鯖と彼女とランチャー夢と

鯖信者

第1話 私は元会長。

12月25日 23時58分


呼び出しの時間よりは2分早い。

息を切らせ駆け上がった雑居ビルの屋上には、ため息のように小さな音量で聞きなれた音楽が流れていた。

「夜行性ハイズ」は僕が友達に送った歌だ。彼女はこの時何故スピーカーからこの曲を流していたのだろうか。"ただの"友達としか思われていなかったのだろうか。今となってはもうわからない。


フェンスすらない開けた空間に彼女の姿を見つけるのには数秒もかからなかった。今にも崩れそうなビルの端で夜の街を見下ろす彼女の姿は、今までのどの瞬間よりも美しかった。けれど、今はそんなことを考えている場合じゃないことぐらい分かる。

「お前、何して──」

僕の駆け寄る音に気づいた彼女が振り返り、言葉を遮るように言う。

「ありがとう。ありがとう。」

「おいてめえ…いい加減にしろよ…」

腹が立つ。月が綺麗なこんな夜になんで彼女が死ななければならないのか。

「会長へ、ありがとう。」

「俺は会長じゃねえ!元会長だ!!!」

自分の呼びかけにも反応せず、彼女は再びこちらに背を向けクリスマスで賑わう街を眺める。

普段からいつもこうだ。彼女は僕の話を聞かない。彼女が話し手で、僕が聞き手。

「おはようございます。今日も一日頑張ってください!」

だから、毎朝の僕の励ましが、会長としての責務でもみんなへの言葉でもなく、彼女へ向けたものであったことにさえ気づいていない。


クソ…こんなに必死で走っても、この手が彼女に届くまであと数秒かかる。

こんなこと、こんな馬鹿なこと、俺が許すわけない。

二人で行った科学館や、生徒会室での沢山の苦労、受験期真っ只中に池のほとりで交わした秘密の会話。それら全ては彼女の瞳にどう映っていたのだろうか。

──そんなことはどうでもいい。俺はただ、彼女のいないあの商店街の景色に耐えられない。身勝手な想いだとは思う。俺はそうやっていつも自分の優しさで周りを傷つけてきた。あの子にここまで無理をさせ、追い込んでいるのは自分だ。あの子を傷つけていたのは自分だ。だけど、それでも、今回だけは──


伸ばした指先がスカートに触れた──が、もう間に合わなかった。冬の冷たい風と共に彼女は姿を消した。


呆然と立ち尽くす自分の耳に「バカみたいな世界にありがとう 探さないでね」と無機質な歌声が聞こえてくる。時計の針は0時丁度。彼女はこれら全て計算していたのだろうか。出会った時から、今まで、ずっと。


「あなたと桜が見たかった。」

そう呟いた僕の頭には、雪に染まった街へ舞い降りていく彼女の残像がこびりついていた。絶対に忘れない。忘れられない。

だって、その姿はまるで、クリスマスの精霊───いや、蜻蛉せいれいのようだったから─。

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