終章

49 いろんな方向に心を動かして

「はい、みなさんこんにちは」

「こんにちはー!」

「夏休みは楽しかったですか?」

「楽しかったです!」

「お姉さんもみんなに会えてすごく楽しかったです。お姉さんは今日でこの町を離れることになるけど、みんなのことは絶対忘れないからね。だからみんなもお姉さんのこと、忘れないでいてくれるとうれしいな」

 最終日がやってきていた。透子さんと彼女はいつもの公園のいつもの夕暮れの時間で読み聞かせ会をひらいていた。集まってくれた人たちは大人と子どもで総勢20人ほど。買い物帰りに立ち寄ることもない公園だから、ここに来てくれたのはSNSや役場に置かせてもらったチラシや名刺を見て来てくれた人たちだ。

「今日は最後の日だから、お姉さんがいちばん好きで、いちばん大切にしたいお話を読み聞かせするね」

 そういって背面からぼろぼろの絵本を取り出した。

「この絵本の作者は大也おおなりこうづきさん。この人はもう亡くなっていて、じつは作品もそんなに残っていません。でも、数少ない小さな作品のなかにたくさんの宝物を詰めこんでいま生きている私たちにこれを遺してくれました。みんなと同じくらいのときにこの絵本に出会ってからずっと、私はこの絵本が大好きです」

 三角座りをして一心になって透子さんを見つめる子どもたちの後ろで彼女は、あ、と声を上げそうになった。彼女がプレゼントにと買ったものと同じ絵本だった。けれども、透子さんが持つその本は彼女が買ったものではない。

 すっかり色あせて角はひしゃげ、取れかけたページを補強しているのか天地から補強テープが見え隠れしているそれを、大事に抱えてそういった。鉛筆で描画された小さな子ども用のくつが長い影をたずさえてぽつんと描かれたものが表紙だった。

「『くつのなかのいしころ』。大也こうづき、作」

 透子さんの読み聞かせする声は最初に聞いたときと同じ、風に乗ってやってきた。

「いまからそんなに、とおくないむかし。といってもきみたちがまだうまれたばかしのころ、“トコちゃん”というおんなのこがいました。トコちゃんはあるくのがだいすきで、はいはいしているときから、あっちへいったりこっちへいったり、おかあさんおとうさんの目をぬすんでは、ぼうけんする女のこでした」

 慈しむように、愛おしむように、透子さんは続けた。

「トコちゃんがたってあるけるようになったとき、おかあさんがトコちゃんに、ちっちゃなくつをプレゼントしてくれました。そのくつは、ほつれにくいデニムので、足にぴったりのサイズでした。あんまりはきごこちのいいものだから、トコちゃんはすぐ、そのくつがすきになりました」

 透子さんが読み上げる声に心奪われていた彼女がそこではっと我に返り、子どもたちの後ろでせっせと作業した。なるべく音を立てないようにそっと贈り物を収めていくその作業は文字どおり種をまく作業だった。きっとあの絵本を読んだ人は同じことをしたくなってしまうのだろう。

「ある日トコちゃんは『なんだかくつのなかがごろごろするの』といって、おかあさんとつないでいた手をはなしました。くつをぬいで、かた足でたって、トントンして、ごろごろのしょうたいをさぐります。すると、ごまつぶみたいにちっちゃくてまあるい、いしころみたいなものが、ころんとおちてきました。トコちゃんが『なあんだ。こいしかあ』とむくれたかおをしていると、おかあさんが『あら?』とこえをあげました。『これ、たねじゃない? なんのたねかは、わからないけれど』」

 ここ、好きなんだよな、と彼女は最後のひとつを収めてほっと息をついた。

「トコちゃんは、おかあさんがかってくれたちいさなはちうえに、えいようたっぷりのつちをいれて、そこにくつのなかからおちてきた、まあるいいしころを、そおっとうめてあげました。それからおへやのいっとうちの、まどぎわにおいてあげました。ほんのちょっぴりだけ、ものごころのついていたトコちゃんはおもいました。『こいしがたねなんて、おかあさんへんなこというなあ』」

 それからトコちゃんの身の回りで不思議なことが起こりはじめた。紙ふぶきの切れ端のようなのが道ばたに落ちていると思ったら、風が吹いた瞬間、白い蝶々になって空高く舞い上がっていったり、太陽を見るために翳した手のひらに、どこからともなく宝石みたいに透き通った虹のかけらが落ちてきたり、それから、お父さんお母さんと車で出かけたとき、雨足と追いかけっこになったり──。

 透子さんの声を聞きながら子どもたちの様子を見てみると、まだ知らない世界の物語に興味津々なのか身を乗り出していた。子どもだったトコちゃんは小学生になり、中学生になり、高校生、大学生、社会人と、成長してゆく。透子さんがページをめくるごとに少しずつ大きくなってゆく人の影とぼろぼろになったり新品になったりかわるがわる靴の絵、その靴のなかで、芽が出たり幹が伸びたり、種も大きくなっていった。

 トコちゃんはそうして、世界一好きな人と結婚して、たくさんの苦労をして、かわいい子どもを授かった。立って歩くようになった子どもに靴を買ってあげて、トコちゃんはそっと、いつかお母さんがそうしてくれたように、出かける前の靴に花の種を入れてあげた。

「『ねえ、ママ』、『なあに?』、『なんだかね、くつのなかがごろごろするの』、くつをぬいで、とんとんして、でてきたおはなのたねに『なあんだ、いしころだ』とむくれたかおでいう子ども」

 トコちゃんはそのやり取りにかつての自分を思い出してほほえんだ。

「『これ、たねじゃない? なんのたねかはわからないけれど』、『たねなの? すごい!』、『おかあさんとそだててみよっか』。夕やけの町にふたつ、ながいかげとみじかいかげが、ゆっくりゆっくり、のびていきました。──おしまい」

 土に植え替えられた花と、芽が出た小さな靴が描かれたページを最後に、透子さんがいつもの合言葉で物語の終わりを告げると、わっと拍手が巻き起こった。

「みなさん今日はお越しくださって本当にありがとうございました。ささやかですが私と古海さんからみなさんにプレゼントがあります。みんな、自分の靴を見てみてください」

 えー?、なにー?、と口々に振り返って靴を見ると、途端に「お花だ!」、「本当にお花がある!」とびっくりしたような声。

 子どもたちの小さい靴に入れて置いたのは小さな鉢植え入りのプリザーブドフラワー、それとその花の種だった。不織布と透明のセロハンを貼り合わせた袋でラッピングしたものだから音を立てずに入れるのは大変だったが、子どもたちの反応を見ているとどうやら気づかれずに準備することができたようだ。

 お花が咲いた小さな靴に子どもが心の底から喜んでいる光景に、感じたことのない気持ちに自然と心が高ぶった。彼女は透子さんを見て「やりましたね」と目で合図した。透子さんも一度瞬きして応えてくれた。

「お花と種のラッピングをみんなの脱いだ靴に入れておくのは、町を離れる最後の読み聞かせのときにプレゼントとしておこなっています。『くつのなかのいしころ』みたいにお母さんお父さんといっしょに育ててみてください。そして、トコちゃんみたいにこれから生きていくうえで出会ういろんなものやことに、びっくりしたり感動したり、ちょっと背伸びしてみたり、いろんな方向に心を動かしてください。そうすると毎日がとっても楽しくなるから。たまには疲れてしまうこともあるかもしれないけど、そういうときはちゃんと心を休ませてあげてくださいね」

 はあい、とほくほく顔の子どもたち。親御さんも小さくうなずきながら透子さんの言葉に耳をかたむけた。

「今日は本当にどうもありがとうございました。SNSは更新するので、たまに覗いてくれるとうれしいです」

 こうして透子さんの、この町での最後の読み聞かせが終わった。帰り道を歩いてゆく親子の影はやはり夕日によって長く長く伸びていった。

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