10  依存の副産物


     依存いぞんの副産物




   ■受信トレイ■

   □<未開封> エリカ  2003/09/07 00:12

   □<未開封> まゆみ  2003/09/07 00:05

   □<未開封> まゆみ  2003/09/06 23:36

   □<開封>  岡部恭子 2003/09/06 20:17

   □<開封>  まゆみ  2003/09/06 20:04

              :

              :

              :


(・・・・・)

 涼介は自宅の在る八階で止まろうとするエレベーターの滑らかな感覚を合図に、眺めていた受信トレイの画面を閉じた。

 車を降りた後、駐車場を歩きながら涼介は携帯電話の電源を入れ、一階のエントランスでエレベーターを待つ間にセンターへの問い合わせを済ませていた。

(・・・・・)

 目の前に長く延びている室内共用廊下に遠慮がちに靴音を響かせ、右手に持ったままだったキーケースのぼたんを玄関ドアの前で弾き、涼介は鍵をシリンダーに差し込んだ。

(長い一日だったな・・・)

 受信していたメールを開く事無くエレベーターを降りていた涼介は心の中でそう一言呟ひとことつぶやき、外気より少し温度が低いホールの明かりを点け、一人暮らしには広過ぎるリビングに向かい上着をソファーに投げた後、コーヒーをドリップする為にキッチンへ行った。

 マンションのキッチンには少し大き過ぎるガラスのダイニングテーブルの上に置いてある電話からファックスされた紙が二枚滑り出ていた。メッセージが録音されている事を知らせるランプも点滅していた。

(・・・・・)

 涼介は冷蔵庫に並ぶボルビックを一本取り出し、一口唇ひとくちくちびるに当て、残りをコーヒーメーカーのカップに注ぎ、テーブルの上に出しっ放しだった少し深煎ふかいりのコーヒー豆を粉砕ふんさいし始めた。

(・・・・・)

 涼介はくだかれたコーヒーの香りに自宅に戻って来ている事を実感していた。そしてその実感にもっと深くひたる為に粉をペーパーフィルターに移し、コーヒーメーカーの電源を入れ、自分に宛てられた全ての連絡に背を向けてバスルームに向かった。

「ぬるいな・・・」

 涼介は歩きながら、直視すべき恋愛を育てる事に不得手ふえてな自身のな恋愛体質をなげいた。

(もう一度だけ会わせて欲しい・・・)

 たとえ残酷な現実が待っていようとも、涼介はマキとの再会の場面を事あるごとに意識し、せた思い描き、受け入れる準備をしていた。

 涼介は世の中に偶然など無いと信じていた。もし神様がマキとの再会を贈ってくれるのならば、それは必然であり、その必然という〝縁〟の場面を丁寧ていねいに受け取り、心にからまり続ける一つの恋愛にけじめを付けたいと思っていた。

(・・・勝手だな・・・)

 涼介はユーティリティの壁に張り付いた鏡に向かい合い、自分の表情ににじみ出ているしみったれた心を軽蔑けいべつ眼差まなざしで凝視ぎょうしした。


 シャワーから出て来た涼介はドリップの終っていたコーヒーをマグカップに入れ、ミルクを落とし、ダイニングテーブル用の椅子とは別に一脚だけ置いてある銀黒の皮でおおわれた背凭せもたれの大きいエグゼクティブチェアに座り、ノートパソコンの電源を入れた。

 受信トレイには魚町店と紺屋町店の店長から冬季限定デザートのサンプル画像5枚と、恭子から新商品の開発に関する会議用資料が送信されて来ていた。

(・・・今やっとかなきゃ・・・だな・・・)

 涼介は2時間前まで一緒に居たまゆみではなく、マキにせた想いの余韻よいんを区切った。

 ダイニングの明かりはまぶしい程に涼介を照らしていた。

 リビングに敷かれたコルクの床には涼介の影が長くはっきりとかたどられていた。

 涼介はコーヒーを飲みながらサンプル画像を一枚一枚液晶に映し、各画像に対して書き込まれているコンセプトを客観的に吟味ぎんみしながら意見や提案を添付する作業を始めていた。


(こんなとこかな・・・)

 涼介は煙草に火を点け、まだ一杯分程保温されていたコーヒーをカップに注ぎ、チェックを終えた画像を各店舗に送信した。

 9月7日、日曜日の午前1時30分を回っていた。

(ふーっ・・・)

 涼介は思考のスイッチを切り、椅子の背凭そもたれに深く体を沈めた。

(・・・そうだ、もう一通あったんだ・・・)

 ベッドに潜り込む事を考えていた涼介の頭は突然誰かから何かを指摘された様に一瞬我に返り、恭子から送信されて来ていた会議用資料を開く為にマウスを握った。

(・・・・・)

 涼介は会議用資料に目を通しながら、まゆみとの食事中に恭子から受信していたメールの内容を思い出し、時計を見た後テーブルの上に滑り出していた二枚の紙に目をり、頭の中から消していた全ての連絡に目を通して置くかどうか考えていた。

(ふぅ・・・)

 ファックスは恭子からだった。受信時間は〝20:55〟と刻印されていた。紙面は取り急ぎ確認する必要の無い折込み広告の配布表と販促備品の発注書だった。そして紙面の余白には、まゆみとの食事中に届いたメールよりもストレートに涼介の居場所を知りたがっているメッセージが添えられていた。

(・・・・・)

 涼介は煙草を消しコーヒーを飲み干した。

 涼介は留守番電話の相手も恭子だろうと思っていた。

(寝よう・・・)

 涼介は恭子からの会議用資料に一通り目を通した後パソコンの電源を切った。

 マウスの横には投げ出されたままの携帯電話があった。

 恭子からのメッセージを読んでいる間も携帯電話は視界の隅にずっと入り込んでいた。

 涼介は微動だにせず見つめていた。

(・・・・・)

 それでも涼介は微動だにせず、見つめていた。

 


   ■受信メール■

   涼介って誰にでもそんなコト言ってるんでしょ??(^_^)

   すごく慣れてる感じ…

   でも今日会って涼介とゆっくり話してよかった☆

   思ったより自然で優しい感じがしたよ(^_^)


   私も好き💗

   ■まゆみ 2003/09/06 23:36■



   ■受信メール■

   もうすぐ家につくよ(^_^)

   涼介はまだだよね?

   今日は楽しかった💕

   ありがと♡♡

   ■まゆみ 2003/09/07 00:05■



   ■受信メール■

   リョウくんリョウくん応答せよ‼

   ごめん‼酔ってるーっ! f^_^;

   ねっ(^^)リョウの家に遊びに行ってもいい??

   ■エリカ 2003/09/07 00:12■



(・・・・・)

 エリカから届いていたメールに涼介の意志は反応しようとしていた。

 涼介はエレベーターの中で開いた携帯電話の受信メール一覧にエリカの名前があった事はしっかり認識していた。そしてエリカからのメールを開いてしまえば返信したくなるだろう事も認識していた。故に涼介はエレベーターの中で未開封のままメール画面を閉じていた。それはメールの送信者が例えエリカであっても、今夜はこのまま誰とも接する事無く眠りに就きたいとする気持ちの表れだった。しかしきっかけはどうであれ涼介は今夜見るつもりの無かった受信メールをベッドに入る前に開いていた。案の定その事実はエリカへの返信を明日に持ち越してはいけないと考える涼介の神経を刺激していた。

 長い一日だった。

 恋をもてあそぶぶ事にけた心も疲れていた。

(・・・・・)

 涼介はエリカへ返信するメールの文面を明確にイメージ出来ないでいた。

 チェックを終えた画像を各店舗に送信し、煙草に火を点けた時点で切ってしまった思考のスイッチを再び入れ直してみてはいたが、自身の心に妥協無く思考を文面として表現する事に戸惑っていた。

(・・・・・)

 左手に持っていた携帯を閉じた。

 涼介はエリカへ返す言葉に生半可なまはんかな安い文字を簡単に並べてしまうかもしれない可能性を良しとしなかった。

(・・・・・)

 涼介はダイニングの明かりを消した。

 明かりの無くなったリビングの壁はブラインドの隙間から入り込む街の光で美しく照らされていた。

(・・・・・)

 涼介は描かれた様に重なる何本もの横縞よこじまの光をしばらく見つめていた。そしてエリカが今、何処どこで何をしているのかをぼんやりと考えていた。同時にパソコンに送信されていた恭子からの会議用資料の余白に〝また食事に誘って下さい〟と書かれてあった事を思い出していた。そしてまゆみがメールに載せていた〝誰にでもそんなコト言ってるんでしょ〟という言葉を引き出す事になった自分の台詞せりふを思い出そうとしていた。


 閉め忘れた遮光カーテンはその機能を発揮出来ないでいた。

 寝室には光が氾濫し、涼介の寝顔のそばで容赦なく乱舞していた。

(・・・・・)

 涼介は寝返りを打ち、大きな息を一つ吐いた。

(12時半か・・・)

 枕元の辺りをまさぐっていた涼介は、手に触れた携帯電話の液晶画面に目をっていた。

 昨夜涼介はベッドに潜り込んで直ぐ、泥の様に落ちていた。

(・・・・・)

 徐に立ち上がった涼介は眩しい程の窓を一瞥いちべつし、バスルームに向かった。


 リビングの窓も良い天気である事を示す様にブラインドが反射し切れない日差しを膨らませていた。シャワーを浴び終えた涼介は条件反射の様にコーヒーを落とし、オーブントースターにパンを放り込み、ダイニングテーブルにあるパソコンの前に座り、煙草に火を点けた。

(・・・・・)

 涼介は部屋の何処にも焦点を合わさず、煙草をくゆららせていた。

 徐部屋中に心地良いコーヒーの香りが漂い始めていた。

 オーブントースターからはパンを焼くタイマーの音が聞こえていた。

 ダイニングテーブルの上に在る電話はメッセージの録音を知らせるブルーの光を昨夜からずっと点滅させていた。

(・・・・・)

 涼介は視界から排除出来ない光の点滅に観念した様に電話のメッセージ再生ボタンを押して立ち上がった。

〝もしもし、岡部です。課長代理留守なんですか?・・・留守ですよね?・・・ひょっとして誰かと居たりしてっ!・・・ごめんなさい、明日の会議の件でお電話しました。資料はメールで送ってますので宜しくお願いします〟

(・・・・・)

 涼介は玉子を落としたフライパンに砂糖を振りながら背中でその声を聞いていた。

 灰皿で消え残った煙草が細く煙を立ち上らせていた。

 トースターはタイマーが止まっていた。

 コーヒーのドリップも終わっていた。


 涼介は朝食を取りながら考えていた。

 まゆみとエリカにのないメールを送信する為に、二人と交わした送受信記録を何日か前までさかのぼって読み直していた。

 昨夜涼介は最終の新幹線の中でまゆみに強烈な殺し文句を送信していた。そしてそのメールに対してまゆみから届いた二通のメールには、好きな男性に対して従順に成り行く心情が映し出されていた。

(・・・・・)

 涼介はミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲みながら、まゆみに安心を感じて貰う為のメールを考えていた。



   ■メール送信済み■

   メール遅れたね、ごめん。

   週末空けといて。会いに行くから。

   ■まゆみ 2003/09/07 13:15■



   ■新規メール作成■宛先■エリカ■

   昨日は悪かった

   もう寝ちゃってたんだよ あの時間

   ごめんな


   今日は忙しいんだろ?

   仕事頑張れ!


   じゃ また^^

   ■SUBMENU■編集■戻る■13:22■



(こんな感じかな・・・)

 エリカにメールを送信した後、涼介は煙草に火を点けた。

 涼介の小手先はそれなりに繊細だった。テンションの違う文面を使い分けられる事が器用だとは言えないが、始まったばかりのまゆみとその存在が少しずつ自身の生活に溶け込み始めているエリカへ、異なる人格を躊躇ためらいや罪悪感の存在を自由にあやつりながらばらく決断力にはけていた。そこには優しさとは掛け離れた自分だけへの忠実に妙味みょうみを感じている涼介の姿があった。


              ▽


 エリカと涼介の出会いは、まゆみと知り合う以前、涼介が出会い系サイトにストレスの発散を依存する為に、飾り気の無い短い言葉を残している掲示板に片っ端からアプローチを掛けていた6月だった。

 エリカは涼介のぶっきら棒な申し込みに唯一メールを返信した女性だった。

 エリカは小倉北区に住んでいた。涼介はその事実が判ったメール交換の直後、エリカと会う事になるだろう〝その日〟を確実に迎える為に、送信するメールの文面が独りがりにならない様、細心の注意を払う事を徹底して自分に言い聞かせていた。

 エリカは仕事も小倉北区内だった。それ故に存在する共通の話題は二人のテンションを上げ、交換するメールは古くからの友達の様な心地良いリズムをたずさえる事となっていた。

 涼介は差し出されたシチュエーションに老獪ろうかいだった。メール交換の中で二人の間に生まれたリズムに涼介は付き合い始めたばかりの恋人同士の様なメロディを付けた。そして涼介はそのメロディの端々はしばしに二人をつないだ赤い糸の存在をちりばめる事を忘れなかった。

 二人はメールで知り合った6日後にセックスをしていた。そして二人はセックスが終った後に訪れる、お互いが持つ素直な部分をさらし合いやすいベッドの中で自身の本当の姿を伝え合っていた。

 エリカはオレンジのカジュアルカールとローライズのジーンズが似合う、細身の体に可憐かれんと色気をまとわせている流麗りゅうれいな女性だった。

 エリカは美容師の免許を持っていた。働いている美容室は魚町にあった。

 二人は頻繁ひんぱんにメール交換をし、週に一、二度食事をしていたがセックスフレンドという領域を越える事は無かった。しかし次第に涼介の自宅でくつろぐ事が優先され始めた頃、二人はお互いの気持ちをのぞきたい衝動を隠せなくなっていた。

 二人は予期せず生産された副産物の様な自身の恋心に気付いていた。しかしそれでも二人は約束事の無い曖昧あいまいな夏を尊重そんちょうしようとしていた。

 エリカと涼介のセックスの相性は合っていた。お互い軽い気持ちで始まった分、二人はセックスを自由に大胆に楽しんでいた。

 エリカと涼介はお互いの個性が創り出す空間に居心地の良さを感じていた。涼介は案外エリカと結婚しているかもしれないと苦笑いを交え考えている時があった。エリカは涼介の外見が一目惚れする程の理想の男性だったとしたら、彼女になりたい為の代償として自分らしさが消えていたかもしれないと思う時があった。

 エリカは束縛そくばく干渉かんしょうもせず、物事を達観たっかんしている様な涼介の冷めた雰囲気に魅力を感じていた。

 詰まる所エリカの夏は涼介を中心に回っていた。それはある意味立派な恋の始まりでもあった。


              △


 ダイニングテーブルの上には綺麗に平らげられた朝食の皿が二枚あった

(掃除しなきゃぁだな)

 涼介は携帯電話を充電器に差込みリビングへ向かった。

(いい天気だな・・・)

 リビングからバルコニーへ出ていた涼介は、ベランダのエッジにマグカップを置き、両肘りょうひじをついて街の景色を眺めていた。

 空気を入れ替える為に開け放たれた窓から強い日差しと街の雑音が部屋の中に流れ込んでいた。

(1時半か・・・忙しい時間帯なんだろうな・・・)

 腕時計から視線を外した涼介は、まゆみよりも美容室で働くエリカの姿を想像していた。































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