第2話 -2 馬番見習いになりました!



 リップさんが去ってしばらくすると、一人の少年が迎えにきた。小学生低学年くらいだろうか。彼はついて来いよと乱暴に言うと、先に歩き出した。


 クルクルの髪からピンと跳ねた第二の耳、半ズボンのお尻部分からは床に着きそうなほど長いストレートでサラサラした髪のような尻尾、亜人の子だ。


 相手は子供なのに歩くスピードが早く、足の遅い私はついて行くのに必死だった。


「あの、待ってくださいー!」


 厩舎は屋敷の裏手にあるようで、広い敷地を追いかける私に彼は訝しげに振り返った。


「……変な発音」


 と言葉を残したが、歩く速度を少し緩めてくれた。


***


「父さん! 連れてきたよ」


 少年は嬉しそうに尻尾を高く振り上げ、厩舎に入って行った。蹄の音と共に出てきたのは上半身が人間、腰から下は馬の四肢、神話に登場するケンタウロスのイメージそのままだった。


 ギリシャ彫刻のような彫の深い顔立ちに、象牙のような馬でいう佐目毛色の、少年と同じクルクルの髪とヒゲを蓄えた優しいブルーの目をした壮年の男性だ。


「若様からお話を聞きました。わたしはケイロン、この子は息子のイアソン。まだまだ生意気盛りですので何か失礼なことをされませんでしたか?」


「いえ! 案内をしていただき助かりました。芽衣と申します。どうぞよろしくお願いします!」


 私は勢いよく頭を下げた。ケイロンさんはゆっくりと頷き、厩舎に招き入れてくれた。中は広く、ユニコーンの他に普通の馬もいた。


 奥に進むとひときわ凛々しいユニコーンが翼を威嚇するように広げ、首を上下させている。一目で薄墨だとわかった。この前会ったときと違い、とても落ち着きがない。鼻息も荒く前足の片方で地面を掻き、馬が何かを欲しがってる時の動作をしている。


「芽衣様、額の角に気をつけてください。魔狂いでもないのに、先程も機嫌を損ねて腹を突き刺されそうになりました。本来ユニコーンは魔物の類です。野生に戻るほど気性が激しくなり、生まれた時から信頼関係を築かないと懐きません」


 魔狂いという単語はわからなかったが、ケイロンさんが心配そうに警告した。薄墨に目を向けると翼で風を起こし、馬房の藁を吹き飛ばしてくる。あの穏やかだった目は、今や真っ赤に血走っていた。


 ……昔、母に研究所の馬を見せてもらったことがある。目の前にした時、馬の巨躯に驚いたことをよく覚えている。


『顔の斜め前に立ちなさい。馬は三百五十度の視野を持っていて、死角に入られるのを嫌がるわ。驚いて蹴られたら、体重の分の威力がかかって死ぬこともあるわよ。声をかけて、耳がピンとこちらに立っていれば鼻の前に手を出して、匂いを嗅がせて安心させるの。耳が後ろに倒れなければ鼻に触れていいわよ。馬の目線より上は怖がるかも。そうそう、とってもいい子ね……』


 馬を見つめる母の優しい姿を思い出した。懐かしい。病気になるまでは母に色々なものを見せてもらった。


 薄墨の名前を呼びながら耳の動きに注意した。こちらに興味を見せ、翼を畳んでくれた。首を下げこちらに寄ってくる。優しく首を撫でると目をつむり、耳を絞らせた。


「久しぶりだね。前回は本当にありがとう」


 頬を抱くと薄墨の気持ちが伝わってきた。


 〈安心感と、小さな苛立ち、手が届かない焦ったさ……痒い?〉


「驚きました。薄墨がこんな仕草を見せるのを初めて見ました」


「覚えてくれてて嬉しいです。薄墨はなにか、痒いみたいですけど」


 ケイロンさんはハッとして、何かを取りにいかせた。戻ったイアソンくんの手には歪曲したヤスリのようなものを持っていて、渡すと横に回った。ケイロンさんは受け取ると額の一角に当て、削り始めた。


「角が削り足りんかったようです。岩で自分で研ぐ者もいるのですが、薄墨は気難しいもんで前回の仕上がりが気に食わなくなったんでしょう」


「そうだったんですね。手が届かないと辛いもんね」


 ポンポンと撫でると気持ち良さそうに角の作業を続けさせる薄墨。恍惚感と感謝に心変わりしていた。


「気持ち良さそうですね。感謝してるみたいです」


「スゲー! 芽衣はユニコーンの考えていることがわかるのか? おれも馬なら少しわかるんだ!」


 イアソンくんが口を挟んできた。私はサッと血の気が引いた。ケイロンさんの目も光る。まだその常識はわからないから隠したまんまだ。


 同族ならみんな多少わかるのだろうか?でもドラゴンやユニコーン、浮島全体の混ざり合った気持ちまで感じれた。これだけの情報で打ち明けるのはまだ恐ろしい。できれば隠し通していたい。


「み、見たことがあっただけ!」


 ブンブン手を交差させ、否定するわたしの発言と同時にケイロンさんが前足を折り、イアソンくんに拳骨をした。頭を抱え涙目になってしまった顔が幼さを際立たせた。


「芽衣様だ。若様のお客人を呼び捨てしてはならん、わかったか?」


 薄墨まで鼻をフンっと鳴らし見下ろしていた。涙声でイアソンくんは、はいと声を絞り出すと涙がこぼれてしまった。


「わー! 私は気にしてませんので、イアソンくんがそう呼んでくれたらむしろ嬉しいです、お友達みたいで!」


「グス……ふん、芽衣は馬番見習いの新入りだろ、俺の下っ端だぞ」


 ケイロンさんが尾でスパン!とイアソンくんの頭を叩いた。ついに声を挙げて泣き出し、薄墨は歯を向き出してバカにした顔でヒヒンと彼を笑った。


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