第7話 リグネッタ=エリアレンの帰還
一閃。
彼女が剣を振るうと、黄金の稲妻がほとばしる。
その、まるで竜のような雷光が、
コベルマンの泥波を容易く斬り裂いた。
真っ二つになった大波がぼろぼろと自壊していく。
男は、崩れた泥に呑まれて、すぐに見えなくなった。
剣を降ろしたフロンシアが、僕たちに向き直る。
大雨は、いつしか、止んでいた。
「お父様から魔剣をお借りするのに、時間がかかってしまいました。すみません」
ぼそぼそと小さな声でフロンシアが言った。
「それって」
「雷神剣エリアレン。まごうことなきチート武器です」
「チート……?」
「書籍版ならこのコベルマン襲来篇の際に、レイチェルが領主オルトロスから譲り受ける魔剣です。その剣でもって、カーレイとレイチェルはコベルマンを退けるのです。まぁそのときには私が死んでるんですけど」
自嘲気味にそう言いながら、彼女は剣を腰にしまった。
僕とお嬢様は、困惑しながらも傍に寄る。
襲来篇だの書籍版だの理解が追いつかない単語が多いが、たぶんそれこそが、彼女が未来を知っている理由に関係するものなのだろう。だが話を聞いている感じだと、どうもその未来とやらと現実は、ある程度、食い違っているような気がする。
「まぁなにはともあれ、助かったよ、フロ……いや、リグネッタ様?」
「フロンシアで構いません。今までどおりが一番楽です」
フロンシアは傷跡の残る左側にベールをゆるりと巻いている。
僕がそれを注視しているのに気付いたのか、彼女は目を細めて睨んだ。
「というか、カーレイは、なんでまだ王の力に目覚めてないんですか」
「え、ええ? 王の力ってなんだよ」
「今までどおりとは言いましたが、まさか覚醒イベントで覚醒してないとか……」
それもフロンシアの知る僕の情報なのか?
ほんとになんなんだ。心当たりがまったくない。
と思っていたら、呆れた顔でフロンシアが言う。
「君、ラドメイシュって名でピンとこなかったんですか。たぶん知らないと思いますけど、この国の王家の名前なんですよ。君は、現王の庶子です」
「カーレイにそんな秘密があったの!?」
本気で驚いたらしく、お嬢様が大声をあげる。
だが、そう言われても実感がない。そりゃ捨て子だったわけだから、誰が親でもおかしくはないんだけど、別にそれが王の子である必要はないというか。自分でも思い出せない血なんてものに、縛られる気もなかった。
「……まぁ、どうでもいいよ。たぶん目覚めないと思うし」
「カーレイってそういうキャラじゃないんですけど」
「というかさ、僕の知らない僕と比べられても困るんだよな」
そう言うと、ようやくフロンシアがくすりと笑った。
ベールの下の笑顔は初めて見るが、悪くないじゃないか。
そう思ったとき、僕は、後ろから思い切り引っ張られた。
「だから! 私を! 無視するんじゃないわよ!」
と、いつかのようにお嬢様が僕を押しのけたのだ。
脇から伸びた細腕が、フロンシアの袖をぐっと掴む。
傷は、魔法である程度治してしまったようだ。
「ちょっと! フロンシア! どうしてここに来たのよ!」
「……本気を出すことにしたんです。やっぱりどう考えても、あなたとカーレイを死なせる気にはなれませんでした。コベルマンはレイチェルの仇ですし、そもそも本当にムカつく敵キャラですからね。ここで確実に始末しておきます」
そう言いながらも、彼女の視線はリグネッタ様のほうを見てはいない。
だがお嬢様はそれを気にした様子もなく、いつものように声を張り上げた。
「コベルマンは想定の100倍強かったわよ!」
「そうみたいですね。傭兵を集めたくらいで勝てる相手じゃありませんでした」
「あなたの作戦は、ダメダメのダメだったわね!」
「レイチェル。私は……」
歯切れが悪い。その理由に、僕は察しがついている。あのとき僕に、お嬢様を見捨てろと言ったのは、フロンシアだ。彼女は確かに裏切った。だというのに助けにきたのは、罠とやらが失敗したからだろう。なら、バツが悪いに違いない。
お嬢様はフロンシアの頬を両手で挟み込むと、目が合うように向けなおした。
「フロンシア、分かってるわ!」
「……っ」
「私もあなたを一人にする気にはなれなかったわ!」
そう言い切るリグネッタ様は、硬い笑みでしかし微笑んだ。
フロンシアは歯を食いしばるようにして、唇を震わせる。
「あのっ、私は、あ、謝らないといけません」
「気が済むまですればいいけど! 私はそんなので許してあげないわ!」
「私は、自分のためにあなたを犠牲に、しようと、しました」
「お互い様だわ! 私もコベルマンへの復讐のためにあなたの立場を奪った!」
「いいえ、あなたは私のために入れ替わろうと、」
「何言ってるのよ。あなたも、私のために、助けに来てくれたんじゃない!」
言葉をぶつけ合いながら、二人はいつしか泣いていた。フロンシアもリグネッタ様も、別に悪人じゃない。だったら、ちょっとくらい間違えてしまってもやり直すことができる。生きてさえいれば。諦めさえしなければ、なんとかなるものだ。
そうなると、結果的に仲直りのチャンスを死守した僕が一番えらいはずだ。誰よりも褒めたたえられるべきなんじゃないか。とも思うのだけど、残念ながら、二人の間に入る余地はなさそうだった。と、そのときお嬢様が僕を呼んだ。
「カーレイ!」
「はい?」
「助けられたわ。本当にありがとう」
珍しい。
お嬢様は扇子でひらひらと顔を仰いでいる。
そのせいで表情が見えない。もしかして照れ隠しなのか。
傍を見れば、フロンシアも微笑んでいた。
「カーレイ。助けられました」
「まぁ三人とも生きてるわけだし、これが最善ルートってやつじゃないかな」
「そんなわけないでしょう。こんな後悔だらけの物語は初めてです」
笑みが一瞬で消えて、きっ、と睨まれる。
そうか。これでもフロンシアには最善じゃないのか。
きっと僕の知らない苦労が色々とあったのだろう。
「それでも! 私は今が結構好きだわ!」
「そんなわけないでしょう。あなたのご両親だって、」
「えぇ! でもリグネッタがそのことで悔やみ続けるのなら、私は今までのすべてを肯定するつもりだから! ……あ、いや、すべては許せないかもだけど」
ベールに覆われた左目を見てリグネッタ様が言いよどむ。
はぁ、とフロンシアがため息を吐いて、お嬢様を軽く睨んだ。
「やってられません。もう、この人、デリカシーがなさすぎる」
「あなたが酔っぱらって、あんなこと言うからじゃない!」
「というか、ヒロインは二人もいらないです」
「なによ! あなたが助けに来たんじゃない!」
「ほんとに失敗しました。なんで私助けに来ちゃったんでしょう」
頬を膨らませるフロンシア。僕に見せるのとはまた違う顔だ。
が、明らかにその表情は楽しそうだった。
まぁ本気で怒ってるわけじゃないなら、止める必要もないか。
「ちょっと大げさだったわ! コベルマン関係のことは許さないことにする!」
「当たり前です。私もあいつだけは許しません。確実に、仕留めましょう」
ん?
仕留めるもなにも、もう死んだんじゃないのか。
と思った瞬間、大量の魔力が土の下から立ちのぼった。
この感じには覚えがある。
「本当にしぶといやつですね」
ずるり、とフロンシアの背後でなにかが持ち上がった。
大量の泥と石が混ざった何か。わざわざ確認しなくても分かる。
コベルマン。
「この男はまだ生きているの!?」
お嬢様が眉間にしわを寄せながら、足を踏み鳴らす。この様子だと、相当、ご立腹だ。土が割れるように分かれていき、その中心からコベルマン伯爵がせり上がってくる。カッコつけた燕尾服もズタボロで、血まみれで傷だらけの身体がむき出しになってしまっていた。残念ながら、これじゃもうちょっとした変質者だな。
しかし間抜けな恰好に反して、溢れる魔力はおそろしいほど怒気を孕んでいる。 流石のお嬢様も立腹度合いじゃ、コベルマンには勝てなさそうだった。
「エリアレンの娘……私をここまで追い詰めたことは誉めてやろう。だが、不死身の私をどうやって殺す? 無尽蔵の魔力を持つ私をどうやって抑え込む? その剣がどれほど強かろうとも、私を殺すすべがあるとは思えない」
「そうなんですか?」
言いながら、フロンシアが剣を振る。
しゅぴっと飛んだ斬撃が、コベルマンを袈裟に斬る。
噴き出る血。が、ぴたりと止まって肉体に戻った。
「無駄だ。貴様の父親は、その剣でも私を殺せなかったのだぞ」
「なるほど。本当みたいですね」
向こう四回の斬撃を与えたあとにフロンシアが言った。
やはり想定以上の強敵。正直勝ち目が見えない。
これはもうあれか。僕が、王の血とやらに目覚めるしかないのか。
目覚めたとして、勝てる気はしないが……。
「フロンシア、もしアレだったら僕が覚醒するまでの時間を稼いでくれ」
「いえ大丈夫です。これはちゃんと倒せる相手ですから」
僕は勝手に焦っていたが、フロンシアは顔色ひとつ変えていなかった。
「コベルマン、あなたは絶対に私たちに勝てません」
「自信満々だな。根拠のない自信ほど滑稽なものはない」
「根拠ならありますよ」
ふふん、と聞こえてきそうな顔で彼女は、剣をコベルマンに向けた。
頼もしい。僕を背後に隠そうとするお嬢様と同じくらい頼もしい。
どんどんと、フロンシアの魔力が高まっていく。
そのすべてが剣に集まっていく。
「あなたは、原作でも書籍でも漫画でもボスキャラなんです」
「ボスだと……?」
「はい。そしてボスキャラというのは最後には倒されるんですよ」
口元に笑みを浮かべながら、どこか余裕がある表情でフロンシアは言う。
しかし相対するコベルマンも余裕たっぷりだ。
彼はフロンシアの言葉に破顔し、耳まで裂けるような顔で笑う。
その両腕には、今までで一番の魔力が注ぎ込まれており、
その指先からは、溢れんばかりの力動魔法が流れ出している。
糸のような魔力が、岩石と土砂をかたく結び付けて、再び大波がせり上がっていく。だがその大きさはさきほどまでの比ではない。壁というよりも山。まずいな。いくらなんでも、これを剣一本でどうにかできるとは思えない。
僕は暴れるお嬢様を抑えながら、彼女を背後に隠す。
いや、それよりも加勢した方がいいのか?
と思っていたら、フロンシアが一瞬だけこちらを振り向いた。その口がすばやく動く――(手を出すな)。わかった。彼女がそう言うなら、僕はそれを信じるしかない。フロンシアはふたたびコベルマンに向かい、自信ありげな笑みを作る。
その片腕に持たれた剣には、もうはち切れそうな魔力がたまっている。
こんなものを涼しい顔で制御する彼女は、間違いなく、エリアレンの後継者だ。
ようやく大人しくなったお嬢様と共に、僕はそれを見ていることしかできない。
「さぁいよいよ終わるときだ。生き埋めにしてやろう。それも殺しはしない。生きたまま土で固めてやろう。身じろぎひとつできぬまま、後悔のなかで死ね!!」
「あなたの敗因は、その嬲り癖ですね。すべての行動が、遅い」
「うははははは。そうは言っても、私を殺せないお前に何ができる!?」
フロンシアは、なにかを確かめるように目を瞑った。
その意識が右腕一本に集中していることが、僕には分かった。
「……雷神剣は使い手を選ぶ剣なんです。私は、絶対に選ばれないだろうと思っていました。原作ではそのはずでした。でも、この剣は今、私の手のなかにある。ありえないことなんです。この剣は、価値のない者を認めないはずだから」
コベルマンにはその言葉の意味は分からない。
僕にもすべては分からない。だけど、お嬢様を通して、すこしは分かる。
刹那。フロンシアの腕が、力みひとつなく、振りかぶられた。
「この剣は、勇者だけが扱える剣なんです」
「それがなんだ? そんな剣一本でこの私に勝てるとでも?」
「何言ってるんですか。剣じゃない。私が勝つんです」
そう言うが早いか、フロンシアは剣を軽く振った。
ほとばしる雷光が刃に収束し、輝きがさらに増していく。
飛刃が不規則にうねりながら、コベルマンへと飛んだ。
「『神雷空断』です。すこし恥ずかしいですが、これで死んでください」
「無駄だ。私が作る鉄壁の防御は決して破れない」
もちろんそのときには、魔法使いの前には鉄壁の障壁が作られている。
ただの土ではない。魔力と岩石が練りこまれた鋼鉄のような壁だ。
そして魔法使いの後ろには、同じく、山のような壁が。
しかし、フロンシアは言った。
「すみませんが、狙うのはあなたではありません」
ゆえに、放たれた飛刃は、コベルマンを素通りした。
地面を抉りながら、森の向こう、見えないところへ。
あっちには何がある? 残念ながら僕は知らない。
「うはははは。これが貴様の切り札なのか?」
コベルマンが高らかに笑う。
だが、それが間違いではなかったことはすぐに分かった。
森を飲み込むような地響きと轟音が響く。
かなり近い。いや、近づいてきている。
「はい」
フロンシアがそう言うと同時に、濁流の先端が見えた。
上流が決壊したのだろうか。
とてつもない量の水が溢れ流れてくる。
「先の大雨で氾濫を起こしかけていた川に、最後の一撃を与えました。本来なら崖下に落ちるだけの濁流は流れを変えて、もうすぐここを飲み込みます。いくらあなたでも、数十トンの土石流なんて代物は、受け止められないはずです」
「馬鹿が!! 自分ごと死ぬ気か!!」
「まぁ。あなたがここから逃げられない程度には、足止めしますよ」
そう言いながら、フロンシアはコベルマンの両手足を斬り続ける。
どれも一瞬で再生する程度の傷だが、それがゆえに、動けない。
土砂はいよいよ、目に見えるほどになっている。
おいおい。これは流石にちょっと、不味いんじゃないのか。
「なぁフロンシア! ここからの手はなんだ!」
「ありません! これで奴の力を削ぎます!」
「ありませんじゃないだろ!」
「そうよ! 相討ちなんて絶対に許さないわよ!」
お嬢様も加勢してくれるが、認識が甘い。
これは相討ちどころか、僕らも巻き添えになる奴だぞ。
などと思っている間に、最初の土石流がコベルマンの壁に衝突した。強いと言っても、所詮は土の壁だ。大木と岩混じりの水流がみるみるうちに壁を壊していく。圧倒的だ。人外レベルの魔法使いといっても、自然の前ではこの程度なのか。
コベルマンは必死に壁を集中させて、土砂を食い止めようとする。だが、流れてくるものの量が違う。違いすぎる。一瞬の均衡は次の瞬間には破れて、コベルマンのむなしい努力は無駄になる。ばりばりと壁に穴があいて、ついに壁が崩れた。
「カーレイ! これってもしかして私たちも危ないんじゃないかしら!」
「えぇ。今こそ僕がどうにかなるときなのかもしれません!」
悔しいが、コベルマンが維持していた壁が壊れた今、土砂と僕らをさえぎるものは何もない。恨むぞ、フロンシア。まさかこんな結末だったなんて。
「くそっ! 卑怯だぞ! エリアレンの小娘が!」
「原作カーレイが相討ちに持ち込むために使った手です」
「こんなものに負けてたまるか! 私が! たかが大雨ごときに!」
息も絶え絶えでコベルマンが叫ぶ。
身体の回復が追いつかなくなっているらしく、全身から血が流れている。
まったく。不死身なんだから土砂を無視すればよかったのに。
そうすれば僕らだけが勝手に死んでいただろうに。
「私はこの程度では死なん! 死なんぞぉ!」
「その可能性もあります。なので、オマケも考えておきました」
フロンシアが再び剣を掲げた。
なんだ。また何かする気なのか。
「なんとか間に合いました。原作じゃ、もっと簡単そうにやってたんですけどね。さぁそれでは、締めるとしましょう。私も、こんなところで相討ちとか嫌ですし」
彼女が土砂へと向けて剣を振った。
「降れ。『招竜万雷』」
無数の泡が弾けるような音とともに、光が迸る。
眩い。細かな電流がクモの巣のように広がっていった。
土砂のなかに放たれた無数の小電流が、土石流全体を黄金に輝かせていく。
それは、一匹の巨大な雷竜。
まるでその顕現のようだ。
竜は、まるで意識を持っているように方向を定めていく。
大量の土砂を孕んだまま、コベルマンへと一直線に流れていく。
「エリアレン家の令嬢リグネッタとして、裁きを下します。我が領地で悪事を企み続け、数多くの狼藉を働いたあなたは、帝都アシュリア商会に身勝手な苦しみを与えたあなたは、万死に値する。エニスキス=コベルマン伯爵! 死になさい!」
「黙れ黙れ! 俺が死ぬはずがない! この俺が! エリアレンなんぞに!」
絶叫は途中から、意味を含まない叫び声に変わっていた。
だが、その声は轟雷にかき消されて、すぐにただの一つも届かなくなった。
誰にも。命乞いをしていたのだとしても、もはや聞こえない。
お嬢様が僕の肩を強く握ったとき、魔法の竜が、ひときわ強く輝いた。
「飲み干せ」
フロンシアがそう言うと同時に、巨竜がコベルマンを飲み込む。
土砂が流れ落ちた後には、魔法使いの姿はどこにもなく、
ただ焼け焦げた何かの名残が、岩の表面に焼き付いていた。
魔力はもうどこからも感じない。
ようやく、コベルマンが死んだと分かった。
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