空気鍛造エアフォージング

白木九柊

プロローグ






 己の願いを叶えようと、理想へ向かって突き進む。


 人々はいつもそうやって頑張って、誰かの願いを踏みにじっていく。






プロローグ



 西暦2040年、東京都。

 夜の街で、等間隔に並んだ数十台の自動保安執行機(オートマチック・ピース・オフィサー)が、市街地にある立体駐車場を囲んでいる。

 丸みのある金属の体を括るように、細く輪のような形をしたライトが赤く光り、その鮮やかだが眩しくなく、どこか穏やかな光で、通行人に近寄らないように静かに注意している。

 そのすぐそばに、パトロールカーが何台か止まっている。警察たちが自動保安執行機(オートマチック・ピース・オフィサー)――通称APOのロボットが作った包囲網の外で、何やら話し合っている。

 腰の拳銃を無意識に抑え、困った顔で依頼人の姿を確認して、空木冬戸(うつぎふゆと)は小さくあくびをかくのを手の甲で隠し、警察たちに近寄っていく。

「状況はどうだ」

「あ、空木独立官だな。よく来てくれた」

 冬戸の姿を認め、警察たちは話し合いを中断し、リーダーらしい人が代表して軽くお辞儀をしてきた。

「御覧の通り、今は犯人が逃げ込んだ駐車場を包囲している。一般人の避難も終了したが……肝心の犯人は姿を隠しててね……」

「なるほど。手こずってるってことだな」

「……っ! それは……そうも言えるかもしれないけど、俺たちはあなたたちと違って、ちゃんと人の心を持っている。だから、住民たちの安全を最優先に――」

「バカかお前は。誰が使用者(デコーダ)に心がないと教えたかは知らんが、使用者(デコーダ)もお前らみたいな一般人も、まっとうな奴や歪んだ奴の比率は同じだ。何かを信じる前にデータぐらいちゃんと読んどけ」

「ぐ……」

「ま、俺はちょうど歪んだほうに分類されるけどな」

 言葉に詰まる警察をさほど興味のない目で一瞥し、踵を返して、目を向けるようにカメラを駐車場に向けているAPOに足を向ける。

「ついでに聞くが、心をちゃんと持っている優しい警察さん。避難はちゃんと終了していて、今中に犯人しかいないとのことでいいんだな」

「え? あ、いいんだけど……」

「分かった。じゃあ、お前らは先に犯人を受け取る準備をしとけ」

 軽く手を振って、独立官手帳をAPOに押し付ける。中に仕込んだチップで身分の認証が終わってから駐車場に入っていく。

 背後から、だから隔離されてるのよ、とか、やっぱ人間じゃねぇな、とか、警察たちの愚痴も聞こえてきたのだが、いつものことだ。さして気にすることはない。

 そんな心底からの憎悪を込めた声を聞き流し、空気が外より少しよどんだ駐車場に足を踏み入れる。

 夜とはいえ、駐車場の中はちゃんと照明をつけているから、さほど暗くはない。静かに両側に止まっている車に挟まれた道を歩いて、上階に向かっていく。

 目標の居場所を掴めようと、コンクリートの床に目を向けると、かなり慌てて走っていったのだろう、微かに溜まっているチリや砂には、延々と伸びる足跡が見える。

 ただの犯罪者だから仕方ないのだが、ド素人だな、と思わずそんな考えを浮かべた。

 外で待機させた警察も含めて、普通なら気づきすらできないであろう足跡に沿って、駐車場の最上階までくる。

 屋上に出ると、吹き荒ぶ夜風に、長めの黒髪が激しく揺らされた。それが鬱陶しくて、手で軽く押さえながら、少しあたりを見回す。

 光のこもっていない冷たい視線は、ふと、隅っこに停まった白の車に止まった。続いて、同じ温度を感じない声で呼びかける。

「おい、聞こえるか。確か……ま、犯行はどうでもいいか。そこにいるだろう。出てこい」

 犯人が身を隠している車に向かってそう言ってみたが、予想通り、おとなしく出てきてはくれない。それどころか、密かに移動を始めた。

 車の影を伝って移動し、ここから逃げるつもりだろう。だが、ここは最上階だ。飛んだりでもできない限り、逃亡のとき屋上なんて袋小路同然だ。ここに逃げてきた時点で、彼は自分のバカさで捕まる運命だ。

「………」

 こっちから仕掛けてもいいのだが、あえて体力消耗してまで犯人と追いかけっこする趣味はない。冬戸は気づかれないルートを選び、唯一の出口に足を向ける。

 すると、案の定、そのから脱出しようとした犯人に鉢合わせた。

 見た目は案外普通の男だ。町ですれ違ったら、きっと犯罪者だと思わないだろう。

 けど、ナイフを手に体を震わせるところを見れば、追い込まれた犯罪者に見えなくもない。

「く、来るな! お、俺じゃない!」

「何を言ってるかはさっぱりだが、そんなことどうでもいい。俺の仕事はお前を捕まえて、引き渡すだけだ。文句がありゃ、警察に言え」

「ひっ」

 言いながら足を踏み出すと、男は怯えるように後ずさりながら、震えた手でナイフを構えた――かと思えば、思いっきりナイフを投げてきた。

「何やってるんだ」

 頭を狙ったはずだが、震える手で投げ出されたナイフは、冬戸の横の空間へと飛んでいった。その刃をあえて指で挟むようにキャッチして、もう一歩男に近づく。

 が、そのタイミングを測ったように、男は急にヤケクソ気味に突っ込んできた。

「うあああああああああぁぁぁぁ――ッ!」

 叫びをあげながら、その右手を伸ばす。指先と手の平に、白い電気のようなものがパキッと走る。次の瞬間、電気に反応し変化を起こされたかのように、男の右手に銀色の光が爆ぜた。

「なるほど、使用者(デコーダ)か。警察が手こずるわけだ」

 純粋な黒色の目に銀色の光の正体――男の手を纏ってざわつく、半透明で儚く銀色に光るキューブ――が映り、冬戸は納得したような声をこぼす。

 AFソースコード。

 通称「AFプログラム」の空気鍛造プログラムが、脳から発する電気信号を神経で伝い、手にある末梢神経系を通じて空気を構成する原子に働きかける。その際に生じたものが、このソースコード、銀色の半透明キューブだ。

 ソースコードに触れた空気分子は、特殊の電気信号によって、構成や性質を書き換えられ、やがて全く別のものに変換される。

 それは、まるで一種の鍛造のようだ。

 現実離れした美しい光景を淡々と眺めていると、男の手を纏ってざわつくキューブの中に、何やら骨組みのようなものが形作られた。それに肉をつけるかのような感じで、光の破片が集まっていき、やがて、銀色に光るキューブが消えるのと同時に、歪んだ形をした一本の棒が男の手に握られていた。

 空気鍛造プログラムの使用者(デコーダ)しか持ちえない概念武装、「鋳装」だ。

 概念物質特有のはかない銀色の光沢を淡々と放ち、近未来的な雰囲気を漂わせているそれは、凍らされた金属のように見える。

 必要以上の無機質であることを主張しているその武器に、冬戸は先キャッチしたナイフを投げる。

「ど、退けよ――ッ」

 そのナイフを棒で弾き、上擦った声で叫びながら、半狂乱状態の男が一直線に突っ込んできた。弾かれたナイフは金づちに叩かれたかのようにへし折られ、鉄くずとなって床に落ちる。

 それを一瞥し、あの棒は少なくとも、触れると消えたりするような概念で構成されるものじゃないと確認すると、目の前まで迫ってきた、今まさに棒を振り下ろした男に視線を戻す。

 軽く身体をずらすと、振り下ろされた棒が宙を切り、コンクリートの床に衝突した。コンクリートが砕かれた音が駐車場の屋上を響いて、破片が周囲へと飛散した。

 全身の力で振り下ろしたのだろう、あまりの勢いを殺せず、男がバランスを崩したタイミングを狙って、その手首を容赦なく蹴り上げる。

「い――いってぇぇ! いてぇ……いてぇよ……ッ!」

 骨を砕けるにはいかなくても、関節をずらしたぐらいはできただろう。男は痛みに鋳装の棒を手放し、手首を押さえて悶絶している。主から離れた鋳装は存在を維持できなくなり、床に落ちると光の破片になり、空気に戻っていった。

 痛みを押さえようとに膝をつき、全身を小刻みに震わせる男の前に来ると、冬戸は彼の手を掴んで強引に引き起こす。喚くのを無視して、両手を背中に回させ、手錠をかける。

「一応言っとくが、AF能力を発動しようとしたら、腕折るからな。妙なマネするな」

 淡々とそう警告すると、拘束した男の腕を掴んで階下に向かう。屋上を離れる前に、冬戸は少しだけ顔を上げて空を見上げる。

 星はない。だが、遠くまで視線を伸ばしても、籠のような鉄の壁はない。一時的に自由な外に出た使用者(デコーダ)にとって、これ以上美しい空はないだろう。

 ただ、どんなに美しい景色でも、それはすぐ覚める夢。なら、夢が覚めたあと空虚を味わうよりも、最初から、夢なんて見ないほうが、幸せかもしれない。


 さて、ここで問題です。

 合理的な説明が不可能で、人の理解を超えた超常現象のことを、人は奇跡と呼ぶ。

 ならば、人為的に制御可能な奇跡は、どう呼称すればいいでしょうか。

 小さい頃、ほとんど誰もがアニメの主人公みたいに、自在に超能力を操れるようになりたかった。

 炎、氷、雷、水、あるいはパワーやスピードを増幅する能力。こういった超能力を持つ自分を想像した人は少なくないだろう。

 とはいえ、あくまでも幼い日の夢。どの道、いずれ忘れていく夢だ。

 しかし、西暦2030年。叶わぬ夢は、発表された神秘なプログラムによって実現された。

 空気鍛造(エア・フォージング)プログラム、略してAFプログラム。

 薬の注射と、脳に特殊電波を発することで、電子機器にではなく、人間の脳にダウンロードするプログラムだ。

 移植に成功した人は、一部の遺伝子が序列を変えられ、超能力を獲得する。

 脳と全身を張り巡らされた神経系も、新たに遺伝子に組み込まれた指令によって、新しい能力を獲得し、本来なら人体内の情報伝達に使う電子信号で、あり得ない現象を引き起こせるようになるのだ。

 ただし、ダウンロードを成功させるには、専門設備以外にも、もう一つ必要なものがある。

 それは――「願望」。

 薬の注射と特殊な電波はあくまで超能力を獲得するために材料にすぎず、材料使って超能力を作り上げるための動力は、心に潜んでいる強烈な願望なのだ。

 それが、ダウンロードしたプログラムをインストールするために、必要不可欠な絶対条件。

 願いを真実の奇跡に変えるところから、AFプログラムは「希望のプログラム」とも呼ばれている。

 しかし、あとあと確認された恐ろしい副作用や、頻繁に起こされた社会問題で、AFプログラムは今や各国政府によって規制されている。

 それにまつわる問題が歴史となった遠く未来では、人々はその技術をこう呼び習わす。


 ――「AF空気鍛造」。

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