第 二 章 2



 あたし、本村海の実家うちは、モトムラというレースに強いバイク販売店、いわゆるレース屋だ。


『レーシングチームモトムラ』といえば、その世界では名の知れたレーシングチームで、現在のMotoGP、当時はWGPWorld GrandPrixと呼ばれていた世界選手権にも参戦経験がある。あたしがまだ幼かった、バイクブームの頃は商談の行列ができるほど繁盛していたらしい。それが今じゃ、自転車屋に成り下がっている。


 バイク業界の先細りを感じていた社長は、十年ほど前から生き残りをかけてアシスト自転車の販売を始めた。エコブームやガソリンの高騰の追い風もあってアシスト自転車はよく売れた。さらに自転車ブームが起こり、スポーツサイクルの取り扱いも始め、ついには自転車部門の店舗としてモトムラサイクルをオープンするに至った。


 自転車屋に成り下がっているなんて言ったけど、自転車事業は成功している。


 本業――といっても売上では逆転しているが――バイク事業は、このジャイロ、宅配ピザでよく使われている三輪スクーターとか、お蕎麦屋のカブとかのビジネスバイクの販売と整備が大半を占め、メインだったスポーツバイクの販売は二割にも満たない。


 要するに、うちは自転車販売店を別に持っている街のバイク屋だ。


「よっこいせ」


 軒先に並んでいたジャイロを、左足をかばいながら押して店の中に入れる。


 うちは近所の宅配ピザ店からジャイロの整備を一手に請け負っている。結構な売上げになるのだけど、同じバイクを延々と整備するのは苦痛だ。レーサー競技専用バイクやスポーツバイクならやり甲斐があるし、整備後に試乗して、思い通りの結果がでたりするとうれしくなる。


 社長がモトムラサイクルの出店計画を出した時、あたしは猛反対した。そもそも自転車なんか売りたくなかったのに、出店を機にレース事業から撤退するなんて、とんでもないことを言い出したからだ。


 かなり揉めて、派手な言い争いもしたけど、理論武装した社長にあたしは太刀打ちできなかった。実際バイクの販売は右肩下がりだったし、話を聞けば聞くほど自転車販売に力を入れた方がいいと思えてしまった。それでもあたしは最後まで抵抗した。レース撤退なんて絶対受け入れられなかった。


 最終的にあたしひとりでレース部門を運営し、モトムラモータースの売上げもきちんとあげるという条件で存続が認められた。あたしは経営責任者になり、売上目標が課された。


 この一件で、もともと冷え切っていた父娘の仲は、いよいよ凍り付き始めた。


 あたしたち親子の不仲は、子供の頃から、いやあたしが生まれた瞬間から始まった。


 あたしの〝うみ〟という名前には、海釣りが趣味の社長が考えた、大海原のような〝男〟になれという、大仰で押しつけがましい由来がある。本当なら海と書いてカイと読むはずだっだ。それが〝うみ〟になったのは他でもない、あたしが女に生まれたから。


 子宝に恵まれず、あたしはようやく授かった待望の子供だったらしい。社長は男の子を熱望していて、性別がはっきりしていないうちから男だ、男の子だと騒いだらしい。いざ生まれてきた赤ん坊は女で、半ばやけっぱちでうみにしたらしい。


 そんなふうに生まれてきたけど、皮肉なものであたしは男勝りに元気一杯育った。女の子らしい遊びには目もくれず、男の子に混じって外を駆け回っていた。


 そして血は争えないもので、あたしは自転車より先にバイクに乗っていた。


 三歳の時にポケポケットバイバイクに乗り始め、以来あたしはレース漬けの人生を送ってきた。


 サーキットでの社長は、鬼だった。


 転倒すれば怒鳴られる。ふがいない走りでもしようものならびんたが飛んでくる。


 サーキットでそういう父親はめずらしくない。普通の感覚からしたら目を顰める厳しさで子供を叱りつける。ただ、父親も恐ろしいくらい真剣にレースに臨んでいる。私財を投じ、寝食を忘れ子供とサーキットに通い、全身全霊でトップを目指す。悩ましいことに、そうして世界に出ていったレーサーが結構いるのだ。


 幼い頃のあたしにとって、父は恐怖そのものだった。母は絵に描いたような箱入り娘で、あたしが叩かれてもおろおろするばかり。かばってはくれたけど、最終的には父に付き従っていた。


 そんなこんなで、あたしの反抗期の跳ねっ返りは相当なものだった。


 怒鳴られたら怒鳴り返した。叩かれたら叩き返した。レースなんかやめてやると何度も啖呵を切った。女に生まれたあたしがレースすること自体、父へのあてつけだった。


 なんて――全部嘘だ。


 レースをやめる気なんてさらさらなかった。あてつけているんだと自分に言い聞かせて、溜飲を下げていただけだ。


 レースが好きだ。


 バイクでサーキットを走る。レースをする。それがあたしの全部だった。

『モータースポーツって、なんで〝スポーツ〟ってつくの? 体動かしてないじゃん』


 レースをやっていると、そんなふうに嘲笑混じりで訊かれることがたまにある。不躾な質問にイラっとするレーサーもいるけど、そう思うのは無理もないとあたしは思う。だって、知らないんだから。


 モータースポーツの舞台はサーキット。あたしのホームコースであるツインリンクもてぎは、全長4・8キロのロードコースで、バイクや車がレースをするためだけに栃木の山をまるごと削って建設された、総工費数百億のなんとも贅沢な大規模競技施設だ。


 そしてMotoGPモトジーピー、日本GPグランプリ開催地。


 そのもてぎを、あたしはRSアールエス125ひゃくにじゅうごアールというレーサーバイクで走っていた。


 RSは世界一のバイク製造会社、ホンダの100%子会社、HRCホンダ・レーシング・コーポレーションの製品。


 レーサーバイクとは、これまたレースのためだけに設計、少数製造されるサラブレットのようなバイクのことをいう。レースには不要のヘッドライトやウインカーなどの保安部品は備えておらず、一般道を走ることは許されない。


 普通にイメージするバイクとはかけ離れた魚のようにスリム、かつ小ぶりな車体。74キロという市販車の半分以下の驚異的に軽い車重。パワーの追求故に、1回のレース走行分の耐久性しか与えられていないエンジン。コーナーでは肘が路面に接触するほどバイクをバンク傾けさせる。それを可能にする、強烈なグリップ路面食いつきが得られる溝のないスリックタイヤ。


 速く走るためだけに造られ、サーキットでしか走ることを許されない、生まれながらに囚われている、どこまでも純粋なバイク。


 囚われの身だが、檻の中フィールドでは最強だ。RSの最高速度はおよそ時速220キロ。サーキット1周の平均時速は160キロにも達する。


 特別なバイクを駆り、特別なサーキットで競争レースをする。よーいどんで走り、誰が一番にゴールするか、極めてシンプルで、男も女も関係ない世界一エクストリームな競技。


 サーキット走行は、基本、加速と減速の繰り返し。コーナーに飛び込む直前、後輪リアタイヤが浮き上がるほどの急減速フルブレーキングを下半身で支えホールドレーシングスピード限界速度にあるマシンを60度近くまでバンク、突き出した膝を路面に接触させ、上半身をイン側に大きく投げ出す。


 バイクにぶら下っているように見える、バイクレース特有のライディングフォーム、ハングオンでコーナーを駆け抜け――旋回コーナーリング。旋回完了と同時に加速フルスロットル


 猛るエンジンを御し、アウトへ膨らむ遠心力に抗い、タイヤの限界を探り、コース幅限界、ゼブラゾーンの崖っぷちを駆け、コーナーを脱出していく。減速、旋回、加速。そのすべてを、極限の集中力で、バイクとレーサーがなせる全開、限界一杯でやる。


 ここまで言えば、もうわかるでしょ?


 確かにサーキットを走って、ぜーぜーと息が上がるようなことはない。しかし千分の一秒を削るための限界走行を、ひとレース40分キープし続ける。体力は削られ、精神的消耗は凄まじい。


 とはいえ基本的にやっていることはシンプルだ。でもそれはサッカーや陸上も同じ。ゴールネットをボールで揺らす。100メートルで10秒切る。言葉にすれば簡単なことに、テクニックや戦略、まさにプロフェショナルと呼ぶにふさわしい仕事がある。


 モータースポーツもサッカーや陸上と変わらない。シンプルで純粋ピュアなスポーツなんだ。


 そして、ゴールネットを揺した時、世界新記録を樹立した時、アスリートは感情を爆発させる。レースも同じ。誰よりも速く走り勝利する。それがレーサーの、あたしが望み。


 あの場所で、あの競技でしか得られない世界。


 自分の全部を懸けてもいい。懸けられる。それがレースなんだ。


 だから――


 どうにか父の目の届かないところでレースができないか考えたが、所詮は子供。父の力を借りなければ、車がなければ、サーキットに行くことすら叶わない。


 父を憎たらしく思いながらも頼るしかない。そのもどかしさに、あたしはいら立ちを募らせていた。


 高校を卒業してすぐ、あたしはモトムラモータースで働き始めた。そう父に命じられた。家を出ることも考えたが、資金集めのために一年くらいレース活動を休止せざるを得ない。


 レーサーの選手寿命は短い。一年の遅れはでかすぎる。レースを続けるにはモトムラで働く方が有利だということは考えるまでもなかった。しかたなかった。


「さぁ、やるか」


 ジャイロの整備に取りかかろうとした時、社長がこっちに向かって歩いてくるがショーウインド越しに見えた。


 なに? まだなんかあるの?


 途端に、軽い動悸を感じ、手の平に汗がにじむ。


「おい海、パーツクリーナーのストック、よこしてくれ」


 なんだ、そんなことか。


 あたしは手の平を腰にこすりつけて汗を拭い、棚から缶スプレーを数本取り出して社長に手渡す。社長は無言で受け取るとさっさと踵を返す。


「ねぇ」


 その背中に声をかける。


「社長は…………森屋のこと、知ってるの?」


 社長は眉根を寄せて、誰だそいつはって顔をした


 森屋は社長と顔を合わせても会釈するくらいで、ほとんど口を交わしていないはずだ。


「一時期、あたしとレースやってた男、いたでしょ」


 ああ、と思い出したような声を出して、


「おまえが入院してる時に、一度ここに来たな」


 あたしのノートパソコンを持ってきてと、森屋に頼んだ時かな。来季の企画書を病室で書こうとしたんだ。まだ、レースに復帰する気でいた頃だ。


「知ってるって、なにをだ?」


 やっぱり……。


 社長は仕事の鬼でもある。やると決めたら徹底的にやる。レースに参戦している頃は、サーキットに足を頻繁に運び、家にいないことが多く、WGPに参戦していた頃は日本にすらいなかった。


 年中働いている。それが幼い頃からの父の印象。遊園地に行くとか、普通の父娘おやこがすることを、あたしは一切していない。


 モトムラサイクルの事業も、専念するためにレースからすっぱり手を引いて、モータースの運営をあたしと従業員に任せていた。レース業界の人間とも関わりを持たなくなっていた。だから、森屋のことも耳に入らなかったのだろう。


 あたしが、知らない訳だ……。


「おい、海」


 茫然としているあたしに、訝しげに声をかけてくる。


「ごめん……なんでもない」





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