傷みの重さ

翌日———道化師が差し向けた闇王配下の魔物の襲撃を受けたブレドルド王国は、多大なる被害を被っていた。

「あんたぁ……あんたぁっ……うっうっ……」

「お父ちゃあああん!うわあああああん!!」

一人の戦士の亡骸を前に泣き崩れる母子。その様子を見ていたヴェルラウドとスフレは沈痛な面持ちで見守っていた。

「酷い……どうしてこんな事に……」

痛ましい気持ちでスフレが呟くと、ヴェルラウドは再び自責と後悔の念に支配され、そして己の無力さと己の存在が招いた出来事による残酷な現実を痛感する余り涙を浮かべていた。多くの人と戦士が犠牲となり、破壊された建物や炎によって全焼した多数の住居。更に王は消息不明という状況で王国の人々は恐怖と不安を抱いていた。オディアンを始めとする戦士兵団は消えた王を探し求めるものの、王の姿は何処にもない。ヴェルラウドとスフレは大臣からの呼び出しで、謁見の間にやって来る。大臣は地下に避難していた故に魔物の襲撃から逃れられたのだ。

「陛下がいなくなり、王国が魔物によってこれ程の被害を受けるとは……一体何故このような事に……」

頭を抱えている大臣を前に、ヴェルラウドは俯いたまま暗い表情をしていた。

「やっぱりあのピエロの奴が王様を浚ったんだわ」

スフレは城の廊下で遭遇した道化師について話す。

「あいつはあたしが戦ったガルドフという男に力を与えた上に、闇王を蘇らせたって言ってた。王国が魔物に襲撃されたのも全部あいつが仕組んだ事だったのよ」

「ふむ……そのピエロは一体何者だというのだ?闇王を蘇らせたというのは……」

「わからない。ただ言える事は……闇王と深い関わりがあるのと、向かい合うだけでも凍り付きそうな恐ろしい邪気を放ってる奴、というのは確かよ」

スフレが淡々と話し終えると、オディアン率いる戦士兵団がやって来る。

「おお、オディアンよ。如何だったか?」

「ハッ、残念ながら陛下の姿はお目に掛かれませんでした」

「そうか……」

大臣は落胆しつつも、スフレに聞かされた事を全て話す。王国襲撃事件の黒幕であった謎の道化師の存在を知り、オディアンの表情が険しくなる。

「何という事だ……全てそいつの仕業だったという事か。スフレよ、それは真であろうな?」

「当たり前でしょ!こんな状況で嘘なんかつかないわよ!ね、ヴェルラウド!」

ヴェルラウドは返事せず、暗い表情のまま俯いている。

「ねえ、どうしたのよヴェルラウド。あんたも目撃者なんだから何か言いなさいよ」

「……黙っててくれ」

「はあ?」

「黙っててくれって言ってるんだよ!耳に響く」

俯いたまま拳を震わせ、怒鳴りつけるように返事するヴェルラウド。

「な、何なのよ……怒鳴らなくてもいいじゃない」

スフレは何とも言えない気まずさを感じて一歩引き下がる。

「スフレ、ヴェルラウド。お前達は一先ず賢王様のところへ行ってくれ。俺も事が落ち着いたらお前達の後を追うつもりだ」

オディアンからの一言。

「わかったわ。ヴェルラウドでも使えなかった神雷の剣の事もあるし、賢王様に報告しておくわ」

「うむ。お前達も気を付けてな」

事の全てをマチェドニルに報告すべく賢者の神殿に向かう事となったスフレは、ヴェルラウドに声を掛けようとする。

「……悪いが、暫く此処で一人にさせてくれ。今は行ける気分じゃない」

「え?」

ヴェルラウドが顔を上げると、その表情は憔悴しきっていた。スフレはヴェルラウドの表情を見て一瞬驚くが、すぐに気持ちを切り替える。

「ヴェルラウド、さっきから様子がおかしいんだけど……もしかして悩んでるの?今回の事で」

スフレが問うものの、ヴェルラウドは黙って見つめているだけだった。その沈黙によって辺りが重い静寂に包まれ、見かねたオディアンが一歩前に出る。

「気が進まぬのなら無理はせず休んでおけ。落ち着いた時に行くと良い」

オディアンの一言にヴェルラウドは黙って頷き、謁見の間から出る。

「あ、ちょっと待ってよ!」

スフレが後を追う。

「むう、ヴェルラウド殿は一体どうしたというのだ」

大臣が首を傾げる。

「何か只ならぬ事情があるのかもしれません。少し様子を見ましょう」

オディアンはヴェルラウドの事を気遣いつつも、大臣にお辞儀をして謁見の間から去って行った。



ヴェルラウドが向かった先は、寝泊まりで利用した兵士達の宿舎だった。

「何故付いて来たんだ。一人にさせてくれって言っただろ」

後を追ってきたスフレに対して冷たく言い放つヴェルラウド。

「いつまでも暗い顔しないでよ!まさか王国が魔物に襲われて王様がいなくなったのも全部自分のせいだと思ってるわけ!?」

思わず感情的になるスフレだが、ヴェルラウドは答えようとしない。

「あんただってわかるでしょ!?魔物を仕向けたのは全部あのピエロみたいな奴の仕業だって事を。全部あいつが悪いんだし、あんたが責任を負う必要なんてないじゃない!」

「やかましい!お前に何がわかるっていうんだ!俺は……俺は……」

八つ当たりするように怒鳴り散らすヴェルラウド。スフレは思わずヴェルラウドの頬を引っ叩く。

「……馬鹿よ、あんた。一人で悩んで自分を責めないでよ……あんたには、守れなかった人達の為にも果たすべき使命があるんじゃないの!?」

スフレの目から涙が溢れ出る。

「あの時言ったじゃない。あたしでよかったらいくらでも協力するって。あんたは……もう一人じゃないんだから……」

涙が止まらないスフレは嗚咽を漏らしつつもその場を去る。ヴェルラウドは痛む頬を抑えながらも、涙ながらに去り行くスフレの後ろ姿を見つめていた。



馬鹿だ。スフレの言う通り、俺は本当に馬鹿だ。


俺がいたせいでこの国も魔物の手に掛かり、多くの人が犠牲になった。


俺のせいで犠牲が出るのはもう沢山だ。もう、誰も死なせたくない。それに、俺にはサレスティル女王を助ける使命がある。


その為にも、この剣を……お袋ですら使いこなせなかったこの剣を、俺が使えたら……。



ヴェルラウドは背中の鞘に収めている神雷の剣を手に取り、振り下ろそうとする。だがその瞬間、全身に重りが襲い掛かり、剣から激しい電撃を受ける。

(ぐっ……何故だ……何故使わせてくれないんだ……!)

諦めずに剣を使おうとするが、重りで身体が言う事が聞かず、激しい電撃で全身が痺れてしまい、身動きが取れなくなった。

「くそっ……たれ……」

剣を床に落とし、膝を付いてしまうヴェルラウド。

「おい、どうしたんだあんた?大丈夫か?」

通りがかった兵士が声を掛ける。

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

何事もないように振る舞うヴェルラウドだが、痺れのせいで身体を起こす事すらままならない状態だった。

「何があったか知らんが、無理はよくないぞ。手を貸してやろうか?」

「あ、ああ……すまない。ならば一人で落ち着ける部屋に連れて行ってくれないか。今は一人にしてほしい気分なんだ」

「そうか、わかった。理由は聞かないでおくよ」

兵士はヴェルラウドを個室部屋に案内する。部屋は簡易なベッドと椅子、丸テーブルが置かれた狭く質素なものだった。ヴェルラウドは兵士に礼を言うと、部屋に置かれた椅子に座り、ぼんやりと天井を眺めていた。



その頃、道化師は亜空間にいた。傍らにはゲウドと倒れているバランガがいる。

「ヒッヒッ、こやつも改造用の素材となるわけですかな?」

ゲウドが嫌らしい笑みを浮かべながら言う。

「そうだな……貴様の好きにするがいい。こいつも所詮闇王に与えたガラクタのようなものだ」

「なるほどのう……ヒッヒッヒッ」

道化師は動かないバランガを見下ろしながらも闇の瘴気が発生している玉を取り出すと、ゲウドとバランガは徐々に玉に吸い込まれていく。更に道化師は口から紫色に輝く光球を吐き出す。光球は魂のように浮かび上がっている。

「ブレドルド王の魂……流石は剣聖の王と呼ばれているだけある。こいつでも十分だと思うが、もう少し汚染させる必要があるか」

光球は、道化師によって浚われたブレドルド王の魂であった。ブレドルド王の魂を元に、闇王の完全な復活に必要とされる暗黒の魂を作り出そうとしているのだ。光球状の魂は道化師の力によって既に暗黒に染まっており、邪悪な光を放っていた。

「クックックッ……楽しませてくれよ。闇王」

魂を見つめつつも、道化師は歪んだ笑みを浮かべていた。



夢の中、ヴェルラウドは何処とも知れぬ場所に一人で歩いている。そこは何もない真っ白の空間。そんな場所を、ずっと歩き続けている。二つの人影が見える。見覚えのある後姿———一人は懐かしき父の姿、ジョルディス。もう一人は、生まれた頃から既にこの世を去っていた母の姿……エリーゼだった。



父さん……母さん……?



ヴェルラウドの呼び掛けに応えるように振り返った父と母は、優しい笑みを浮かべていた。だが、その姿はうっすらと消えていく。



今のは紛れもなく父さんと母さん……俺は……一体何処にいるんだ。



再び歩き始めると、またも二つの人影が見える。人影は———クリソベイア王とリセリア姫だった。



陛下……姫様……!



穏やかな表情を見せるクリソベイア王とリセリア。ヴェルラウドが呼び掛けようとした瞬間、二人の姿はうっすらと消えて行った。二人の姿が完全に消えると、もう一つの人影が現れる。人影の正体は、シラリネだった。



シラリネ……!



ヴェルラウドが近付こうとすると、シラリネは涙を浮かべながら駆け寄っていく。その華奢な身体を抱きしめようとした瞬間、シラリネの姿が突然変化していく。その出来事に思わず立ち止まると、変化したシラリネの姿は邪悪な気を放つ道化師になっていた。目の前にいる道化師は残忍な笑みを浮かべながらも、禍々しいオーラに包まれた手を差し出す。その手が光ると、ヴェルラウドの身体は一瞬でバラバラに引き裂かれ、大量の血飛沫によって辺りは真っ赤に染まっていった。



———オ前ハ、モウ誰モ守レナイ。オ前ノ大切ナ者ハ、オ前ノセイデ失ッタ。オ前ガ、無力ダカラダ。


———ヴェルラウド……オ前ハ、無力ナノダ。




「っああぁぁっ!はぁっ……!」

うたた寝による夢から覚めたヴェルラウドは、顔が汗に塗れていた。懐かしい人々の姿が自身の前に現れてはすぐに消えていき、道化師によって惨殺されるという悪夢は、鮮明に脳裏に焼き付いている程だった。

(何だ、この恐ろしい夢は……。一体どうなってやがる……)

夢の出来事を忘れようと頭を振るが、その記憶は消えようとしない。ヴェルラウドは顔の汗を拭い、風に当たろうと部屋を出る。

宿舎から出た時、外は夜になっていた。涼しい風が吹きつける夜の城下町は、魔物の襲撃によって多くの住居や建物が破壊された影響で暗い状態だった。人通りの少ない夜の町を歩くヴェルラウドは、橋の上で流れる小さな川を眺めながらもシラリネのペンダントを胸ポケットから取り出す。

「シラリネ……俺のせいで、また犠牲を生んでしまった。君は今、天国で俺を見守っているのだろうか……」

思いのままに呟くと、ヴェルラウドやサレスティル王国を救う為に自らの胸に剣を突き刺し、命を絶ったシラリネの姿が頭を過る。掌にあるペンダントを強く握り締めながらも、ヴェルラウドは流れ行く川と夜の星空を眺める。

「父さん……母さん……陛下……姫様……もし天国で俺を見守っているなら……全てのものを守れる力を貸して欲しい。そして、この剣を……!」

ヴェルラウドは背中の神雷の剣を再び手に取り、振りかざすと全身に重りが襲い掛かり、激しい電撃に襲われて倒れてしまう。

「くっ……!」

再び剣を使おうとするものの、全身の重りと重なった二度目の激しい電撃はかなりのダメージとなり、これ以上使用すると自殺行為に等しい程であった。

「クソがッ!」

電撃で身を焦がし、苛立つヴェルラウドは剣を地面に叩き付ける。

「この剣が使えないとならば、どうすればいいんだ……この剣がなければ……」

途方に暮れるヴェルラウドはそっと剣を手に取り、背中の鞘に収める。静まり返る中に吹き付ける突風が、何ともいえない空しさを漂わせていた。

「此処にいたのか」

声を掛けてきたのは、オディアンだった。ヴェルラウドは無言で振り返る。

「スフレから事情は聞いた。お前も、色々苦労していたようだな」

静寂の中、吹き荒れる風。オディアンはヴェルラウドの隣に歩み寄る。

「国王陛下は……ブレドルド王はどうなった?」

「……未だにお目に掛かれぬままだ」

「そうか」

王の姿がまだ発見出来ていない事を聞かされたヴェルラウドは少し項垂れ、右手の拳を震わせる。

「……俺は怖かったんだ。俺がいるせいで人が殺されたり、国が滅ぼされたりするのを恐れていた。祖国であるクリソベイアが滅ぼされたのも俺がいたからだった。国王陛下と姫は……俺の目の前で……」

オディアンに抱えていた想いの全てを吐露するヴェルラウド。

「この国も、俺のせいでこんな事になってしまった……。俺を恨むなら恨んでくれても構わない。俺に出来る事なら何でもするつもりだ。その為に俺は、この剣を……」

オディアンはヴェルラウドの背中に収まっている神雷の剣を見つめる。

「神雷の剣は……やはり使えなかったのか」

「……ああ」

「少し貸してくれないか」

ヴェルラウドは剣を差し出す。オディアンはそっと剣を手に取っては両手で力強く握り、素振りを始めた瞬間、大きな重りが襲い掛かると同時に強烈な電撃を受けてしまう。

「クッ……これ程までとは。この剣は思った以上に並みの人間が扱えるものではないな」

オディアンは思わず剣を地面に落としてしまう。ヴェルラウドは地に落ちた剣を拾い、刀身を凝視する。

「……俺は諦めない。もうこれ以上、犠牲を生みたくないんだ」

ヴェルラウドの真剣な眼差しに、オディアンは不意に何かを感じ取る。その瞳から、誇り高きクリソベイアの騎士ジョルディスとブレドルドの英雄エリーゼの意思が宿る力を感じたのだ。

「ヴェルラウドよ。その意思が本物ならば、過去と自責に囚われるな。我々は決してお前を恨むような事はしない。お前にも、騎士として果たすべき使命があるだろう」

オディアンが静かに振り返る。

「……明日、スフレと共に賢王様の元へ向かう。来るなら己の気持ちにけじめをつけてから来い。いいな」

そう言い残し、その場から去ろうとするオディアン。

「待ってくれ」

ヴェルラウドが呼び止める。

「……一つ、手合わせしてくれないか?あなたの剣と、俺の剣で」

「どういう事だ?」

「けじめをつける為だよ。ダメか?」

「……いいだろう」

ヴェルラウドが腰の剣を抜くと、オディアンは背中の両手剣を取り出す。

「行くぞ」

「ああ」

両者が構えると突撃し、激しく剣を交える。橋の上で繰り出される二人の騎士による剣の手合わせを建物の陰でこっそりと見守っている少女がいた。少女は、スフレだった。



夜が更け、宿舎の一室に戻ったヴェルラウドは汗に塗れ、ベッドに横たわる。

「オディアン……あの人は強い。あの人の剣には、一寸の迷いも無い。だからあれだけ強いのかもしれん……」

手合わせでオディアンの剣を受け止めた時、ヴェルラウドはその攻撃に迷いや葛藤等の感情が含まれていない、騎士として戦う使命や強固な意思そのものが露になった強さを感じ取っていた。

「俺には弱さがあったんだ。あの時の忌まわしい出来事があまりにも重すぎたせいで、過去や自責に囚われてしまう心の弱さが。それを乗り越える事が出来たら……」

己を省みながら天井を見つめていると、再びシラリネのペンダントを手に取る。ペンダントに嵌め込まれたルベライトが照明の光によって赤く輝いて見えると同時に、シラリネの優しい笑顔が浮かび上がる。シラリネはいつでも心の中に存在する。己の行くべき道に迷い、思い悩み、苦しむ事があっても、心の中のシラリネが自身に光を与えてくれる気がする。シラリネだけではない。自身の目の前で死した父ジョルディス、クリソベイア王、リセリア姫———。



俺はまだまだ弱かった。俺が神雷の剣を使えない理由は、もしかすると俺自身の弱さも関係しているのかもしれない。

かつて親父は言っていた。人は誰しも、何らかの弱さを抱えている。その弱さを乗り越えた時が真の強さを得るものだと。



だが俺は、決して一人じゃないんだ———。

俺には、騎士として果たすべき使命がある。だからこそ、後ろを向いてはならない。




夜が明けると、スフレとオディアンは謁見の間で大臣と話していた。

「賢王殿でしたら何か方法を知ってるかもしれませんなぁ」

「ええ。王様がいない今では賢王様に頼るしかないからね」

二人は報告と共に、神雷の剣が使える方法をマチェドニルに聞き出そうとしているのだ。

「ところで、肝心のヴェルラウド殿は?」

「あー……多分もうすぐ来るんじゃないかしら。まさか逃げるなんて事はしないと思うけど」

スフレはヴェルラウドに直接会わず謁見の間に来てしまった故、ヴェルラウドが来ていない事を若干気に掛けていた。大臣との会話を終えた瞬間、大扉が開く。現れたのは、ヴェルラウドだった。

「ヴェルラウド!」

「悪いな、遅くなって」

スフレは安心した様子を見せる。ヴェルラウドの表情は既にけじめを付けたものになっていた。

「それでは大臣、我々は行きます」

オディアンが挨拶をすると、一行は謁見の間を後にする。

「スフレ、昨日はすまなかった。ついあんな辛く当たっちまって」

「そんな事気にしてないわよ!で、頭を冷やしてきちんとけじめは付けたの?」

「あぁ……俺に出来る事があれば、何だってやるつもりだ。何だって、な」

詫びるヴェルラウドを前に、スフレが思いっきり顔を近付けて人差し指を立てる。

「だったら約束して。これから何があっても、もう自分を責めたり過去に囚われたりしないって。あんたは決して一人じゃないから」

「ああ、わかったよ」

「約束破ったらこのスフレ式魔法フルコースのお仕置きだからね!いい?」

「わかったわかった」

「ま、泣きたくなったら一回だけ特別に胸貸してやるわよ」

「はあ?」

「馬鹿ね、ジョークよ」

調子のいいスフレにやれやれと顔が綻ぶヴェルラウド。そんな二人の様子を、オディアンも表情を綻ばせていた。王国を出て、賢者の神殿へ向かう一行。その途中で魔物が襲い掛かるものの、一行は軽く退ける。数十分後、一行は賢者の神殿に辿り着いた。門の扉を開き、神殿の中へ入ると、賢人の姿はなく静まり返っていた。

「え……誰もいない!?」

不気味な程静まり返った神殿内には人の気配も感じられない。

「まさか、ここでも敵の手が……!?賢王様!」

不安を覚えた一行は大急ぎで大祭壇の間に入ると、マチェドニルの姿もなかった。

「う、うそでしょ……賢王様まで、どうなったっていうのよ!?」

ますます不安を募らせながらも一行は辺りを探り始める。

「おお、誰かと思えばお前達か」

突然辺りに響くように聞こえてくる声。マチェドニルの声だった。

「け、賢王様!?」

「無事で戻って来たようだな。今わしらは身を潜めておる。三人揃って祭壇の上に来るが良い」

一体どういう事だろうと思いつつも祭壇の上に登る一行。すると祭壇が突然下降し、エレベーターのように地下に降りていく。

「キャー何これ!?祭壇にこんな仕掛けがあったなんてー!?」

予想外の出来事に驚く一行。下降した祭壇が止まると、一行が見たものは地下深くに設けられた大広間であった。中心部には青い炎が灯された巨大な燭台が設置され、神殿に住む賢人達もいる。

「ふっふっふっ、まさかの仕掛けに驚いたじゃろ」

そう言って現れたのはマチェドニルだった。この場所は先代の賢王が密かに設けていた地下広間であり、緊急避難用として使われているものであった。

「近いうちに恐ろしく邪悪な存在がこの地に現れる予感がしたものでな。それでこの秘密の地下に全員避難していたのじゃ」

「もう、ビックリするじゃないですか!まさかこんなところがあったなんて」

秘密の地下広間の存在を知る者はマチェドニルのみで、神殿に住む賢人やスフレですら知らなかったという。スフレは事の経緯を全て話すと、マチェドニルの表情が険しくなる。

「ヴェルラウドにも神雷の剣が使えなかったというのか……。闇王の元へ向かうには神雷の剣が必要だというのに、このままでは……」

途方に暮れるマチェドニルは燭台の炎を見つめる。

「……いや。方法が無いわけでは無い」

「え?」

マチェドニルは咳払いをする。

「氷に閉ざされた大地……そこには試練の聖地と呼ばれる場所があるらしい」

試練の聖地———それは、世界の最北端にあるチルブレイン大陸の氷に閉ざされた大地に存在する聖地と言われており、古の時代、戦女神たる者が聖地での試練によって己の全てを鍛え、冥神に立ち向かえる力を得たと伝えられている場所であった。人々の間では並みの人間では到底立ち入り出来ないという伝説の地とされており、グラヴィルやエリーゼを始めとする闇を司りし者達に立ち向かった歴戦の戦士ですら足を踏み入れた事がないという。マチェドニルは聖地での試練を乗り越えた事で戦女神は力を付けたと同時に、神雷の剣を手にする資格を得たものだと推測していた。

「我々にとっても未知の領域である試練の聖地では、古の戦女神が試練を受けた事で力を得たと言われておる。もしかするとそれによって神雷の剣を……。もし聖地が存在し、その試練を受ける事が出来たら……」

「なるほど、だったらその試練の聖地に行ってみましょう!ね。二人とも!」

スフレの言葉にヴェルラウドとオディアンは無言で頷く。

「うむ、お前達ならそう言うと思っておったぞ。だが、このわしでも訪れた事がない上、並みの人間では立ち入り出来ない場所と言われているだけに何があるかわからぬ。心して行くが良い」

「勿論です!何があろうとも、私達は絶対に負けません!」

力強く答えるスフレ。目的地が決まった一行はマチェドニルや賢人達に見送られながらも神殿を出ると、スフレは笛を吹いて飛竜のライルを呼び出す。

「……またこいつに乗るのか?」

ヴェルラウドが渋い顔をする。

「当たり前でしょ!今度の旅はずっと遠いところになるのよ!」

「そ、それもそうだが……」

「はいはい、つべこべ言わずに乗った乗った!」

スフレに言われるがままに、恐る恐るライルの背に乗り込む。全員が乗ると、ライルは鳴き声をあげつつ翼を広げて飛び立った。飛竜の背中に乗った空の旅には不慣れで落ち着けないヴェルラウドをオディアンがしっかりと抑え、ライルはスフレの指示で勢いよく飛んで行く。あっという間に陸を離れ、広大な海の上を空高く飛んでいた。



戦女神の力が備わったというこの神雷の剣を扱えなかったお袋と俺には、戦女神の裁きの雷光と呼ばれる赤き雷の力が備わっている。

お袋と俺がこの剣を使えないのは、人間だから使えないのか。それとも、己自身に足りないものがある故にその資格がないという事なのだろうか。


だが、今は進むべき道を進まなくてはならない。例え僅かな可能性でも、それを信じて前に進まなくてはならない。

俺には果たすべき使命がある。もうこれ以上、俺のせいで犠牲を生みたくない。



全ての災いの元凶を絶つ為にも、俺は戦う。俺は、もう一人じゃないのだから———。




海を渡る一隻の定期船。潮風が吹く中、一体の飛竜が上空を通り掛かる。船のバルコニーに佇んでいるのは、ラファウスだった。

「風が……妙に気になりますね」

潮風の流れに何らかの予感を覚えたラファウスは船内に戻ろうとする。

「うっぷ!ぐおえええぇぇっ……」

船酔いしたメイコがバルコニーで勢いよく嘔吐していた。

「……大丈夫ですか?」

メイコに声を掛けるラファウス。

「あ、ラファウスさん!見ての通り、船酔いしちゃいましてぇ……もしかして、ゲボ吐くとこ見ちゃいましたぁ?」

「船酔いでしたら横になった方がいいですよ」

「そ、そうですね!ではでは、到着したら教えて下さいね~……!」

フラフラと船内に戻っていくメイコ。ラファウスはバルコニーで潮風を浴びながらも、水平線を見つめていた。


船内の客室では、レウィシアがルーチェを膝枕しながらも本を読んでいた。客室の本棚に置かれていた歴戦の戦士の伝記に関する本であった。ルーチェはレウィシアの膝の上で気持ちよさそうに眠っている。室内で静かに読書して過ごしていると、客室のドアをノックする音が聞こえてくる。部屋を訪れたのは、ラファウスであった。

「あら、ラファウス。どうしたの?」

「レウィシア。もうすぐ到着するようです。そろそろご準備の方を」

船は、間もなく水の王国アクリムの領土となる大陸に到着しようとしていた。

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