第6話

「二十六にもなって実家以外で年越しをしたこともないのはどうなんだろう」

「いや、好きにしたらいいだろこの歳なら。理みたいに挨拶回りがあるわけでもあるまいに」

 年越しの支度を八割方終えた紅野家のコタツで環が至極真面目に言った一言に、基が冷静に返した。

 大晦日の昼下がり、力仕事のなくなった紅野の男たちはジャマだから大人しくしていろと年末特番を眺めている。女たちが台所で姦しく年越し蕎麦とお節の仕上げをしている最中、基はふらっとやって来た。

「年越しは理の実家で厄介になるんだけど、みんな忙しそうだから夜まで構って」

 神納家と紅野家の道のりを散歩がてら歩いてきたという基は、酷く寒そうな顔でそう言った。

 親戚が挨拶に来るのでもてなしの支度はしてあるが、神納家のように宴会が催されるわけではない紅野家の年末は静かなものだ。コタツとみかんを提供された基が感謝を伝えると、環の祖父と父はそれぞれの飲み仲間に呼ばれているとかで姿を消した。

「兄貴は独立して自分の家にいるし。辰月と千秋は大学の友達といるっていうし。うるしーは理んとこにいるって言うし。ずるい」

「いや、だから好きにしろよ大人。実家に甘え過ぎだよ次男」

「弟妹ですら友達と年越しなのに……」

「面倒だな。理んとこ行きゃあいいべ」

 みかんを頬張りながら応える基を環がジト目で見据えた。

 お歳暮にと各方面から箱で送られてきたみかんは、今年はひとつも腐らないだろう。コタツの上に積んであった山は切り崩され、既に基の胃の中だ。

「だって理忙しいだろ。遊びに行っても構ってもらえないし、申し訳なさそうにこっち気にするからジャマしてる気分になるし、色んな人に囲まれてる理見てるの面白くないし」

「最後が本音か」

 長時間コタツで同じ姿勢でいた固くなった体を解すように、環は立ち上がって伸びをしてからコタツの上の大きな菓子皿を手に取った。

 菓子や季節の果物が乗る大振りな挽物の器は、先代が壊れた時に理に頼んで作ってもらったものだ。冬はみかんの特等席となるそれに、玄関で冷やされたみかんを再び山と積んで環が戻ると、基が猫なで声で冷えたみかん!とはしゃいだ。

「はー廊下寒い。コタツぬくい」

「大義であった。どれ、一個剥いたろう」

「何様だよ。何キャラなんだよ」

「ハジメサマダヨ。ツッコミ入れながらもみかん補充してくれる環がスキだよ」

「おれはどんな基がスキかなあ。そもそもスキかなあ」

「ばっか、大好きだろ。みんなのアイドルうるしーだぞ」

 軽口を叩く間にまた三個程みかんが消える。一個に対して二、三口で消えるので異様にスピードが速い。

「どっからが恋だと思う?」

「ん?」

 手はみかんを剥いて、視線は年末特番に向けた状態で基が環に問いを投げた。

「友達のスキと、恋の好きの違いを述べよ。三十字以内。配点八」

「なんでいきなりテストされてんのおれ」

「親友の恋は応援したいじゃん?でも泣くとこ見たくないじゃん?泣かせた方は一発ぶん殴る気満々だけどあんまりバイオレンスなのもよくないじゃん?確かめといた方がよさそうなもんは確かめるし、打てる布石は打っとくべきじゃん?」

「殴られたくはないなあ」

「振られて環が泣く可能性は考えてないのな。別にいいけど。理由が振られたからなら泣いてても何もしないけど。泣かせた方殴ったりもしないけど」

「ねえソレ殴られる可能性あるのおれだけじゃね?」

「人徳の差」

 素行を比べられてしまうと環はぐうの音も出なかった。理は伝え方が下手なだけで優しい人間だが、環は違う。わかりやすく優しいように見えてその実、無関心なだけだ。興味がないから他人が何をしようと関係なく、自分に被害が出ない範囲で全てを許容する。

 悪いことではないし、処世術のようなものだ。スタンスを変えるつもりはないし、これは環の性分である。けれど、たくさんのものに心を砕く理に基が味方する気持ちも分かった。

 基もまた、環の狭い世界を知っている。その世界を本当に大事にしていることも理解している。それでも、その中にいる人は少な過ぎて、環が人の心を慮ってきちんと大切にできるかと聞かれれば、多少の不安があった。相手が不器用な理なら尚更だ。

「環、知っているか」

「何を?」

「昔の戀という字をだ」

「変と書き間違える恋じゃなくて難しいヤツ?あー……?下心があることしかわからん」

「オレはお前が部首の名前を知ってることに驚いたよ。そう、その下心がある難しい方の戀だ」

「漢字がどうかしたの?」

 剥いたみかんの三分の一をビシ、と環の眼前に突き出して基が講義を始めた。

 みかんの山はそろそろ半分ほどの高さになりそうだ。早めに切り上げなければ話の途中でおかわりを要求するかっこ悪いことになる。

「アレはな、いとしい、いとしいと言う心、って書くんだ」

「……うん?」

「お前、理のこと愛してるんだろ?」

「うん。……ん?ああ、理に聞いた?」

「愛しい、いとしいって心が叫んじゃってるんだろ?」

「うん」

「じゃあ戀だ。お前は理に戀してる」

「え、そうなの?」

 そうなの?じゃねえよ。

 思うだけで口に出さなかった自分を基は心の中で褒めたが、表情が語ってしまっていた。

 環は気にした風もなく、基に倣ってみかんに手を伸ばす。話を聞いていないわけではないが、あまり真剣に聞く気もないようだ。

 理の話題でもこの態度。基であっても口出し無用と思っているのかもしれない。基は理も環も大事だが、釈迦に説法する気はなかった。

「そうだ。つかもうメンドくせえからそういうことにしとけ」

「面倒くさいって言うなよ」

「例外はあるがな、人が恋するのは大概人だ。そんで、環が唯一愛してる人が理だってんなら、それが恋以外のなんだって言うんだっていう話だ」

「うーん?そういうもん?」

「そうだ。納得できないなら妄想してみろ」

「何を」

「自分が理以外の誰かを愛してるって想ってるとこ。もしくは、理がお前以外の誰かに愛してるって言われて嬉しいって笑ってるとこ」

 環のみかんを摘む手がピタリと止まる。基は珍しく地雷を踏み抜いたような、ゾクリとした薄ら寒さを感じた。

「何、その面白くない冗談」

「わあお、コワイカオ」

 顔を上げれば、環が一つも楽しくなさそうに美しく笑んでいた。キレた環は、機嫌を損ねた理の面倒くささの比ではない。

 このまま理のところにやったらいけない、と基の本能が警鐘を鳴らしているが、不思議と理性は冷静だった。

「その独占欲に名前を付けろ」

「恋って?」

「キラキラネーム的なボケも期待してたが、それで正解だな」

 キンキンに冷えたみかんは、コタツの上に数分置いたくらいではまだまだ冷たい。頭を冷やせ、とでも言うように、基はもう一つみかんを剥いて環の手元に置いた。

 しばし、考え込むように静かな目でみかんを頬張っていた環は最後の一房を口に放り込み嚥下して、柔らかく微笑んだ。

「あー……ね。そうだね」

「ん?」

「しっくりくるね、おれが理に恋してるって」

 そこに先ほどの凄みは微塵も残っておらず、環の慈愛の心が全部詰まったようなぬくもりがあった。

 年末特番の合間に、もう何度見たか覚えていない新春特番のC Mが流れる。

「……春だねぇ」

 理はとんでもないのに好かれたなあと、基はまた一つみかんに手を伸ばした。

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