現状を把握することに専念するほうがいい。通信システムの復旧までもうしばしかかりそうだ。

 ユウリは思考コンソールからワーキテクトの稼働制限命令を出し、代わりにビーコンを発射した。現状を把握できるまでは移動せずに待つべきだ。

「小惑星接近までに帰還できればいいんだけど。」

 そう言って、ユウリは視覚センサーから上空に広がる星の海を眺めた。



 遠い昔、地球人にとって、光速は一つの壁であった。どれだけ技術が発達しても光速を超えることはできない。アインシュタインという学者がそれを証明したのだ。

だが、「復元律」の存在を発見により、座標転移を行うことを覚えた地球人は事実上、光速を超えた。

 それももう遥か昔のことである。

 移民を始めた地球人は様々な惑星で独自に進化を遂げた。

数多の種族が生まれ、時に醜く争い、互いに滅ぼしあいながら、その生活圏を広げていったのだった。

 もはや距離や時間さえ絶対数値ではない時代。

 これはそんな途方もない時代、そして途方もない世界の、雀のように小さな、それでも一聴に値する重大な物語である。

 

 

 ちきちきと鳴く音が聞こえる。

 ユウリはワーキテクトに搭載されている音声事典の雀の声を聴いて時間を潰していた。

 このころにはワーキテクトの関節に入り込んだ砂も気にならなくなっていた。

 通信システムの復旧を示す信号がアンバーからグリーンへ移行した。

『聞こえますか?ユウリ。』

 ノイズ交じりの声が聞こえた。セクラだ。

「良好だ。磁気嵐に乱された。そっちからこちらの居場所がわかるか?」

『こちらの計器も復旧したところです。広域探知に引っかかってくれて助かりました。寸刻待ってください。』

「ビーコンを出している。砂漠で針を見つけるよりは簡単だろ。」

『確認できました。問題ありません。』

「座標は?」

『4.2.3.』

「少し移動したな。接近中の小惑星は?」

『まだこの惑星の重力圏外です。先ほどよりタイトではありますが問題ありません。』

 セクラが澱みなく答える。この娘が言うなら本当に問題ない。

「了解したよ。オーバー。」

『帰還したらご馳走ね。』

「楽しみだよ。久しぶりにたんぱく質を採りたいな。」

『団長に交渉してみる。』

「頼むよ。それじゃ―――」

 通信を切ろうとした瞬間、視覚センサーに映ったものに、ユウリは目を見張った。いつの間にか目の前に柱状の何かがからせり出していたのだ。

「―――なんだこれ。」

『どうしました?』

「石碑?人工物だ。いや、この星系に文明はないはず。どこかの馬の骨に先を越されていたのか?」

 ユウリは黒く光る柱状のそれをしげしげと見つめた。大きさはちょうどユウリのワーキテクトと同じくらいだ。

「セクラ、小片を採る。分析できるか?」

『やってみます。』

 ユウリはワーキテクトの操縦桿を握りしめ、慎重に目の前の柱にマニュピレータを近づけた。ぱらぱらと柱の表面が剥がれ、ワーキテクトのサンプルボックスに採取される。

『結果出ました。既知の文明の素材ではありません。』

「うそだろ。だとしたら、この惑星固有の文明?」

『そんな馬鹿な。』

「いや、ありえなくはないだろ。地球人類を起源としない知的生命の存在は何度も議論されてきたはずだ。」

『それがこんな私たち『スペロウズ』の縄張りの近くに?』

「面白くないか?」

『確かに。あ、何ですか?団長。』

 ユウリ達の団長がやり取りを聞いていたらしい。通信機の向こうで何かセクラと話しているようだ。

『ユウリ、聞こえる?団長の見解を言います。』

「あぁ。」

『――かねになりそうだからもってかえってこい――とのこと。』

 ユウリは口を斜めにした。

「言うと思ったよ。」

 ユウリはワーキテクトの出力を上げ、ゆっくりと柱状の物体にしがみついた。思ったよりも簡単に地面から引きはがせそうだ。

「なるほど。地殻変動で露出したってところか。」

『先ほどの磁気嵐で小規模の地殻変動が数か所確認されています。あり得ますね。』

「小惑星は?」

『問題ありません。』

「計算ちゃんとしているのか。」

『帰還よりサルベージ作業を優先してください。本艦がユウリをピックアップします。』

「本気で言っているのかよ。」

『信じてください。』

「無茶を言う。」

『私としてはリスクが高いため乗り気ではないですけれど。団長がどうしてもと言うので。』

「余計に信じられないのだが。」

 それでも――ユウリは思った。それでも『スペロウズ』のスタッフたちなら何とかしてしまうのだろう。

「なんでこんな人たちと商売しているかな、僕は。」

ちきちきと鳴く音を聞きながら『スペロウズ』の少年、ユウリはため息をついた。



 駆動音がだんだんと大きな音を立て始めた。今まさに、『スペロウズ』の旗艦『オペレッタ』の離陸準備が整ったところだ。

「さて、本艦はこれより離陸し、お宝、いやユウリをピックアップしたのち、この惑星の重力圏を離脱する。ルートは割り出せているな?」

 団長であるルブランが声高々に宣言した。

「問題ありません。画面に出します。」

 セクラが答えると同時に、管制室の中央にあるヴァーチャルホログラム画面上に、この惑星のものと思われる地図が映し出された。

「さすがだ、このルートなら最もリスクが少ない。」

「それに、対象はあのユウリです。成功率を大きく上乗せできるでしょう。」

「同感だ。それではここから長時間のミッションになる。トイレ済ませておく人は今のうちに行っておくこと。いいな!」

 おおぉっという感嘆符があちこちから漏れた後、セクラはオペレータ席を立った。

 上着を椅子から乱暴に取り上げて、廊下へと消えていった。

「・・・ご機嫌は斜めか。」

 ルブランが口をへの字にして呟いた。

「あれでばれていないと思っているのはセクラだけだろうな。」

「ばれていないのもいますよ。」

 ルブランの横に立っている副団長のミズハが言った。

「この手のことに対するユウリのくそ鈍感ぶりは全員の士気にかかわります。団長、何とかしてください。」

「そうは言ってもユウリは暇さえあれば事典ばっかり見ている奴だぞ。女に興味があるとは思えない。」

 ルブランはそう言うと、大きな指で目をこすった。

「団員の色恋沙汰にまで口出しできんぞ、俺は。俺にできるのは『スペロウズ』を維持するために、物事を天秤にかけることだけだ。ミズハはあのサンプルデータを無視してユウリの帰還を優先するべきだったとでも?」

「まさか。」

 ミズハはクスクスと笑いながら答えた。

「セクラはそれが一番わかっているから、ああするしかないのでしょうよ。」

 戻ってきたセクラがオペレータ席に着いた。

「団長、準備完了です。ミッション開始の号令を。」

「よし、では、ミッションスタートだ。」

 ルブランが大きく右手を振りかぶった。

「了解。総員、ミッション開始まで、3、2、1、開始します!」

 セクラの声が館内に鳴り響いた。

 かくして『スペロウズ』の旗艦『オペレッタ』は離陸を始めたのだった。



 それから寸刻後、石碑のサルベージを終えたユウリのもとへ、上空に到達した『オペレッタ』のピックアップ用ワイヤーが届き、無事にミッションは完了した。

ウィルスなどの持ち帰りが無いよう、洗浄を受けているワーキテクトの中で、ユウリは暇つぶしに音声事典を聴いていた。視覚は黒い石碑に照準を合わせてある。

 見れば見るほど不思議なアーティファクトである。表示板のような何かに文字があるが、ユウリには読むことができない。先ほど辞典で検索をかけたが、引っかからなかった。

『洗浄が終わりました。格納庫へ移動します。』

 セクラの声で館内放送が流れた。

 ワーキテクトと石碑が床ごと移動し始めた時、個別通信がはいったのでユウリはスイッチを入れた。

 セクラだった。

『おかえりなさい。ユウリ。』

 それだけ言ったあと、セクラは通信を切った。

 


 格納庫に安置された黒い石碑の前に、オペレッタ内の主要メンバーがそろっていた。

 スペロウズ団長のルブラン。副団長のミズハ。オペレータのセクラ。そして発見者のユウリである。

「僕の見解を述べます。」

 ユウリは一歩前に出て続けた。

「これはあの小惑星リガス独自の知的生命体による建造物です。」

「根拠は?」

「石碑に未知の文字らしきものが表記されています。解読できればいいんですけど。」

「分析班に画像回すか。」

「あと、かすかですが駆動音、磁場の流れが聞こえます。機能が生きている、ということです。これらを合わせて考えると、この石碑は紛れもなく人工物であり、データバンクにない未知の文明を持つ生命によるものである可能性がとても高い。」

 ユウリは石碑の文字の検索結果を画面に映し出した。大きく赤い×字が表示されている。

「現在銀河連合に名を連ねているのは全て移民種族を起源としています。少なくとも銀河連合には見つかっていない原住民であることは間違いないと思います。」

「ユウリ、触ってみるか?石碑内の装置が生きているなら何か反応があるかもしれん。」

 ルブランがにっかりと大きな口を豪快に微笑みながら言った。

「言うかなって思っていました。それは観察のセオリーに反します。未知の物質でできた未知の物体を素手で触って未知の病気でももらったらどうするんですか。」

「なんだ、つまらん。」

 口をへの字に曲げたルブランを見て、ユウリは口を斜めにした。

 ――次の瞬間。

「それ早くいってくれよ・・・。」

 ユウリ達からは視覚になっていた石碑の裏から、格納庫スタッフのモロボシの声が聞こえた。声の聞こえた方によってみるといつの間にかそこにいたモロボシは素手で石碑に触れていた。目が涙目になっている。

「ここに噂の石碑があるって知らなくて。人が集まっているから何かな?て思って。。。」

「言い訳はいいから、とりあえず隔離医療ルームに入ってもらうよ。」

 波がざわついた。電磁波か駆動音か。

 起動状態が変化する前触れだ。

「動いた!みんな!離れて!」

 ユウリが叫んだ。

 突然に冷たい空気が白い煙となって石碑から噴出された。

 セクラが対有毒ガス用の非常ボタンを押した。

 部屋の中から一気に白い霧が晴れていく。

(石碑の形が変わっている?)

 まるで蓋が開いたようにも見える。

 ユウリはゆっくりと石碑に近づいていった。

 石碑の周りの白い煙が晴れた時、石碑の中身が見えた。

 石碑の中では―――


 ―――全体的に色素の薄い金髪の少女が、

       まるで寝起きのように、眠そうに右手で目をこすっていた。



 この少女とユウリの奇妙な遭遇から、この物語は始まる。



                              プロローグ 完


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