1   嘯く心


     うそぶく心




(このまましばらく付き合う事も出来る・・・来週振られようと思えばそれも出来る・・・)

 涼介はハンドルから手を離しまぶたを閉じていた。

(ほんと腐った野郎だ・・・)

 まゆみの気持ちなど丸で考えず、まゆみの心を踏みにじる場面だけを〝いけしゃあしゃあ〟と考えている自分のぬるさに嫌気が差した涼介は心の中でそう吐き捨てた。

(今朝あんなに強い日差しで起こされたってのに・・・)

 自分のみにく算段さんだんから逃避とうひする様に、涼介は目の前に重く広がるミディアムグレイの低い空に視線を投げ出した。

 車は旧10号線からバイパスへ合流する交差点の最前列で信号待ちをしていた。

 青く光っていた歩行者用信号は点滅を始めていた。

(・・・・・)

 視界の隅に入り込んで来た青色の点滅に一瞬目を向けた涼介は、再びまぶたを閉じた。

(・・・両方とも駄目だ、今日別れよう)

 アクセルを踏み込む前に結論を下した涼介の心は空の色と同じぐらい鈍よりとしていた。

(涼介、何考えてんだろ・・・)

 綺麗な姿勢で助手席に座り、涼介が創る会話の無い空間を心地良く受け入れているまゆみは時折り澄んだ瞳を涼介に向け、この先ずっと涼介からもらえるだろう愛情に寄り添って行く自分の未来を想像していた。

「俺、雨とデブ嫌いなんだよ」

 二人の間に続いていた沈黙をかくする涼介の最初の言葉は、優しさとは無縁の自分の感情をそのまま口にする事に吟味ぎんみ躊躇ためらいも無い安易な自己主張だった。

「私も雨は好きじゃない」

「なんかデリカシー無いでしょ? 雨もデブも」

「・・・ひどい人ね」

「でも好きでしょ?」

「自信たっぷりね」

「でも、好きでしょ?」

 涼介はまゆみを一度も見る事無く同じ言葉を淡々と重ねた。

「・・・・・」

 涼しく核心を突く涼介の意地悪な問い掛けに、まゆみは恋心を更に心地良くじ伏せられ、涼介の横顔から視線を外せなかった。

「・・・軽くメシでも食っとこうか」

 予想外に車の流れがとどこおっているバイパスを嫌った涼介は会話の脈絡みゃくらくを無視し再び安易な自己主張をした。

「うん」

「渋滞避けよう」

「うん・・・」

 まゆみは穏やかな表情で涼介を見つめていた。

(何であんな事言っちまうんだ・・・駄目だめだな俺は・・・くそっ、仕方ない・・・)

 涼介は再び自分を吐き捨てた。そして吐き捨てた自分を庇護ひごし、開き直り、横顔に刺さり続けるまゆみの視線に笑顔を向けた。

(・・・・・)

 まゆみは涼介の笑顔に満面の笑みで答えた後、満足した様にゆっくりと街並みに視線を変えた。

(・・・・・)

 涼介はまゆみが残した意味有り気な余韻よいんに、しばらくまゆみの横顔を見つめさせられていた。

(恋愛ってのは夢とか希望とか、願望とか理想とか、そんな様な物を振りかざしてるうちは空回りするだけかも知んないな・・・)

 正面に向き直った涼介は自分の傲慢ごうまん素性すじょうを棚に上げ、まゆみの意図的な行動に心の中でそううそぶいた。

 車内は静かだった。

 空気は重くも固くもなく、柔らかく動いていた。

 まゆみはサイドブレーキの辺りに雑然と重ねられているCDを一枚一枚手に取っていた。

(・・・家まで送ってくなら西公園降りた辺りだし、駅迄なら食後の車の中だな・・・)

 涼介は視界にとらえているファーストフード店迄の距離を流麗りゅうれいに縮められない事に少し苛立いらだちながら、まゆみに別れを告げる場面を考えていた。

 まゆみは中央区の唐人町とうじんちょうに住んでいる博多の女性だった。涼介の住む小倉こくらとは都市高速道路、九州自動車道とつないでも70分近くの距離があった。

「ミスチル、好きなの?」

 CDの中から〝Mr.children〟を見つけ出したまゆみは無邪気な笑顔を涼介に向けた。

「・・・そうだね」

 涼介は前を向いたまま笑顔を作った。

「何か意外だね・・・私もミスチル好き」

 まゆみはそう言って嬉しそうにCDをプレーヤーに差し込んだ。

(降って来たな・・・)

 涼介はまゆみの言葉を拾わず、フロントガラスに姿を現した雨に心の中で舌打ちをした。

 涼介は一人の女性を傷付ける事の重大さを真摯しんしに受け止め、同じ過ちを二度と繰り返すまいとする自戒じかいの心をも当前の様にずっと等閑なおざりにしたまま、まゆみに切り出す別れ話のタイミングと、別れを告げた後、まゆみが車から降りるまでに交わすだろう言葉の選び方や使い方と向き合っていた。

 まゆみは微笑をにじませていた。

 10月19日の日曜日、午後3時を過ぎた小倉こくら市街へつながるバイパスは渋滞が始まっていた。

 雨粒は街の至る所で弾け合い始めていた。

 車内には〝Mr.children〟のメロディと、この先ずっと交わる事は無いだろう二人の思惑が漂っていた。

「・・・ぬるいな」

 邪魔じゃまな雨をぬぐうワイパーのスイッチを入れた時、涼介は心の声を思わず口にした。

「えっ?何か言った?」

「いや、何でもないんだ」

 涼介は正面を向いたまま努めて自然にそう答えた後、まゆみと一度視線を交わし、ドリンクホルダーのボルビックにゆっくりと手を伸ばした。















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