デイドリームビリーバー

坂崎淳

はじめに

授業終わり、誰かが話している声が聞こえた。市役所と県庁の今年の募集が発表された。インターンシップの募集が始まった。今度〇〇に説明会に行ってくる。・・・耳に入ってくる言葉を左から右に聞き流した。いや、聞き流したというより、なんとかして耳を塞ごうとしたけど、できなくて、聞いてしまったけど考えようとしなかっただけだ。多少暑くなってきた7月の夕方、気に入って買ったリーバイスのジーンズと、昨日洗濯したばかりの白いTシャツを着たありきたりな大学生の僕は、他の生徒よりも少しだけ足早に、授業の終わった講義室を出た。最近になって、こんな言葉をよく聞く。みんな焦っているらしい。大学3年になれば、こんな話をするのはごく当たり前のことか。ラーメン屋でラーメンを頼むように、前に進むために足を前に出して腕を振って歩くように、その年齢になればそのことを考えるのは当然のことなのだ。ただ、そのことは考えたくない。周りからしたら自分は、ラーメン屋に入って何も頼まない、訳の分からない客なのかもしれない。ラーメン屋で何も頼まずに水を飲む自分自身を想像して、少しだけ笑ってしまった。大学からの帰り道、誰にも話しかけられたくなくてはめたイヤホンからは何も聞こえない。イヤホンの上から、隣を走り抜ける自転車の音が聞こえた。何も考えずに僕は家の鍵を開けた。音の無い、西日が差し込む部屋にまた帰ってきた。

テレビやラジオに出る人になりたい、そう思ったのは中学生の頃だったろうか。思春期のガキが考えそうな安直な夢を、成人したいまも愚直に追う僕みたいなヤツを、世間は(少なくとも僕の親をはじめとした人たちは)馬鹿だといって笑う。人間は自分たちの常識から外れたものを見て、真っ先に優越感を得て、軽蔑する本能があるらしい。人を否定することで自分自身を正当化しようとするのを、最近のSNSでよく見かける。ただ、最近はもう馬鹿だとすら言われない。どうにかして定職に就かせたいらしい。親とはもうそんな話をすることもなくなった。そろそろ諦めたと思っているだろうが、全くそんなことはない。それくらい、僕は馬鹿なんだ。


周りの話に入っていけない日々が続く。「一般就職目指してんだよね?何系?」僕にとって世界で一番嫌な質問が飛んでくる。答えに詰まる。だいたいそれを聞いてなんになるんだ。まだ叶ってもない希望の有無を問いただしたところで、なんにも生まれないのに。だいたい、答えたところで大したリアクションもしないくせに。当たり障りのない返しを考えに考えて、最近は「メディア系」という、正解でもなければ不正解でもない答えを用意した。東京でテレビとラジオのレギュラーを持つタレントになりたいんだ、なんて口が裂けても言えたもんか。馬鹿にされるのが怖いんじゃない。そんなことを言って、それに対して一歩も踏み出していない自分を見つめ直したくないだけだ。他の学生に対する反感の源はここだ。決して、“普通の”就職をする人を馬鹿にしているとかそういうわけではなくて、一歩を踏み出している周りと、踏み出していない自分を半強制的に比べなければならない状況が嫌なのだ。心の中では高らかに叫んでやりたいとすら思っているが、できるわけがない。本当は言いたいけれど自分に劣等感を感じて言えないという状況は、僕にとっては何よりも苦痛なことだった。本心を押し殺して、その場を去った。飲み物を買いたいとか、適当な理由をつけて。


こんな僕だって、なにもしてこなかったわけじゃない。高校の時、地元のラジオに出演した。30分、自分が愛するラジオの魅力について喋ったことがある。身近な友達は僕の夢を知っている。ただ、この夢の最も難しい点は、努力の方法論を誰も持っていないことだ。どうしたら夢を叶えられるのか、知っている人があまりに少なかったのだ。捻られたなぞなぞよりも、ふとした日常の疑問よりも、当時繰り返し繰り返し解きまくっていたセンター試験の過去問よりも、難関校の二次試験の問題よりも、何よりも難しくて、何よりも知りたい答えだった。そんな状態の僕からしたら、そのラジオのブースにいる人すべてが、答えのない正解を知っている貴重な人たちであったから。すがりつくように質問した。どうしたらその世界に踏み込むことができるのか、真っ先になにをすれば良いのか。ただ、返ってきたのは意外な答えで、「やりたいということを貫くこと」という、滅茶苦茶に曖昧なものだった。ブースを出るとき、夢の世界に片足だけでも踏み込めたんじゃないかという高揚感と、二歩目を踏み出すための答えがさらに遠くにいってしまったような迷いとで、複雑な感情だったのを鮮明に覚えている。当時履いていたスタンスミスはもうボロボロになって捨ててしまったけれど、あのとき持っていた複雑な感情は捨てられないまま、いまだに二歩目を踏み出せずにいた。

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