白壁の絵

安藤州

無題

 私は白を踏む。靴の裏の凹凸がそれを噛んでうまいと駄弁る。対して私の体は、靴よりも威勢がなかった。土地柄でもない天気に、私の気力は半分折れていた。

 淡い色の建物の間を歩く。傍目から見れば放浪か散歩に見えるかもしれないが、行先は決まっていた。山に囲まれた街の隅に出口のように作られたトンネル。2年前、私はそこで青年と出会った。


 その日、私は散歩をしていた。土地柄でもない天気に少しだけ興奮していたのかもしれない。ただ気分の赴くままに歩いていた。ふと、山はどうなったのかを見てみたくなったので、件のトンネルまで歩くこととなった。

 トンネルに入ってすぐのとこで、私は青年に声をかけられた。彼は緊張した面持ちで、今日は予定はあるのかと尋ねてきた。歩くだけの私にとって、立ち止まるということは暇同然だと思案したのち、簡潔に了承をした。彼はここで絵を描いたので、感想を聞かせてほしいという事だった。

 彼は白地の壁に直接描いていた。華やかで、はっきりとした色味の花々だった。ひとつひとつの主張はそこまで強いわけではないが、「花畑」と一括りにすることもできない、繊細な出来だった。率直な感想を伝えると、彼は壁にもたれかかって白い息を吐いた。曰く、独学で絵を描いて、誰にも出来栄えを尋ねたことがなかったから、とりあえず褒められて安堵したということだった。

 しばらくの間、話題は描かれた花になった。彼は花についての知識が豊富で、私の質問に淀みなく返答していた。会話が途切れがちになった頃、突然好きな花を聞かれた。せっかくなので他人の好きな花も描いてみたいとのことだった。しかし、私は特段好きな花がなかったので、思いついた限りで珍しそうな花の名前を挙げた。その日は時間と塗料が足りなかったようで、描かずじまいで別れることになった。花の名前は忘れてしまった。


 何の花だったかを思い出そうと苦心していると、件のトンネルにたどり着いた。記憶していた風景よりも寂れているように見えた。中には一人、壁をじっと眺める人がいた。あの青年ではなかったが、同い年ぐらいであろう。しかし、あの華やかで繊細な壁画は見当たらなかった。記憶に残っていたあの壁画は、濃淡の無い白一色で塗りつぶされていた。

 壁を眺めていた青年が私を認めた。私は青年に今日は予定はあるのかと尋ねた。青年は少し思案したのち、簡潔な了承をした。

「あなたは此処で何をしていたんですか?」

「花を添えに来たんです。此処で友人が事故にあったんですよ。」

 思考が繋がる。

「その友人というのは、此処で絵を描いていた人でしょうか?」

 青年は、不意を突かれた顔をした。

「ええ、そうです。知り合いだったのですか?」

 一瞬、言いかたに迷う。

「知り合い。というわけではないですけれども、一度、此処で絵の出来栄えを聞かれたことがあって。」

「そうですか。」

 沈黙。

 推測できる分は聞いた。別れを告げて立ち去る。

 帰り道、彼の壁画の詳細を思い描こうとした。けれども、頭の中は白色であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白壁の絵 安藤州 @bo-kansya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る