砂糖の味

三つ組み

前編


確かに、地獄はあるのだ。

ごく身近に。そう、僕らの頭のなかに。


 前編


 公園で呑んだくれているところに、その男はやって来た。どんな格好だったろうか。

 酔っていたせいか、記憶がぼんやりして、よく覚えていない。だが一つ言えるのは、所作の一つ一つが、いちいち丁寧だったってことだ。


 どんな話をしたのか。

 それも覚えていない。

 たぶん仕事の話だ。失職していた俺は嬉しくて、話し半分に了承したのだから。

 しかし男の言葉だけは、妙にはっきりと、

 耳にこべり付いている。


「人を殺すのなんて簡単だ」


 そんな訳は無いだろう。


「砂糖の味を忘れれば良い」


 最初意味のわからなかったその言葉も、仕事を繰り返す内に、よぉく解ってくる。

 簡単さ。砂糖の味を、忘れれば良い。


 起きる。朝だった。

 気が付くと俺は安アパートに帰ってきていた。

 自然に目が覚め、朝食をとり、スーツに着替える。するとそこで、自分が職を失ったことを思い出す。


 口からは自然と笑いがこぼれ落ち、六畳一間の畳の上に寝転がる。ふとスーツの裏ポケットに違和感を感じ、まさぐってみる。

 すると、メモ書きが出てきた。


 そうだ。男に貰ったのだ。


 仕事は簡単。ネットカフェに入り、あるURLに渡されたUSBメモリに入っているファイルデータを送る。たった、それだけである。


 それが確認されると、俺の口座に金が振り込まれていると言う。銀行にいって確認すると、とんでもない額が明記されていた。


 スマートフォンからネット記事を開く。

 トピックスにはある大手企業の本社ビルが爆破されたこと、そしてそれに巻き込まれ、社長、理事長、その他株主達が死んだことが記されていたが、無関係な話だ。


 その後も簡単な仕事ばかりだった。指定されたカフェに予め渡された鞄を置き忘れる、とか、公衆トイレに火の付いたマッチを捨てる、とか。そんなような。


 犯罪に荷担されているのには気がついた。

 極めつけは、その日その日に、ニュースのトレンドに、必ずと言うほどではないにせよ財界、政界の大物が、様々な原因で死亡したと表示される事だろう。

 隠されている事実もあるだろうし、随分な大事だ。

 計画のことが一切俺に知らされないのは、もしも俺が捕まったときのため、だろうか。


 だが金には変えられない。


 砂糖の味を忘れる。

 正にそんな感じだ。関係ないとは言え、ニュースのモノによっては、テレビの向こうで見ていた人も少なくない。だからこそ、だ。


 場合によっては、その日との息づく様を見てあるからこそ、だ。そう言うときこそ、人殺しに重みが出る。それに慣れるのは正に、砂糖の味を忘れる感じに似ている。


 生活は豊かになった。住む場所も、そこそこ大きなマンションに変わって、食うものもカップ麺と大衆食堂からおさらばした。


 でも、淡々と。

 淡々としなければ、受け入れられない。


 俺のこの仕事の道具は、俺が指示されてホームセンターで買うか、顔もわからない仲介者が指定された場所で渡してくるか、このどちらかだ。


 俺は疑問を感じ、仲介人に聞いた。

“何故、俺なんだ。俺を使うんだ”と。

 答えは簡素なものだった。

“必要だからですよ、我々にとって。”


 仕事をこなす日々は、続いた。


 仕事の待ち時間に、カフェに入った。

ホットコーヒーを頼んだ俺は、砂糖を入れ、カップに口をつけて、思った。

“コーヒーの味はどうだったか”と。


 砂糖を何杯も入れた。

 しかし、味がどうしても解らない。

 釈然としない気持ちのまま、俺は仕事をこなす。


 そうしている内に、俺は殺す相手と対面した。

 偶然だ。本当にたまたま気が付いたのだ。

 男は俺に気付くと、表情をひどく怯えたものに一変させ、俺に震えた声で問いただしてきた。


“お前、あいつらの手先なのか。”

“知らない。あいつらって何だ。”

“お前も騙されているんだ。”

“騙されている?”

“そうだよ。あいつらに。あの化物たちに。”

“化物? いよいよ訳が解らんぞ。”

“騙されてるから、気が付かないだけだ。”

“そんな、まさか……”

“きっとそうだ。お前も化物に呑まれてるんだ。”


 俺の関わった死体が、一個増えた。

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