第6話 リグネッタ=アシュリアの追憶



「お話は、ここで終わるのね……」


 倒れたカーレイを思いながら、彼女は呟く。


 両手両足を魔法で縛られ、もはや動くこともままならない。水たまりに突っ伏しながら少女は呻いた。しかしその呻き声さえ、大雨にかき消されてどこにも届かない。いやそれどころか、仮に届いたところで誰も、助けにはこないだろう。


 思えば、あの日もこんな風な大雨が降っていた。

 あれは、自らの友人リグネッタ=エリアレンが雷に打たれた日のことだ。

 

 雨に紛れて、帰り道でまちぶせをしていた私の前で、リグネッタは雷に撃たれた。普通なら絶対に勝てない相手への、まるで天罰のような稲光。チャンスだと思った。私は、振りかぶったバットで、思い切り彼女を打ちすえようとした。


 しかし彼女は、やけに驚いた顔をしながら、あっさりと私の攻撃を受け止めた。

 そして呟いたのだ。


「レイチェル……あなた、本物のレイチェルなの?」


 その言葉の意味は分からなかったが、私にはその瞬間、彼女のなにかが変わっていることが分かった。冷徹さのない強張った表情、人を見下すというよりも恐れるような、おどおどとした瞳。そして興奮に震えたような声が、私の動きを止めた。

 

 雷に撃たれたことで、頭がおかしくなったのだろうか?

 それとも、これが本当のリグネッタなのだろうか?

 理解はできなかったが、私は、なぜか、彼女のことを、嫌いではなくなった。


 逃げるようにして帰り、翌日、遠くから離れてみた彼女は、やはりこれまでのリグネッタではなかった。人を理不尽に苦しめるそぶりは消えてなくなり、反省したような顔で、人々に接するようになっていた。まるでこれが侯爵令嬢なのだと言わんばかりのその姿に、多くの生徒が徐々に魅了されていった。この私も含めて。


 私は、それでも距離感の分からないまま接していたが、リグネッタは随分と私に興味があるらしく、気がつけば私は、彼女と友達になっていた。なぜ、私だったのかはよく分からないが、本当は、私のほうから近づいていたのかもしれない。

 

 彼女のそばで過ごすようになって、私は、ますますこの生まれ変わった侯爵令嬢が好きになった。彼女は強く、物静かで、優しくて。それに時々ミステリアスで。がさつでお転婆な私にはないものを、本当に多く持ち合わせていた。


 そんな私たちの関係が大きく変化したのは、卒業間際の越年の日だった。


 リグネッタの忠告を聞かなかった私は、父さんが行っていた闇取引をなんとかしてやめさせようとした。その結果、あの男が家の扉を叩いた。初めに、母さんが動けなくなった。それから執事が。メイドが。そして、私の身体が固まった。


 動けない私たちの前で、父さんは嬲られた。

 

 男が力動魔法の使い手であるコベルマン伯爵だと知ったのは、それから随分あとのことだ。あの男は終始、高笑いをしていて、まるで玩具をみるように私たちを見ていた。父さんは傷だらけになりながらも、他の皆の安全を、奴に頼んでいた。


 コベルマンは、たまらないとばかりに指をちょい、と振った。

 見えない紐で操られるようにして父さんは家に火をつけた。


 私たちの目の前でマッチを擦らされた顔が、あの目が、かなしみが、今でも私の眼には焼き付いている。あの炎のなかで、皆が生きたまま焼かれ、父さんは燃えたままで母さんに抱きついた。あの、邪悪な演目のなかであの男だけが嗤っていた。


 家中が炎に巻かれ、使用人たちの喉が熱で焼けた頃、私の身体を微弱に覆う結界魔法もついに途切れようとしていた。母さんが、コベルマンを見た瞬間に、私にかけた最後の魔法だった。熱がじりじりと腕を焦がし、汗と煙のなかで意識が途絶えていく。呼吸ができなくなり、梁が崩れ落ち、その下敷きとなり、私は、


 そのとき、一本の小さな手が見えた。

 巨大な燃える梁を、彼女は片手で受け止めていた。

 てのひらから煙がじゅうじゅうと上がる。

 彼女は、リグネッタの髪に、炎が燃えうつる。


 火が、彼女のうつくしい顔を舐めた。


 そう見えた次の瞬間には、私の身体はしっかりと担ぎ上げられていて、死ぬと思えた地獄の時間は、あっという間に終わった。いまだ白い煙が立っている左目を固く閉じたまま、リグネッタは何度も謝りながら、私に抱擁した。


 私は生き残った。ただ二人で。

 涙さえ、焼け焦げていた。


 治療を受ければ、腕の火傷はすぐに癒えた。

 身体に残る傷もほとんどなかった。

 だが、胸のおくにくすぶる感情は、すこしも癒えなかった。

 リグネッタの顔を見るたびに、憎しみが沸き起こる。

 回復魔法は他人に使うことができない。傷は、治らない。

 その火傷に、父さんが、母さんが、みんなが重なる。


 くすぶる炎の奥に、あの男のいかれた笑みがみえる。

 目を閉じても、涙を流しても。


 そんなときリグネッタは言った。


「レイチェルが生きていると知られれば、また命を狙われます」

「生きていたいなら、身を隠さなければなりません」


 眼前の焼けた顔が目に入った。

 リグネッタ=エリアレンは侯爵令嬢だ。

 いずれ、コベルマンに目を付けられるだろう。


 そのとき、奴が毒牙を向けた時、リグネッタは無事に、暮らしてはいられない。私によく似た顔と、この火傷、きっと結びつく。結びついてしまう。それだけは防がなければならない。私の大事な人を、もう二度と傷つけさせやしない。


 私は言った。

 ほかでもない私が、言ったのだ。


「コベルマンを、殺さないといけないわ」

「レイチェル、無理ですよ」

「できる。奴は標的を嬲るとき、それに夢中になるわ」

「誰かを囮に使うつもりはありません」

「私が囮になる」

「無理です。あなた一人をわざわざ殺しに来るとは思えません」

「じゃあリグネッタ=エリアレンなら!?」


 彼女が息をのんだのが分かった。

 その瞳はやけに動揺していて、唇は震えている。

 だけど私は、構わずに言った。


「私がリグネッタとして、あなたの代わりに表舞台に立つ! それから、奴の眼につくように闇取引を潰して回る! 少々の刺客なら、あなたや傭兵が倒してくれるでしょう? きっと奴は痺れを切らして、侯爵令嬢でさえ殺しにくるわ!」

「エリアレン家にはお父様がいます」

「だからこそ、あの男が直々に出てこざるをえなくなるわ!」

「……だけどコベルマンには、たくさんの手下がいます」


 だがその言葉はどこか力ない。

 まるで自分でも信じていないかのように。

 私は、彼女の肩を掴んで揺さぶった。


「私は知っているわ! あなたの勘は異様に鋭い。未来でも読めるかのように、様々なことを言い当てる! なら、この試みが上手くいくかだって、リグネッタ、あなた、ある程度分かっているんでしょう! そうなんでしょう? 答えて。」

「……リグネッタ=エリアレンは、確かに、狙われるかも、しれません」


 たどたどしい言葉の奥に、焦燥がみえる。

 私はもう一押しだと思って、言葉を、畳み掛けた。


「だったら! 私を囮にして! そしてもし私が、コベルマンに捕まってしまったら、あなたは躊躇しないで、私ごとでもいい。あの男を絶対に殺してほしいの!」


 しばらくの後、彼女はゆっくりと頷いた。

 私はそれが肯定の意だと分かった。


 あのときから、私とリグネッタは入れ替わった。

 彼女は従者フロンシアとなり、私を守る剣士になった。

 すべては、コベルマンを殺すために。


 だが、念願の好機が訪れ、コベルマンが私を殺すために、その嗜虐の悦びに酔っていてもなお、フロンシアと私の雇った傭兵たちは、この強大にして邪悪な魔法使いを殺しきることはできなかった。誰も。カーレイでさえも。



 コベルマンがゆっくりと近寄ってくるのが分かる。

 その影が私のうえに覆いかぶさり、ぐいっ、と顎が持ちあげられた。


「うはははは。無様だな。アシュリアの娘よ!」

「……コベルマン」

「さぁ何か言いたまえ! 貴様らの出し物はこれでお仕舞いか?」


 お仕舞いだ。

 傭兵たちによる砲撃は失敗した。

 包囲は気付かれており、すべての魔砲は静止した。


 その時点で、フロンシアの立てた計画は失敗だった。

 どこで間違えたのだろう。


 予想外にオルトロス侯爵が手傷を負ってしまったところか、それともフロンシアを父親とともに屋敷に戻らせたことか、それとも、この越年の日を狙うコベルマンの計画を、フロンシアが教えてくれなかったことか。彼女を恨もうとは思わないけど、もっとうまいやり方があったはずだ、と思うことは止められなかった。


 フロンシアは、もしかすると、リグネッタ=エリアレンという存在を、この世から消してしまいたいのではないか。そう思うこともあった。夜に、彼女がうなされたときに、その寝言のなかで幾つかの単語を耳にしていたのだ。


 生まれ変わり。物語の世界。

 運命。殺される。死にたくない。


 きっと彼女は、私には分からないなにかを背負って、この世界で生きていたのだ。そのなかではたぶん、私よりも大事ななにかがあって、それがゆえに、彼女は私と立場を入れ替わることを受け入れたのかもしれない。死ぬ運命にあるリグネッタ=エリアレンという人物から逃れて、自由に生きていくために。


 だとすれば、私の役目はここで終わり。

 これ以上に望むことなど何もない。


 願わくば、フロンシアがうまく逃げられますように。


 コベルマンは沈黙を貫く私を挑発するように、指や関節を捻じ曲げる。

 折れるほどではないが、すさまじい激痛だ。

 だがもう私には、声をあげる力さえも、残されていない。


「うはは、命乞いでもしてみるがいい。君の父親は妻に手をかけるとき、震えて泣いておったが、それでも私に愛する者の命を願ったのだぞ。さぁ乞うがいい。そこにくたばった青年の命を救うために、この私に自由も不自由も捧げるがいい!」


 カーレイ。

 それだけが心残りだった。

 あの傷では、彼は早晩死んでしまうに違いない。


 リグネッタはずっと以前から、彼のことを話していた。学園でも、彼女の屋敷でも、夢物語を語るかのように、会うのが楽しみだと話していた。ようやく出会った彼は、確かに格好良くて、私がドキドキしてしまうほどに頼もしい青年だった。

 

 三人でお酒を飲んだ日、リグネッタは私にすこしだけ愚痴を言った。

 平気な顔をしていながら、彼女もほんの少しだけ、酔っぱらっていたのだ。


 リグネッタは、ぎゃあぎゃあと泣きながら私に言った。

 カーレイはきっと、私に気があると。

 自分はもうひどい傷のある顔だからきっと愛されないと。

 昔から、誰にも愛されてこなかったと。

 性格も顔もよくない自分は、ずっと一人だったんだと。

 死ぬまでこんな調子で、くだらない人間なんだと。


「そんなわけ、ないのに」

「なんだ? ようやく反応を見せてくれたな」

「そんなわけないって、言ったのよ」


 そうだ。

 そんなわけがない。


 ここでフロンシアが生きて、一人で生き残って、

 それであの子が幸せになれるなんて、

 私は、とてもじゃないけど、胸を張って言えない。

 こんなところで、彼女を置いていくなんて、できない。


 思惑はどうあれ、リグネッタに話を持ち掛けたのは私だ。

 その言い出しっぺが、先に諦めてしまうなんて、

 父さんと母さんに聞かれたら、きっと笑われるだろう。


 この男に復讐すると誓ったかぎりは、せめてそれくらいはやらないと、幸せな気持ちでは死ねそうにない。というか、こんな奴と一緒に死ぬなんて、死んでも願い下げだ。絶対に生きてやる。生きて、コベルマンを笑ってやるんだ。


「……カーレイ!」

「さぁさぁ、命を救えと言ってみろ!」

「侍従カーレイ、私の剣よ! 立ちなさい!」


 雨のなか、それでも私は確かに叫ぶ。

 コベルマンの力が強く、身体を絞めつける。


「私は、まだ負けてない! だからカーレイも!」


 ぱしん、と音が響いて、頬が痛む。

 コベルマンは小鼻をひくつかせながら私を打った。


「そんな台詞に意味はない。人形は大人しく踊っていればいい」

「くだらない。貴方の空虚さのほうがよほど人形だわ」

「思い上がるなよ、小娘が」

「伯爵風情が勘違いしないことね! このリグネッタ=エリアレンが、レイチェル=アシュリアが、あなたごときクズ伯爵の思い通りになるわけがないでしょう!」


 コベルマンの瞳孔が、今までにないほど開いた。

 私はおもわず笑みを浮かべてしまう。

 この男も、こんな単純な侮辱で顔が真っ赤になるのだ。

 どんなに強くても、狂っていても、人間なのだ。


「笑うな! この死にぞこないが!」

「うはははははは。あなたなんて男爵以下、平民以下、豚にも劣る愚物だわ!」

「黙れ」


 と、私の口が強制的に閉じられる。


 コベルマンの右手にとてつもなく強大な魔力が集まっていた。

 力動魔法の奥義とも呼べるほどの技を使うつもりだろう。

 こんな小娘一人に。本気になって。


「四肢を裂いて、腹を裂いて、目の前で解体してやる。己の臓腑がひとつひとつ中空で破裂していく様を、おののきながら見るがいい。まずは右腕からだ……」


 そう言って、魔力の塊が、私の右腕に向けられたその時、

 私の瞳は、コベルマンの背後に小さな、鋼鉄の閃きを見る。


 どすん、という衝撃は真正面から伝わってきた。

 コベルマンの身体が、私に思い切りぶつかったのだ。

 よろよろ、と崩れ落ちる男とともに、私の身が自由になる。


「貴様ぁ!」

「うるさい。みんなの仇よ!」


 蹴り上げた脚がコベルマンの鼻先を打ち上げた。

 ちろちろ、と魔法使いが鼻血を垂らす。


 その後ろで、短剣を握るカーレイが、大きく、息を吐いていた。





 わけがない。

 意識を手放す、わけがない。


 お嬢様の声が聞こえた瞬間、僕はふたたび剣を握っていた。

 狙うは、コベルマンが油断をするそのとき。


「黙れ」男が言った。


 お嬢様の安い挑発で、膨大な魔力が集まっていく。

 魔法使いを守る防御の魔法さえも、解けていく。


 その好機を逃すわけがない。

 僕は短剣を、奴の心臓に突き刺して思い切り捻った。

 いくら回復魔法の使い手でも、すぐには治らないだろう。


 お嬢様に蹴り上げられたコベルマンが地面に鼻血を垂らす。

 無様だ。とても無様で最高の気分だ。

 僕は、魔銃を取り出して間髪入れずに撃ち放った。

 魔法使いの全身から血が噴き出す。


「貴様ら、楽に死ねるとは思わぬことだな」

「お前こそ、ここで死なないつもりじゃないだろうな」

「私は死なん。なぜなら……」

 

 そう言うが早いか、コベルマンの足下から大量の土砂が舞い上がる。

 まるで城壁のようになった土は、僕らを飲み込むかのように広がっていく。


「カーレイ! あれはなに!?」

「力動魔法の応用でしょう。魔銃では流石に対処できません」

「もう! どれだけ魔力があるのよ、あの男!」


 無尽蔵といっても差し支えないレベルだな。

 土でできた津波が、いよいよ押し寄せてくる。

 その波の上で、ひどく息を切らしながらも、コベルマンは嗤う。


「うはははははは! 始めからすべてこうすればよかったのだ!!」


 とてもじゃないが、逃げ切れない。

 お嬢様が啖呵を切った手前、ここで死ぬつもりはないが、

 これを生きて乗り越えるには、魔砲でもぶっ放すしかない。

 一か八かの賭けになるが、やらないよりはマシか。


 僕は地面に転がっている魔砲を手に取り、トリガーを引く。


「ん?」

「どうしたのよカーレイ!」

「出ません」

「はぁ!?」

「これ、どうやら不発みたいですね」


 終わった。





「終わっていません」


 と澄んだ声が轟音を斬り裂いた。

 滑るように近づく魔力は、雷。

 継承されるという魔法剣の輝きが、夜を照らしていた。


「レイチェル、カーレイ。遅れてすみません」


 一振りの剣を手にした彼女は、伏し目がちに呟いた。



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