第2話
「
平日の朝。今日も幼馴染がいつものように起こしに来た。俺は眠い目を擦りながら起き上がる。
「朝ごはん作っといたよ。早く起きて」
幼馴染は天使のような笑顔でこちらに微笑んだ。彼女の笑顔にはいつも癒される。
彼女とは家が隣同士で、物心ついた頃からずっと一緒に遊んでいた。彼女は世話を焼くのが好きで、毎日俺を起こしに来たり弁当を作ってくれたりしている。
実を言うと、俺は彼女のことが好きだ。多分彼女も俺のことが好きなんだと思う。かといってどちらかが告白するようなこともなく、友達以上恋人未満の関係が長年続いてきたのだ。
いつかは彼女と恋人関係になる日が来るのだろうと、そんな予感はしている。だがそれがいつになるのかは全くわからないし、彼女と恋人同士になったらどう変わるのか、まるで想像がつかないのだ。
「ねえ、直正くん」
幼馴染が、俺に声をかけてくる。
「私のおっぱい……吸う?」
幼馴染は突如としてその豊満な胸を曝け出し、俺に吸うかを尋ねてきた。
!?
……
……
……何だ、夢か。
刺激的な夢を見て、現実の俺は目を覚ました。途中まで俺の理想的な日常だったのに、どうして突然エロ方向に行くのか。欲求不満か俺は。
漫画に出てくるような可愛くて世話焼きで家庭的な女の子の幼馴染は、俺の憧れだった。だがどんなに夢に見ても、所詮夢は夢でしかない。恋人ならもしかしたら将来できるかもしれないし、姉や妹だって親の動向次第では今後できる可能性もある。だが俺はもう高校二年生。たとえここからどんな将来になっても、この歳からは新しくできることの決してないもの、それが幼馴染だ。
一応俺にも幼馴染がいるといえばいる。だがそれは男だ。名は
あいつは俺と違って天才だった。小学校を卒業した後、飛び級で海外の大学に進学し、それ以来一度も連絡をとっていない。一生の親友だと思っていたのは俺だけで、あいつにとって俺はもう過去の友達でしかないのだろう。
まったく俺の人生理不尽なことばかりだ。ろくでなしの親父のせいで、俺はこの歳にして一人暮らしをさせられている。漫画だったらそこで幼馴染が俺の生活を支えてくれるという黄金パターンだろうに、現実はそう上手くはいかない。
俺の親父は仕事でアメリカに行っている。何の仕事かは知らない。幼い頃から何度も訊いているのだが、一向に教えてくれなかったのだ。
家にいた頃の親父は、殆ど自室に引き篭もる日々を送っていた。部屋にはいつも鍵をかけており、その中で親父が何をしているのかは全くわからなかった。
俺が小二の頃、一度親父が鍵をかけ忘れて部屋を出ていたことがあった。俺は親父の秘密を暴こうと、その隙に部屋に忍び込んだ。親父の部屋は真っ暗で、何だかわからないものが沢山置かれていた。怖くなった俺は、すぐに部屋を出た。家に給料が振り込まれている以上あの部屋で何かしらの仕事をしているのは確かだろうが、俺は自分の父親には普通に会社に行って仕事をする父親であって欲しかったのだ。
部屋の中には、謎の液体で満たされたペットボトルもあった。当時はそれが何だかわからなかったが、今にして思えばあれは間違いなく小便だ。仕事が忙しくてトイレに行く暇も無かったのだろうという事情は察せるが、そんな不潔な生活を送っていた親父には軽蔑の念ばかりが強くなる。
また俺は親父に遊んでもらった記憶が全くと言っていいほど無く、育児は殆どお袋任せにされていた。お袋は優しくて気立てがよく、どうしてあんなゴミのような男と結婚したのかわからないほどの美人だった。だがそのお袋も、俺が小一の頃に事故で帰らぬ人となった。
お袋が死んでからも、親父の生活は変わらなかった。自宅では一人で過ごすしかなかった俺は、幼馴染の住む隣の家で度々世話になった。
そんな引き篭もりのクソオヤジは、俺が中学に入った頃に突然家を出てアメリカに旅立った。親父が何をしたかったのかは全く理解できなかった。元々育児放棄していた男である。親友と離れて不安な中学生活を送る息子を一人残して海外に旅立つことなど、何とも思わなかったに違いない。
そんなことを考えていると、俺の部屋の扉を叩く音が聞こえた。その後一旦間を置いて、扉が開く。
「朝だよーなお君。あ、もう起きてる」
部屋に入ってきた少女は、俺が珍しく早起きしているのを見て驚いた顔をしていた。
彼女はたかしの妹で、
「朝ごはん作っといたよ。早く起きて」
綾香は俺の食事を作るのが日課になっていた。俺は昔からずっと綾香の作った料理を食べているが、今となってはもう綾香の母親が作ったものより美味しくなっている。
先程の夢と同じ展開に、まさか次は乳を吸わせようとしてくるんじゃないかと、俺は一瞬身構えた。が、流石にそれは無かった。
ちょっと待て、お前には夢に出てくるような幼馴染がそっくりそのままいるじゃないかと思うかもしれないが、それは違う。そもそもあの夢で見た「女の子が毎朝起こしに来て、食事を作ってくれる」というシチュエーションは、俺にとってはごく普通の日常なのである。ただ夢ではそれが同学年で巨乳の
朝食を終えて綾香から弁当を受け取った俺は、綾香と共に学校に向かう。俺と綾香は同じ学園の高等部と中等部に通っている。そのため、登校する時は大抵一緒になる。登校中に綾香とは適当に世間話をしたりするのだが、こう歳が離れているとあまり合う話も無い。俺の方から話したいこともこれといって無いので、綾香の話すことに適当に相槌を打つのがいつものパターンである。
「そういえば、近いうちにお兄ちゃん帰ってくるらしいよ」
「へー、そうなのか」
たかしは家族とは時々連絡をとっているらしい。あいつの現状は綾香を通して俺の耳に入ってくる。海外で大学院を卒業した後、日本のどこかで色々と研究しているらしい。まったくどこまでも規格外な奴である。すっかり遠い所に行ってしまったものだ。
「せっかくだから、なお君もお兄ちゃんに会いにきなよ。お兄ちゃん、せっかく帰ってきてもすぐ研究所に戻っちゃうから、なお君一度も会えてないんでしょ?」
「俺はいいよ。別に……」
家族には連絡があるのに俺には無い辺り、あいつはとうに俺のことなんか忘れて新しい友達と仲良くやっているのだろう。今更会ったところで虚しくなるだけだ。
学園に着いたところで、俺と綾香は別れて別々の校舎に向かう。さあ、今日も憂鬱な学校生活の始まりだ。
教室に入った俺に、挨拶をする人は誰もいない。リア充グループも地味グループもオタクグループも、誰もが俺の存在を無いもののように扱う。俺は所謂ぼっちという奴である。
物心付いた頃からたかしと友達だった俺は、いつもたかしと二人で遊んでいた。たかしは変人であるため、同級生からは避けられがちだった。そのためたかしには友達が俺しかおらず、そんなたかしと友達の俺も変人扱いされたかししか友達がいなかったのだ。
だからこそ俺は、たかしとはたった一人の大親友として強い絆で結ばれていると思っていた。しかしたかしは俺を置いて遠くに行ってしまい、俺は友達の作り方を知らないまま中学生になった。そして高校二年生になった今の今まで、俺にはたかし以外の友達ができたことがないのだ。
家族もいなきゃ友達もいない、恋人なんてもってのほか。まったく、本当に孤独な人生である。一体俺は何のために生きているのか、疑問に思うことも度々ある。
話し相手のいない俺は、休み時間は大抵寝たふりをして過ごす。そうしていると、別に聞きたくなくても自然と周りの会話が耳に入ってくるのだ。今日は近くで話しているオタクグループの会話が聞こえてきた。
「やっぱ母性ロリだよなー。見た目幼いのに母性を感じるっていう」
「あーわかる。いいよな母性ロリ」
「バブみを感じてオギャるってヤツだろ? 最高じゃん」
ウゼえなこいつら。子供に母性を感じるとか気持ち悪っ。最近オタクの間で流行ってるらしいが、全く理解できない感情だ。世の中どうかしている。
結局今日も誰かと会話を交わすことが一度も無いまま学校生活を終えた。校門を出た所で、綾香が立っていた。中等部と高等部では終業時間も違うというのにわざわざ待っていてくれるとは、よくもまあそんな面倒なことができるものだ。綾香は優しい子だから可哀想な俺に同情してやってくれてるんだろうが、こんな子供に同情されるのはかえって惨めになるだけだ。
帰り道も行きと変わらず、俺と綾香は会話が続かない。
「ねえ、なおくん、やっぱりお兄ちゃんと会わない? お兄ちゃん、なおくんと会えたらきっと喜ぶよ」
「だから会わないっつってんだろ」
「もう、またそんないじけて……」
いつものように帰路を歩む俺達だったが、交差点に差しかかったところでふと俺は急に自分達に影が差したことに気がついた。何かと思いそちらを向くと、そこには怪物が立っていた。
背丈は近くにある二階建ての民家の屋根を超えるくらい。二本の脚で直立する体型は人間に近いが、頭部は昆虫のようで見るからに凶悪そうな面構えをしている。全身が蟹の甲羅のようにトゲトゲした装甲に覆われており、背には蝙蝠のような二枚の羽を生やしてている。突然現れたこの巨大な怪物が、俺と綾香を見下ろしていた。
俺は声が出なかった。白昼夢でも見ているのかと思った。
「きゃああああああ!」
綾香が怪物の存在に気付き、悲鳴を上げる。怪物の大きな目が、綾香の方を向いた。
怪物は鋭い爪を生やした巨大な腕を振り上げる。俺達を狙っている。俺は本能でそう察した。
まるで虫でも掃うように、無慈悲に振り下ろされる腕。恐怖のあまり立ち竦む綾香。このままでは綾香が危ない。そう考えた途端、不思議と体が動いた。俺は綾香に覆い被さり、怪物の爪から綾香を庇う。俺の貧弱な体なんかで防げるものではないことはわかっていたが、自分でも不思議なくらいに、無我夢中で体が勝手に動き出したのだ。
一瞬宙に浮かんだような感覚の後、背中に突き刺さる地獄のような痛み。そして俺は、目の前が真っ暗になった。
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