第 一 章 8



 あたしは目標にしていたチャンピオンシップポイントをかけてレースに挑んでいた。目標ポイントを達成できたら、スポンサーになってくれるって人がいたんだ。


 それなのにあたしは、前戦を転倒リタイヤで終えていた。しかも転倒の際に左足首を骨折して、完治には程遠い状態でその日を迎えていた。


 バイクに乗る直前まで松葉杖を突いている有様だったけど、レースは待ってくれない。ポイントを獲得するための強行参戦だった。


 レース終盤。あたしは目標の順位をキープしていた。このままフィニッシュすればスポンサー獲得。ヘルメットの中で目標達成を確信した、その時だった。


 マシントラブルでも起こしたのか、どっかの大バカ野郎が撒き散らしたオイルに、あたしは不幸にも乗ってしまった。コーナーの進入で、バイクが足元から消えるように、唐突に転倒した。油断したわけじゃない。回避不能のアクシデントだった。


 悪態をつきながらアスファルトを滑走していると、ふいにあたりが陰った。あたしは反射的に空を仰ぐと、バイクのシルエットが黒々と浮かび上がっていた。


 次に気がついた時、あたしは病院のベッドの上だった。


 転倒した拍子にバイクが高く跳ね上がった。そこまではよくあることだけど、不運にもあたしめがけて落ちてきた。


 幸い直撃は免れたけど――直撃なら死んでいた――最悪なことにバイクは怪我を負っていた左足に落ちた。足首を再骨折。膝の骨は砕け、大腿骨まで折ってしまった。大手術して、折れた大腿骨はチタンプレートとビスで繋ぎ、砕けた骨はワイヤーでぐるぐる巻きにされた。


 あたしは懸命にリハビリして、半年以上かかって日常生活を送れる程度には回復した。バイクにも乗れる。乗れるけど、レースができる体には戻ってくれなかった。


 あたしの左足は踏ん張りが効かず、足首はうまく動かせなくなっていた。ギアチェンジするには左足首を動かし、つま先でシフトレバーを上げ下げする。バイクを安定的に走らせるには、下半身をバイクに固定して上半身を支えてやる必要がある。


 そのどちらもできなくなっていた。ライダーとして致命的だった。


 かくして、あたしのレース人生はあっさりと終わった。


 同時に、あたしと森屋のコンビは解散になった。


 病室に顔を見せた森屋に、あたしは言った。


 もうレースには復帰できないって。無理なんだって。リハビリでどうにかなるって怪我じゃないんだって。そういうわけだから、悪いけどもうトランポの共有はできない。


 丸椅子に腰掛け、無表情でいた森屋は「わかった」と小さな声で言った。


 そのままあたしたちは言葉を交わさずにいた。ずいぶん長いこと、そうしていたと思う。


 ふいに森屋は立ち上がり――帰るよ。


 あたしは反応しなかった。固定具にはりつけにされた自分の左足を、ただ見つめていた。


「海」


 その低い声。あたしは顔を上げる。


 森屋は病室のドアを背にして、まっすぐに立っていた。


「ありがとうございました」


 腰を折り、深く頭を下げた。あっけにとられた。なんだよ、やぶからぼうに。


 それから森屋はぱったり姿を見せなくなった。


 それを冷たい、なんて思わない。来シーズンに向けて、あたしの代わりなり、資金集めなりに奔走しているんだろうなって、目に浮かぶようだったから。


 森屋らしいじゃない。


 レースは、こういうトラブルによる別れも多い。あたしと森屋の間に友情なんてものがあるとすれば、カラっとしたものだ。


 あたしも下手したら車椅子になるって言われていて、リハビリに必死で、正直森屋どころじゃなかった。


 かくして、5年続いたあたしと森屋のコンビは終わりを告げた。


 ほどなくして、エントリーリストに森屋の名前が無いことを知った。あたしの代わりは見つけられなかったらしい。


 そうだ――





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