我が宅は埴生の宿なり

中川 弘

第1話 小さき庭に生けるものたち


 我が宅の巨峰が昨年に引き続き、いや、昨年を大きくうわまって、大粒の房をつけています。


 少し時期的には早いとは思ったのですが、雨の多さ、気温の低さを考慮して、その大粒の房にぶどう用の一号紙袋をかぶせて、秋の実りの頃合いをこころまちにしているのです。


 今年はウッドデッキのポットで夏野菜を栽培するだけではなく、庭の一角で畑をやろうというので、ホームセンターで、牛糞入りの肥料を三袋も買って、そのうちの二袋六十キロを、耕した庭土に混ぜこんだのです。

 そのおりに、巨峰の根元にもたっぷりと牛糞をねじ込んだそのせいではないかと思っているんです。


 一本の木から伸びた枝の、そこからさらに伸びた新しい枝にそのたくましい房がぶら下がっています。

 数えてみますと、二十はくだりません。

 きっと、梅雨があけて暑さが続くことで、さらに房は大きく成長するのではないかと期待をしているのです。


 昨年は、そのぱんぱんに膨らんだ粒を美味しい美味しいと言いながら味わいましたが、今年は、ひと瓶のワインができるのではないかと、とらぬ狸の皮算用をしているところなのです。


 そのぶどうの葉に、親指ほどもある大きな芋虫が乗っていました。

 ここは揚羽や紋白、紋黄、時には、シジミの蝶の通り道になったいるのです。


 実際はどうだかわからないのですが、以前、勉強した日高敏隆の本で、そのことを知りました。

 日高敏隆は、蝶の道なるものを解明した昆虫学者です。


 私がウッドデッキで仕事をしていると、盛んに蝶が飛んで来るのです。

 以来、我が宅のウッドデッキは東から西へと蝶の道になっていると、日高先生が本に書いていたことを参考に、私、勝手に思っているんです。


 ですから、この芋虫も、その蝶の子孫に違いないと、そう思って、巨峰の葉の上にそのままにしておいたのです。


 雨降りの続いた数日後のことでした。


 その葉の下の踏み石の上に、その色あざやかな芋虫が体を丸めて、体液にまみれて転がっていたのを見つけたのです。

 きっと、鳥についばまれて落ちたに違いないと、そして、成虫になる前に息が絶えたんだとそう思ったのです。


 これも自然の摂理だ、致し方がない。


 人間界と違って、彼らは、日々を命をかけて、生きているんだと、私、弔いの言葉にもならぬ言葉を心に宿したのでした。


 そして、さらに数日後、その体は蟻たちによって、踏み石の上から耕された土の上に移動されました。


 そこは、蟻の巣に直結する穴のそばでした。

 蟻たちが、この芋虫のたんぱく質でできた肉片を、今度は、自分たちの栄養にするために、せっせと噛み砕いては、巣の中にある倉庫に運んでいるようです。


 幼き日の日高先生のように、私も、しゃがみこんで、その様子にじっと見入ったのでした。

 生き物は、他人の命を、こうして自分の命を継ぐために使っている。生きとし生けるもの皆、そうしている。

 人間だって、そうだって。


 生き物の命を頂戴して、それを自らの命を支える栄養にしているんだ。


 蟻たちは、私が見ているのもお構いなく、せっせと芋虫をかじり、自分の身体の倍もあるその欠片をくわえて、歩き回ります。

 実に働き者です。

 働くためだけに生きているのがこの蟻たちなのだ。

 他のことは一切考えない、自分に与えられた役目を、何の疑念も挟まずに遂行する。


 彼らは一切の不平も不満も言わないのですから、蟻の社会では、その支配者は楽だろうと、私はしゃがみながらそう思ったのです。


 突然に、蝿が一匹、しゃがんでいる私の顔のそばを飛び始めました。


 遠慮もなく、不躾にも、私の頬をさすってきます。失礼なやつだなって、私は顔を振ります。それでも、彼はやって来るのです。

 

 私が耕した庭の、その一角で、蟻は黙々と芋虫を運び、蝿はうるさく私の頰にくらいついてくるのです。


 おや、そうか、この蝿、私の頬を食べ物と思っているんだ。


 おやつに頂いたせんべいのかすの匂いがこの辺りに漂って、それで、何か食べ物があるのだとそう思っているに違いない。

 それとも、私のふっくらとした頬が、あの芋虫のように見えたのかしら。


 あっちは、蟻くんのもの、こっちは蝿様のものとそんなことを考えていたのかも知れないと愚につかないことを思ったりしていたのです。


 私は、右手をさっと動かし、そのうるさい蝿を追い払いました。

 ひょんなことで、私の手のひらがその蝿に当たってしまったようです。

 蝿は、乾いて白くなった踏み石の上に頼りなく落ちていったのです。脳震盪でも起こしたに違いありません。


 すかさず、蟻が数匹、そこに近寄って行きました。そして、透明な羽を噛んだのです。

 飛ばないようにしているようです。


 そして、芋虫の次に、それを栄養にするようです。

 でも、芋虫はともかく、蝿など、食べるところがあるのかしらって、思うのです。


 小さな我が庭で、こうも激しい生存競争がなされているなんて……。


 考えれば、私だって、この世知辛い世の中で懸命に生きようとしていのですから……!

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