第39話


渦が舞う。

それはそう言った方が適切なものだった。僕の前に現れたのは、荒れ狂う水の流れ。大小さまざまな渦が、水の流れが、折り重なるように視界を覆う。


「どうだ、見えるか!?」

 

 隣にいるハクの声が遠くから聞こえるほどに、その流れは力強かった。

水を外に出してしまえば、水源京は消えてしまう。だから翡翠に渦をつくってほしいと頼んだけれど、それは濁流の川よりも強い、世界をひっかきまわすほどのものだった。

だから僕は、翡翠のでも、水のでもない精を、すぐに見分けることができた。


「見つけた!」


僕は濁流に手をかざす。


「おい、碧!?」

「流れを弱めないで!!」


手がもげそうになるくらい激しい流れ。それでも、触れていなければ対話できない。

僕は流れに両手を突っ込み、その痛みを忘れるくらい強く念じた。


「頼む、流水の神よ。

 応えてくれ!!」





“何者か”





数秒たった後、その声が僕の耳にだけ聞こえた。


「!」

「な、なんだ、答えたのか!?神が!?」

「ハク、黙ってて!!」


僕は意識を集中させ、その海の中に潜った時に聞こえる、あの低い地鳴りのような声に向かって言った。



『お初にお目にかかります。僕の名は紺碧。突然のご無礼をお許しください。』


“よい。許す。

全ての命は水があってこそこの世に生を受ける。ならば、その水を運ぶ余はうぬらの父にして母。

子が親に言を発することに、なんら不思議があろう。”


姿の見えない神はその地の底から響くような声をもっていた。

その声の重みは海のように深く、空のように広い

それが僕の心臓に直接語り掛け、のしかかってくる。

僕は声に潰されまいと、声を張り上げ、流水の神『スイ』に申し立てた。


『流水の神、スイよ!僕はあなたに、お願いがあるのです!』


“願い?”


『はい。この水源京はじきに消える。だからその前に──』


『別の水源京を作ることを、許していただきたい!』





「僕は翡翠を救いたい。それは、ただ生きながら得らせる、という訳じゃない。人として生きていけるようにしたいんだ。」

「だがそれには……」


視線を落とすハクに、僕は言う。


「うん。どう頑張っても、この水源は無くなることは間違いない。ハクが言ったように、水源をここに復活させようとすると水源京をつくった『流水の神』だけじゃなく、他にも多くの神や自然に影響が出る。

 それに、他の水源京に行くのも無理だ。そこにはきっと既に『主』がいる。水源京は主ありきで存在する。なら、翡翠が生きていくには、翡翠が主で有る必要がある。」

「ならば、どうすると言うのだ?」


少し不安げに尋ねた翡翠に、僕は言った。


「──つくるしか、ない。」





『新しい水源を創るのに、協力してほしいのです!!』


“新しき水源、新しき水源京を創る──だと?”


『ええ、そうです!もともと水源が出来る条件の整った場所に水源を創る──これならば、今ある他の水源京を必要ともしないし、風や雨の神にまで影響を及ぼさずに翡翠を救える!!』


“翡翠。ここの水源京の主か。”


スイの声は周囲を探るように水源京の中を駆け巡った。


“救うとは、なんだ。”


「え?」


冷ややかな流れが、身を包む。


“死とは、現象である。生誕とは、現象である。

生まれ、育ち、時が来ればその命は消える。

そこに、何を求めている。

その“流れ”は自然だ。

摂理だ。

水の流れと同じだ。

“流れ”は、止められぬ。

“流れ”は絶対の理である。

だというに、

その流れに、お前は何を言わんとする。

何を問おうとする。

何をなさんとするのか”


スイの声が、僕の脳髄を突き刺した。


“救う?ナンダソレハ?

自然に──“流れ”に、そのような言葉は存在しない。

もはや消えゆく水源、消えゆく命。

その有り方を、その“流れ”を、変えるなど──”




“愚か”




「いいや、ちがう!!」


僕は心の言葉を、声に出す。


「大切な人の命を救いたいとそう思うことが、愚かだなんてことはない!

人は命を慈しむ。それが大切な人ならなおさらだ。

たしかに、命はいつか終わる。

それは“流れ”だ。自然の摂理なんだろう。

けれど、そうだと分かっていても、別れを惜しむ。

だからこそ、命を大切にする──それが、人間なんだ。

大切な人を助けたい、そう思うのが人間なんだ。

その思いを、愚かだなんて言わせない!」


“分からぬな。

流れは絶対の理。

それに異を唱える思いを抱くこと自体、流れに逆らうこと自体、無駄である。”


「いいや、無駄なんかじゃない。

だって、僕は知っているんだ。

生きている限り、人は面白さを探しに行けるんだって。

生きている限り、人は夢を見続けるんだって。

生きている限り、命は誰かの命に影響するんだって。

その命の流れが長いほど、人はその命を輝かせるチャンスが多分にある!!」

「おい、碧──もう、翡翠が限界に近い!急がないとまずいぞ!」


 僕の叫び声が終わると同時に、ハクが叫ぶ。

見る見るうちに、世界の縁が迫ってくる。

水泡のような薄く光り輝く水の幕が。


“──さりとて流れを変えることなど、人間に出来はしない。”


「いいや変えられるさ!!」


僕は渦を掴む。


「僕たちは知っている。

命は、いつか終わるモノだって。

けれど、それはまっすぐ滝のように死に向かっていくんじゃない。

川のように、紆余曲折しながら生きていくんだ。

そうだ、人の命は、川と同じだ。

人間はこれまで川を堰き止め、池や湖を造って流れを変えてきた。

それと同じだ。

誰かを助け、誰かに助けられ、いろんな自然に影響されて、人生は流れを変えていくんだ。

人間は、流れを変えることができる『生き物』なんだ!!」

「碧、もう──」


僕は翡翠の言葉を無視し、ハクにスイを掴んでいない左手を伸ばす。


「ハク──!!」

「!?」

「君の力で、地中に潜る!!」

「う、おお!?」

「翡翠!君の力で、水と一緒に僕たちを連れて行ってくれ!」

「え?は?何を──!?」

「そして──」


僕は消えかけたスイを見つめる。


「スイ、君も命だ。誰かの命に影響されて生きる、命なんだ。生き物なんだ。」


“……”


「だからこそ君も、命の影響で流れは変わる!!

 だから僕は、君の流れを変えて見せる!

 だって僕は、命の流れを変える“人間”なんだから!」


“──ほう、面白い。

ならば、余の流れを変えて見よ、小さな我が子よ“


スイは、その後何も言わなかった。

けれど──



「ハク、碧を連れてここからでろ!!もう、これ以上は間に合わない!!」


翡翠の叫びに、ハクは静かに首を振った。


「いや。もう、流れは、決まった。」




僕は精と対話できる。

けれど、もしかしたら本当は皆できることなのかもしれない。

だって、精は命の光。

命そのもの。

命は、誰かの命に触れるとその有り方が変わっていく。

僕はハクや千恵に出会って、精霊の世界に憧れた。

僕は涼や紅葉に出会って、人の面白さに、友達という存在を知ることができた。

そして翡翠に出会って、何としてでも助けたいと、そう思えるほど強い思いがあるのだと、知った。

そして僕は、翡翠を助けようとしてここにいる。

前の僕だったら、彼女を人として救いたいなんて思わなかっただろう。

僕の流れ人生は変わったんだ。

千恵と、ハクと、雨音と、涼と、紅葉と──そして翡翠と出会って。


きっと対話って、そういうものだ。

命の有り方人生を変えるもの。


誰かが特別にできるものなんかじゃなくて、きっとみんなが出来るモノ。

対話そのものが命の有り方流れを変えていく。


 だから、特別なことは必要ではないと思った。たとえ『神』であろうと、その有り方流れを変えること自体はハクたちが思っているよりも難しくない、と。なぜなら、『神』は生きていることを実感したがる。だから、興味を抱いてくれさえすれば、間違いなく自分から乗ってくる。そう、僕は確信していた。






「え──?」


僕たちは、同時に言葉を漏らした。

目の前に広がるのは、澄み切った美しい水だった。

太陽の光が降り注ぎ、美しい水面が湖底を照らす。

純白の光を浴びた小魚が、銀の鱗を煌めかせて優雅に踊っている。

そしてその魚たちが泳ぐのは、美しい螺旋の街並みに立つ家々の間だった。


「──」


言葉が、出なかった。

目の前にあったのは、見たことがないほど美しい、光と水の都だった。

渦を描くようにして連なる家々が遠い彼方にまで続く、紛れもない水源京だったのだ。


「──やった、のか?こんなあっさり?興味を惹いた、だけで、か?」


ハクのつぶやきに、僕は翡翠を見つめる。


 群青の髪、真珠のような純白の肌、ほっそりとした顎に、力強い藍色の瞳。

 そう、彼女はいた。

 元の人間の姿とは違うけれど、間違いなく生きている一人の少女が、そこにはいた。


「翡翠──」

「……え?」


 太陽が出ていると言うことは、もう今日は8月31日じゃない。

すくなくとも、9月1日にはなっている。


 僕は彼女を救えたら、なんて声をかけるか、それだけは何故か決めていた。

きっと涼や紅葉だったら、もっと違う言葉をかけるのかもしれないけれど、僕はその言葉が一番しっくりきた。

 だってその言葉が、今までの人生をねぎらい次の人生これかあらを祝うには、一番ふさわしい言葉だと思うから。


僕はあっけに取られている彼女に言った。


「──誕生日、おめでとう。」




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