23. こんな気持ちにさせないで

 夢うつつ、まどろみたゆたいの中だった。


「世話に……なり、ました……」


 尊大な態度しかとれない優月のぎこちない敬語。

 俺に対してではないことだけは確かだ。


 スーツの能力もあって飛ぶようにシャンバラへ戻った俺。

 対して優月は、戻ってくるのに半刻もかかって、再び迷子になっていたところ、に乗せてもらったそうだ。


 店の方にも警察が来た形跡があり、ハヤグリーヴァがブチ開けた穴にはブルーシートがかけられキープアウトのテープ。

 店員達は営業終了時間ともありみんな帰っていた。

 ママは包帯と絆創膏だらけにもかかわらず当然と言わんばかりに待っていた。


 身体に鞭打って、と心配したが全くの杞憂、優月に紹介できる仕事があるとして、てきぱきとデスクで書類を纏めてさえいた。

 俺はその作業の間、少々邪険にされ、疲れと睡眠不足からひとあくび。

 ちょっとだけと思ってソファに横になっていたらこの状況である。


 身体にかかった香水の匂いがする大きなダウンコート。

 俺にとって布団になるのだから、ママのものだろう。


 その暖かさ、安心感とは別に……体がまったく言うことを聞かなかった。


 全身が淡く痺れて……なんというか、極・賢者タイムだった。

 恐らく煩悩エクスプロージョンのせいだろう。

 解き放たれたのは精神的なものであって、肉体的には別に気持ちよくもなければスッキリもしていないので損した気分だ。


 その間にも薄暗い店内で、優月とママの会話が続いていた。


「大家には話しつけておいたから。お金は貸してあげる。落ち着いたらゆっくり返してくれればいいわ」


「あの……あんなに大金は……二十万なんて、いつ返せるか」


「まだ言ってるの? そのくらい必要なの。足りないくらいよ。あんたの感覚、古いのよ。十倍くらいずれてんの。先が思い遣られるわ」


 優月さん、きっと超箱入り娘なんだろうなあ。


 あれ、じゃあもしかして……臥所を共にって件も、貧乏学生が善意で十万円くらいぺろっと出したと思って萎縮したのでは……。


 ちょっとくらい気があるんじゃないかなーっていう俺の希望的観測がまあまあ消滅した。

 そもそも据え膳だか、あわよくばなんて夢幻ゆめまぼろし。最初から無かった。

 働き損のくたびれ儲け。それどころか煩悩ベルトという負債を抱えてしまったわけで。


「ああ、それと。彼……ええと。鳴滝、なんだっけ」


「なる、たき……」


「禅だ、そうそう。彼に世話になった分の金回りはこっちで都合つけておくから。それも借金に入っているからね」


「……鳴滝、禅」


 優月の中に、新たな葛藤が生まれたのだろう。

 俺がボンノウガーで、鳴滝豪の息子で……。


 でも、俺は狸寝入りを決め込んだ。

 オヤジは死んだなんて、やっぱり俺からは言えないよ。


「承知、した。あれこれと手数を、かけ……ました」


 不遜な態度さえぎこちなくなりながらも深く頭を下げる優月の気配。


「それでは、失礼し……ます」


 そして彼女は全くの名残惜しさも現さずにきびすを返し、譲ってもらったであろうハイヒールを慣れないテンポで打ち鳴らし、去っていく。


 そっかあ。

 お別れかあ。

 寂しいな。

 寂しいよお。

 あんなにあけっぴろげにしなかったら、うまくやれたのかな。


 ……行きずりの暴言女に、なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。


 賢明に、必死に、意識が追っていた足音が聞こえなくなった。


 少しだけ。

 本当の本当にちょっとだけ、悲しい夢に俺は沈んでいった。


 *


 鳴滝禅が眠りについていると同時刻。


 落ち着きなく警察制服が往来する一丁目大通り。

 無料案内所の看板から数歩離れた石畳に彼は膝をついた。


 つやつやと光る金色の差し歯を摘みあげるといぶかしげに睨み、手の平に収める。

 再び開いたときには大きな黒真珠と化していた。


 鳴滝禅はを連想しなかったのか黒曜石と声高に答えた。


「チンターマニインプラント……観音連中の考えそうなことだな……」


 立ち上がり黒真珠をふところに仕舞うと、何事も無かったように彼は三つ編みを翻す。

 警察官の目を掻い潜り、一台の白いスクーターが颯爽と現場を離れていった。

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