第10話 ギャルと園児と小学生
「おい、なゆ。どうしたんだよ」
僕は慌てて那由多を制する。
那由多はよくできた妹だから、初対面の人に失礼なことを言ったりする子じゃない――カコの格好については同意ではあるけれど。
「だ、だってっ!」
那由多はかぁっと顔を赤くすると、膝の上で拳を握りしめて叫んだ。
「お兄ちゃんがどこまで堕ちても、なゆはお兄ちゃんの妹だけど、でも、堕ちていくのをほったらかすわけにはいかないの! 霞さん! お兄ちゃんに変なぷれいをきょーよーするのやめてください!」
那由多はテーブルの上の薄い本をばん、と叩く。
「あ、そういうことね……」
そうか。那由多はこの薄い本を僕に貸したのはカコだと勘違いしてたのか。それで、その薄い本と同じ格好をしてやってきたカコを見て、それがプレイの一環だと思った、と。そういうことか。
「ぷれい」って言う小学四年生の行く末に一抹の不安を感じなくもない僕だったけど。
「いやごめんこれはカコのじゃなくって……ねえ、カコ」
「……無理が……ある……無理が……」
「あの、カコさん……?」
カコは暗い顔でぶつぶつ繰り返すだけで、まるで話を聞いていない。
突然がばっと顔を上げると、切実な様子で僕に問いかけた。
「ねえ、イチロー! イチローも私には無理だと思ってるの!?」
「無理だというか、その、無理しなくていいんじゃないかと」
僕は引き気味に答える。カコははぁっ、と額に手をついて悩ましげな吐息を漏らした。
「どうして……どうしてそんな難題を突きつけてくるの……」
全っ然、突きつけてませんけどね。
「はっ」
「ひ、ひぃっ」
なにかを思いついたように、今度は那由多を振り返るカコ。本能的に恐怖を感じたのか、那由多の悲鳴が短く響いた。
「イチロー。那由多さんだったら、この格好も無理じゃない?」
え。
小学四年生の那由多が園児コス? うーん、まぁアリなんじゃないだろうか。
「そう……だね」
「なゆ、しないからね!」
「わかってる」
まだ薄い胸を抱くように身をよじる那由多に、僕は本の中身のことを考えないようにして答えた。
「私と那由多さんの違い……いったいどこになんの違いが……」
真剣な様子でぼそぼそとつぶやくカコ。声が小さくてよく聞き取れないけど。
「よし」
カコは小さくつぶやくとキャップを脱ぎ、まるで今までの苦悩がなかったかのように那由多に笑いかけた。
「ごめんなさいね、那由多さん。変なこと言って」
「う、ううん。平気です。あたしの方こそ失礼なこと言ってごめんなさい」
謝られると反射的に自分も謝る、できた小学四年生。なんだかわからないけど、カコが謝ったことで事態は収拾に向かいそうだった。
「ほんとにごめんなさい。休日に突然押し掛けて。いろいろ用事とかあったでしょう?」
「いいんですいいんです。別に用事もないし、暇してたところですから。あたしも霞さんに会えて嬉しかったですし」
深々と頭を下げるカコに慌てて手を振る那由多。だが、顔を上げたカコの瞳は捕食者のようにきらりと輝いていた。
「那由多さんは今日は別に用事もなくて暇なのね?」
「え、ええ」
那由多の顔に警戒の色が浮かんだものの、時はすでに遅かった。
「良かったぁ。じゃあぜひ、これからお詫びを兼ねていいところに招待させて」
「は?」
「ちょうどチケットが余ってるし、お金の心配はしなくていいわ」
「え、ええ? あたしが、霞さんと、今からですか?」
「もう一人あたしの友達も来るけど、とってもいい子だから心配いらないわよ」
急転直下の展開に那由多は「えっ、えっ」とうろたえ、すがるような目で僕を見る。
「あーえーと、じゃあ僕も一緒に……」
「残念だけど、イチローと一緒にいっても中では別々になっちゃうから今日は女の子だけで、ね」
カコは両手を合わせると、眉をハの字に寄せてごめんね、と片目をつぶって見せた。
「でもよかったあ、那由多さんが今日用事がなくて暇で」
「くっ」
自分の失言を悔やむように俯く那由多。その一方でカコは嬉しそうに「ねっ」と僕に首を傾ける――園児レイヤーの格好で。
「い、いいんじゃないか、なゆ。なかなかない経験だと思うよ、うん」
「なかなかない経験だからって、経験したいとは限らないよお兄ちゃん……」
「ほら、じゃーん」
カコは園児バッグからチケットを取り出した。
「スパの一日フリーパスチケット。岩盤浴もあるし、女の子同士で楽しもうね!」
那由多がちらりと恨めしげな視線を向ける。
すまん、那由多。不甲斐ない兄で、ほんとにすまん。
僕は手刀を切るように那由多に謝る。那由多は覚悟を決めたのか、こっそりため息を漏らすと表情を変えた。
「じゃあすいません、霞さん。すぐ着替えてくるのでちょっと待っていてもらえますか」
なんだかんだで那由多は肝の据わった、できた妹なのだ。
那由多の承諾をとりつけたカコは嬉しそうに笑う。
「うん、待ってるね。あと、私のことはカコお
「カコおねえちゃん……ですか?」
戸惑ったように訊き返す那由多。なんか不穏な響きが含まれていたような気がしたけれど。
「嫌だったらママでも」
「なんで!?」
「あーあーあー、カコお姉ちゃんでいいよな、なゆ。な! な!」
「……お兄ちゃん、お兄ちゃんがどんなに堕ちてもなゆはお兄ちゃんの妹……だよ……ね?」
那由多の言葉は疑問形に変わっていた。
そしてそれから一時間後。
『なにが起きてるんだ、おい。まったく理解が追いつかないんだけど!』
ポルナレフのスタンプとともに送られてきたミクのメッセージを華麗に既読スルーする僕だった。
*
その日の夕方。
「お兄ちゃん、なゆは、なゆは生まれて初めて、恐怖とゆーものを知りました……」
カコに送られて帰ってきた那由多は、僕の部屋にやってくるなり、そう切り出した。スパの効果か、もともと張りのある艶やかな肌がいっそうぷるんぷるんしているのに、その表情は浮かない。
「なにがあったんだ、なゆ」
「なにがあったか……そうですね、なにもなかったですよ……なにもあるわけないじゃないですか……」
「そ、そうか。じゃあよかったじゃないか」
「『よかった』の水準が低すぎませんかね、お兄ちゃん」
僕はなにも言い返せずに沈黙する。カコと付き合うようになって、いろいろ今までの常識が崩れているのは確かだ。
「そ、そうだ。ミクにも会ったんだろ」
「ええ、そうですね。ミク
なにがあったんだ? いや、なかったと言ってるんだからなかったんだろうけど。
「お兄ちゃん。ミク姐さんと付き合えばいいのに」
「ば、ばっか。なに言ってんだよ。ミクはただの友達だし」
「おっぱいもおっきいし、それなのにきゅっとくびれててすんごくスタイルいいの。ないすばでぃってあーゆーのを言うんだなあ、って思ったよ」
「そ、そうか」
僕は想像力の解像度を一時的に落として答える。キスだけでなくその先も、という約束をしてる僕にとって、それはとても刺激的な情報のはずだけれど。
「それにね、怖い人かと思ったら全然そんなことなくって、すっごく気をつかってくれて。お邪魔虫のあたしにいろいろ話しかけてくれたりしたの」
「へえ、なに話したの?」
「学校の話とか……お兄ちゃんの話」
「僕の?」
意外な気がした。でも、那由多との共通の話題といえば必然的にそうなるか。
「なんか微妙な感じだな。自分のいないとこで自分の話をされるのって」
「お兄ちゃんの好きな食べ物とか、嫌いなこととかいっぱい訊かれた」
どうせ、なにかまた碌でもない悪魔のプランの参考にするつもりだろうけど。
「それで、スパはどうだった?」
「うん、気持ちよかった! 一番楽しかったのはドクターフィッシュっておさかなでね!」
那由多は表情を明るくして答えた。なにもなかったのに感じた恐怖、は気になるけれど、わざわざ思い出させる必要もない。僕は初めてのスパ体験を興奮気味に報告する那由多の話を、相づちを打ちながら聞いていた。
そのとき、机の上のスマホが鳴動した。
那由多はそれに気付くと、「じゃあね、お兄ちゃん。もうすぐご飯だから」と話を切り上げて僕の部屋を後にした。少し話をして気が紛れたのか、いつもの那由多に戻っていた。
『なゆちゃん大丈夫そう?』
スマホにはミクからのメッセージが表示されていた。
『大丈夫……なのかな? なにもなかった、て言いつつ暗い顔してたけど、今は少し元気になった』
『そ。よかった』
『なにがあったの?』
『なにもなかったけど……今度話す』
やっぱりなにか……なにかあったんだろう。那由多の話から想像するに、きっとそれはミクのおかげで未遂に終わった――そういうことなんだろう。
『ありがと、ミク』
大好きなカコと二人きりの休日だったはずなのに、そこに子供が混ざり込んで来たのだからミクの心情も穏やかではなかったはずだ。
それなのに、こんな気遣いまでしてくれるミクに自然とお礼の言葉が出た。
メッセージにはすぐに既読マークがついたけど、いつまで経っても返事は来なかった。
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