第4話 -3 空の青、その向こう
「空の向こう側にまだ世界があるのか? 教典には空の色は女神のベールだと……世界を魔法で包み、太陽と月の光は女神の魔道具。輝く星は模様だと書いてあった。幼い頃からそう教えられ、何も不思議と思わなかった」
クチナワさんは気が高鳴っているのか、瞳を輝かせて私を振り返った。興奮しているらしく、クチナワさんには少し意外な素振りだった。
「ベールの先にまだ世界があるなど考えたこともない。ドラゴンの飛べる限界を越えた、さらに先にあるベール。触れた者はいない、超えたものも行くものもいない……考え出したらキリがないな、おもしろい。芽衣、ベツジゲンはなんだ?」
素人の私に次元の説明は難易度が高すぎる。それに、この世界の常識をもっと勉強してからしなければいけない質問だったと後悔した。
この美しい世界に地球の知識を教えるのは少々気が引ける。余計なことをしたくない。それに太陽や衛星は空に見えるが、もし宇宙以外の別の次元の世界だったら?地球の常識を覆す世界だとしたら?グルグル考え出したら怖くなってきた。
「私そろそろ失礼します。疲れてしまって」
「そうか、ではネックレスのことはまた明日来る」
……そうだった!本来の目的をすっかり忘れていた。思い出した時にはもうクチナワさんはテラスを出て遠く行ってしまっていた。
明日も来るのかと思うとゲンナリした。もう相手をしたくないのだが、屋敷の主人に頼まれていると聞いてしまっては何も言えない。いろいろと厄介な状況だ。種族の問題さえ済んでしまえば楽しく暮らせそうな世界なのに。
しばらく自分のマヌケさに呆れていると、センさんが街へ出るため呼びに来てくれた。今は気分を変えよう。
***
「ほんっと綺麗な方でしたよねー、司祭様なだけあってミステリアスな雰囲気で。ほのかにいい匂いで」
センさんが夢見心地で胸の前で手を組む。クチナワさんが帰った後、昨日訪れたウィンクルの街へ買い出しに行くと聞いたので荷物係としてお供させてもらっている。
「センさんの紅茶を褒めてましたよ」
「まぁっ! 小さい頃から習ったかいがありましたわ」
センさんはスキップしそうな勢いで石畳の街道を進んだ。街はお祭りの時と違い、装飾品のタペストリーや出店が片付けられていた。
昨日と一緒の点では様々な種族の人とすれ違う。体の大きいエルフや亜人もいれば、私より背の低いドワーフや亜人がいる。私には小さすぎるベンチに鼠の亜人がいれば、大人三人でも余裕そうな大きな揺り椅子では熊の亜人が一人で充分に使っていた。
建物のドアや売り物の新聞、パンの大きさも様々になっている。必要な物はセンさんかセバスさんに申し付けるように言われてて、所持金もないので街に行っても自分で何か買えるわけではないのだが見てるだけでも楽しい。どんな仕事があるのかチェックしておこう。
「今日は包丁を研ぎに出して、お肉とポーションと……あと魔水の買い付けですね」
センさんに案内され街を観察した。ファンタジーの街の住民が、それぞれの得意分野で仕事をしている。普段の街の営みがある。ペリカンの郵便配達、エルフが糸車を引き、ドワーフは家を建築している。
「おもしろいですね。いろんな人が居て、みんな活き活きしてますよね」
「ウィンクルの街は他では珍しく、種族が合わさって街を共有してるんです。住居は体の大きさと種族によって分けられてますが、基本はみんな平和的に仲良く暮らしてるんですよ。まぁ、種族間でいざこざもありますが言ったってきりがないですからね。お互い様です」
センさんが余所見をしていて、獣の毛に覆われた腕の長い猿の亜人と肩がぶつかった。お互い礼儀正しく頭を下げ、何事もなかったように別れた。センさんはぶつかった部分の服に沢山付いた細い獣の毛を払う。
「こんなことで文句を言う輩もいるんですよ、ほんと馬鹿らしい限りです。そんな人は一人で生きてみればいいんですよ、そしたら問題も起きませんわ」
金物屋さんに入った。中に居たのはヒゲもじゃのドワーフのおじさんで、店内は磨き上げられた金属製の鍋や器具が所狭しと並んでいる。ドワーフは包丁を無愛想に受け取ると、のしのしと歩き無言で奥に行った。
センさんと店の中の商品を吟味していると、奥から金属の楽器のような不思議な音が響いてきた。ドアの隙間から中を覗くと、室内は洞窟のようになっていて目の覚めるような黄金に輝いていた。ドワーフが研ぎをするたび金属の音が跳ね返り、光の粒が飛び散る。包丁が輝きを増す度に黄金は力を持ったように発光し、室内はより一層眩しくなっていく。
職人技に感嘆して目を輝かせていると、無言だったドワーフのおじさんはムッフッフと笑い、包丁を手元で回転させパフォーマンスをしてくれた。
次に行ったお肉屋さんの主人は豪快な人だった。破裂しそうに太った体に、豚の鼻の亜人のご主人は血だらけのエプロン姿で迎え入れてくれた。
「おや、センさんじゃないですか! 昨日は久しぶりの祭りで繁盛しましてねぇ若様には大感謝ですわ、サービスしますよ! そちらのお嬢さんは?」
「リップ様のお客様よ。いいお肉入ってる?」
「ええ、もちろん! なんせ鼻がいいもんで、新鮮な肉の鑑定は自信がありますからね」
なるほど、亜人の特性はこういうところでも活用されているのか。豚は犬並に嗅覚が優れていると聞いたことがある。土の中の食べ物を探し、掘り出す為にあの特徴的な鼻の形をしている。
「どれ、嬢ちゃんにうちで作ったメンチつけカツサービスだ」
肉屋の主人からソースのついた熱々の揚げ物をいただいた。商店が並ぶ活気のいい街をセンさんと二人でホクホクと食べ歩き、次の店に向かった。
乾燥した植物が天井に吊るされ、気持ちの悪い瓶詰めとフラスコが多く並ぶ雑多とした店に入った。店内には白衣を着た背の低いダークな肌色のエルフがグツグツ煮える大釜をかき混ぜていた。
覗き見ると緑色の謎の湯気と鼻に付く刺激臭、鳥の足のようなものが見え隠れする。
「鼻、鼻がちょん切れますよ、離れて」
小さな耳の尖りの神経質そうな女性のエルフはシッシと手で払った。鼻声でセンさんが品物を注文し、受け取るとそそくさと店を出る。あと少し遅かったら本当に鼻がもげてたかもしれない。
「エルフは薬草に強くて、薬局屋さんを営む者が多いんですが毒好きの変わり者も多いんですよねぇ」
「そうですよねぇー」
クチナワさんが思い浮かんだ。あの人も相当な変わり者だろう。今日の事が思い出された。そういえば屋敷の主人はどんな人なのだろう?お世話になっているが、未だにお会いしたことはない。
「センさん、リップさんのお父さんってどんな方なんですか? この街の領主様なんですよね」
「お館様ですか……まぁ一言でいうと怖い方ですね。名門のウィンクル家の方ですから、ご自分にも厳しく他人にも厳しいというか。でも世の為に大変な尽力をなされていらっしゃいますよ」
「手段を選ばないような?」
「まぁ、お忙しい方なので時には強硬手段もされますが、興味がないと腰も上げませんね。私も滅多にお会いしないんでゴシップネタですけど……あ、ここが魔水の店ですわ」
クリスタルで出来たタンクが並ぶ店だった。繁盛していて店主が細々と動き回っている。半纏を羽織ったヒューマンの男がこちらに気づいた。手をこすり合わせながら近づいて来る。
「おや、お屋敷の女中さんではないですか、いらっしゃいませ」
「こんにちは。あら、ずいぶん魔水の値段が上がっているのね」
「へぇ、すみません。最近、魔水脈が一つ枯れまして、女神様からのエンカウントまでの間です……わしらも心苦しい限りですわ」
「魔石と同じ値段になったら不便な魔水なんて買わないんだけどね、それでいいわ。それと別に、持ち帰りで一升瓶詰めて頂戴。私用だから安くしなさいよね」
「ヒヒ、申し訳ありませんねぇオマケします」
ニコニコした店主はとても心苦しそうには見えず、下ひた笑い方の人だった。
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