第 六 章 11
クソ重いバイクを右に振ってスリップから射出、森屋のインに侵入。120馬力を叩き出すエンジンを載せた重量200キロのバイクが、時速200キロで、尋常じゃない人間がいちゃいけないスピードで、横並びで右1コーナーに飛び込み、ブレーキングポイント! あたしと森屋はほぼ同時に上半身を跳ね起こし、カウルが切り裂いた大気がもろに全身にのしかかり――ブレーキディスクの絶大な制動にフロントフォークは
コーナーのアプローチ――。コーナーの先を睨みつけ、バイクを倒しこんだ瞬間だった。牛の突撃を食らったのような重い衝撃があたしを襲った。
あたしは反射で顔を上げてアウト側を見た。お互いの目がバッチリ合ったのは偶然だった。森屋だ。森屋がアウトからかぶせてきやがったんだ。森屋は即座に体制を立て直しながら2コーナーに鼻先を向け、またアウトからかぶせるように加速。あたしはアクセルを開けられない。開けたら森屋の脇腹に突き刺さる。
2コーナーを森屋の後ろについて立ち上がる。もう一度スリップに入って3コーナーへと加速していくのだけどカタカタカタカタなにかがうるさくて――あたしは目を向いた。
――ちょっと!!
クラッチレバーが明後日の方向に向いていた。接触したに拍子にブラケットごと位置がずれてしまったんだ。
「このっ!!」
フルスロットルのまま、クラッチレバーに拳を叩きつけて瞬時に修正、息つく間もなく――3コーナーのフルブレキーング! ぐらぐらするクラッチを三回切ってシフトダウン、3コーナーにダイブ。インを外し気味でクリア、カタカタうるさいクラッチを耳にしながらゆるい左4コーナーをイン側ゼブラに沿って加速していく。
心臓が、胸の裏側をサンドバックにしていた。
――森屋の野郎。びびったじゃない!
パッシングポイントの5コーナーへと続く直線で、森屋のスリップに三度潜り込む。
でも勝負しない。あたしはコーナーが嫌い。何回も転倒しているからだ。でも森屋は大得意。無駄なリスクは負わない。その分コーナー脱出スピードが乗る加速重視のラインを選ぶ。オーバルコースをくぐるファーストアンダーブリッジを抜け、度胸がいる130Rを望む。
森屋は5コーナーからS字にかけてが得意。だから油断してたろ。あたしはS字の飛び込みが大得意!
森屋に後塵を浴びせ、左コーナーリング。S字の中心で丁寧にアクセルを開け加速、自然と起き上がるバイクの動きに逆らわずダンスのように飛び上がれば、重いバイクでも素早く切り返せる。その瞬間唐突に、カットラインであたしの目の前に森屋の野郎が出現しやがった。あたしは脊髄反射で倒し込もうとしていたバイクを起こしたが、間に合わない。森屋の膝があたしの上腕を削って、あまつさえ前を奪っていった。
――のぉやろう!!
乙女にあるまじき悪態をついて食らいつくが、森屋もバランスを崩していた。両者体勢を整えながらV字コーナークリア。ヘヤピンも心拍を整えるのに使って――もてぎ最長、762メートルの直線、落差30メートルの
ダウンヒルの終わり、右に90度折れた、その名も90度コーナーは、最後の
即座に森屋のスリップに入り、あたしはバイクにべったり伏せ、マウスピースを噛み締め、ステアリングを掴み、両足でフューエルタンクを挟んで体を固定。完全にバイクに伏せて――
森屋がスリップを嫌ってバイクを大きく右に降る。当然追いかける。幅の15メートルの直線を蛇行。傍から見れば車線変更にしか見えないだろう。しかし超高速で走るバイクは直進性の塊。車線変更ひとつにもパワーがいる。森屋はコースの右端までバイクを振ってすぐに左に戻し、763メートルを瞬く間に削って最高速260キロに到達。レコードラインに戻したのと同時あたしはもう一度バイクを右に振ってスリップから射出、90度コーナー飛び込み、もてぎ最大のブレーキングポイントに到達する――
あたしは待つ。森屋がブレーキングに入るその瞬間まで絶対にアクセルを戻さない!
森屋の右手、ブレーキレバーに指をかけたコンマ1秒後にフルブレーキング!
後ろから突き飛ばされるようにして横並びになり、最高速260キロを、最大制動で、数秒で80キロに削る。
コンマ1秒遅らせたフルブレーキング。千分の1秒を争うレースでそれがどんなにやばいか。あたしがやれる、最大最強のブレーキングをあてなきゃいけない。もはや未知の領域。最高速からのブレーキングは恐ろしい。フロントタイヤがグリップを失ったら目もあてられないクラッシュになる。息もできない時速200キロの慣性。ただでさえ
限界の境界線を走る。頭が、真っ白になっていく――
あたしと森屋は横並びのままコーナーへアプローチ。森屋に譲るなんて気配は微塵もなく接触寸前――結局接触。森屋の肘とあたしの膝をバチバチぶつかり合いながらバイクを倒しこみアクセルオン――森屋をパス。海面から顔を出したみたいに息を吸って、すぐに前を睨みつける。
残すは左コーナーと右ヴィクリトリ―コーナー。両方ともパッシングしにくいコーナー。あたしが断然有利。でも森屋の気配がいやらしく張り付いてる。
セカンドアンダーブリッジをバイクを右に振りながらくぐり、ブリッジの影が途切れるところで一気にバイクの左側へダイブ! ゼブラの上を走って完全にインを塞ぎヴィクトリーコーナーを望む。
レコードラインを走りたい。でもインを開けるわけにはいかない。一瞬でも開ければ森屋は絶対突き刺してくる。あたしはバイクを左から右へ切り返す動作をワンテンポ早め、完全にインを締めてヴィクトリーコーナーをクリア。だから――
ホームストレート――400メートル先のフィニッシュライン。
レコードラインを引けなかったあたしは僅かに加速が鈍る。
あたしはバイクに完璧に伏せ、強烈な加速に耐え、段々になったゼブラゾーンに乗り上げ激しい振動を食らいながらコースアウトの絶壁をなぞる。
――300メートル。
直後のエクゾーストノートが追い上げてくる。
手首を返し、ワイヤーが千切れるほど強くアクセルを開く。
――200メートル。
エクゾーストノートが右に振られ、あたしの視界の端に頭を入れてくる。
少しで空気抵抗を減らすために左手をステアリングから外してカウルの中に隠す。
――100メートル。
森屋のバイクがじわじわ追い上げて来て、視界に完全に収まる。
あたしは渾身の力を込めて体をバイクに押し付け、もはや無心で――アクセルを開く!
――フィニッシュ!
「あぁ――!」
あたしは伏せていた体を跳ね上げ、叫んだ。
「あぁあ―――――――――――――――!!」
あたしは叫びながら力を込めて何度も何度も何度も拳を前に突き出した。
勝った! 逃げ切ってやった!
少し離れてところを走っていた森屋が、ヘルメットのシールドを乱暴に開く。その眼が、本気で悔しがっていた。一度、フューエルタンクを手で叩き付ける。
あたしはバイクを森屋に寄せて、どうだとばかりに拳を突き出す。
「次はぜってぇ負けねぇ!!」
森屋は声を張り上げて、痛いくらい強く拳をぶつけてきた。その瞬間、あたしの体に電気ショートを起こしたみたいな衝撃が走った。あたしはステップの上に立ち上がり、まるで勝利を手にしたレーサーみたいに両拳を空に突き上げた。
極上のワンラップ。
あたしは、この一瞬のために走ってる。この勝利のために生きてる!
これは地方レース。ヒエラルキーの最底辺。しかも10番手争い。上を望めば頂点は遥か上空。それでも、このバトルはあたしの長いレース人生で最高峰!
心に焼きついた600のスピード。そして見た、世界という夢。
絶対に譲らない真剣勝負。目指す高みに挑み続ける、本気の気持ち。
この勝利。
その全部を、あたしに与えたのがこの男。
――森屋実篤。
あたしが、あたしのスピードで
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