処女の命は揺らめく

 この世界は不公平だ。生まれた場所、体質、時期。意識が芽生える前からある程度の運命は決まってしまう。その運命に抗うことは難しい。


 私も例外ではない。発症率が極めて低い珍しい病によって、私の運命は唐突に決定された。私の命は、持って高校卒業時期までだそうだ。


 高校入学前にそう宣言された私は、荒れに荒れた。残された3年間で、どう生きろというのだろう。中学生の頃に抱いた淡い夢は、早くも叶わぬ夢となってしまった。


 だから私は半ば投げやりに、自殺を決意した。病院付近にある橋から飛び降りようとした。


「自爆なら、人の居ないところでやってくれるかな」


 その自殺を身を呈して防ぎ、私に生きる意味を示してくれた人の声が響いた。


 速水先生。私はあなたの為に生きた。いや、あなたに生かされていた。だってこの身体が、心が疼くのだ。あなたに命を救われた時から、あなたが欲しい、欲しいと訴えかけてくる。あの時から私に自殺する選択肢は無くなった。僅かな余命なんて些細なことだとさえ思えた。残りの命であなたと愛し合えるのなら、それで構わなかった。


 なのに。それなのに。


「君がどんなに恭子さんを愛していようと、恭子さんは僕だけのものだ」


 速水先生のその言葉が、刃となって私の心と身体を貫く。


 どうして自分ではなく、その人なのか。冷の言葉が脳内で何度も繰り返される。だって中山先生は男遊びが酷くて、冷の気持ちまで弄ぶような人なのに。


「冷君。私は誠さんを愛するわ」


 その男遊びが酷い、中山先生が言った。


「恭子さん」

「誠さん」


 お互いの名前を言い合ってから、二人は寄り添い、手を繋ぐ。


「虫唾が走る」


 私が思わずそう言った瞬間、激しい目眩に襲われた。ああ、そろそろかな。余命半年と言ったが、実際の容態はもっと悪い。本当は入院していて、絶対安静を命じられているのだが、抜け出してきたのだ。


 目眩が続き、焦点が定まらない。しかし私はそれどころではない。


「速水先生。手を離してください」


 そんな女の手を握るな。


「嫌だよ」


 速水先生の言葉は、私を冷酷に穿つ。


「いいから離してください!」

「嫌だと言っているだろう」


 再び、強烈な目眩がした。速水先生が私以外の女と手を握っている。その事実によってこれ程にストレスを感じる。


「ああああああああああ!」


 全身から漲ってくる強烈な嫌悪感。私は堪らず発狂した。身体の不調も相まって、私はもう気が狂っていた。


「大里君……」


 哀れむ表情を向けてくる速水先生。そしていつの日か目撃してしまった、速水先生と中山先生がキスしていたシーンが脳裏を過ぎった。


「うぅ……」


 痛い。心が痛い。私はあまりの苦痛に、蹲ってしまう。


「しっかりしろ、静香」


 そんな言葉が聞こえてきて、私の身体は少しだけ軽くなった。


 私の身体を支えたのは、冷だった。私が唯一仲間だと思えた、かけがえのない人。


「大丈夫。ありがとう」

「いいから、ほら」


 冷は私に肩を貸してくれた。お言葉に甘えて、私は冷に体重をかける。


「ほんと、私たちがお互いに惚れてしまえたら、良かったのにね」


 私は自嘲気味に言った。


 二人がキスしていたところを目撃したのは、冷もだった。そして私たちは、お互いの傷を癒すかのように恋人となった。恋人にはなったけれど、お互いに好きだった人が忘れられず、恋人らしいことはほとんどしていない。


 初めてのキスは冷だった。吸ったことはないけれど、タバコを吸うということは、こういうことなのかなと思った。好きでもない人とのキスは、全く味がしない。でも私の心が傷つく度に、冷とのキスを求めてしまう。恐らく中毒だった。だから多分、タバコと一緒なのだ。


 私は再度、速水先生と中山先生を見た。二人は未だに手を繋いでいた。仲の良いところを、これでもかと見せつけてくる。私を挑発しているのなら、効果は覿面だ。私はそれを見て、また嫉妬心が湧いてきてしまったのだから。


「速水先生は、どうしてあの時私を助けたのですか」


 こんな思いをするくらいなら、死んだ方がマシだった。


「無責任じゃないですか。私は人生に絶望して自殺の図ったのです。でもあなたが邪魔をした所為で、私は今日まであなたに片思いをして、あなたに嫉妬して、また絶望を味わう羽目になりました」


 そして私は思い知るのだ。叶わぬ片思いって、どうしたって心を満たしてはくれない。与えられるのは快楽ではなく、期待感のみ。焦らしに焦らされて、結局おあずけだ。


「私を生かしたのなら、それならせめて私を好きになってくださいよ。どうして中山先生なんですか」


 ああ駄目だ。頭に血が上ってきた。憎しみと愛しさの狭間で揺れ動く感情が、私の脳をぐちゃぐちゃに掻き乱していく。


「やっぱり身体ですか。中山先生、胸大きいですよね。私は小さい。ねえ速水先生、中山先生とのセックスは気持ちよかったですか。好きな人と、愛する人とのセックスは気持ちよかったですか。妊娠しているって、そういうことですよね」


 そしてまた、強烈な目眩に襲われる。でも、私はそれどころじゃない。この心の苦しみを、訴えずにはいられない。


「ねえ先生。私、こんなに狂っちゃいましたよ。それでも、私の恋人になってくれないのですか」


 速水先生はずっと黙ったままだ。ただ私を悲しげに見つめる。それはつまり、そういうことだろう。


「ああ、そうか」


 私は力なく、笑う。


「そこの女が居なくなってしまえば良いんだ」

「静香……?」


 肩を貸していた冷は、怪訝な表情で私を見た。


 私は構わず冷から離れて、側にあった演台の引き出しに隠しておいた包丁を取り出す。


「大里君!?」


 爆弾に加えて新たな凶器を持った私に、速水先生は一歩退いた。中山先生は、自らに向けられた殺意に怯える。


「中山先生。あなたがいけないんです。あなたには、あなたを愛してくれる人が沢山いたじゃないですか。なのに私の速水先生を盗るから」


 そして私は、なけなしの体力を振り絞って、少しずつ中山先生に近づく。


「轟け」


 世界中に。


「我ら」


 片思いにもがき苦しんだ私たちの。


「恋の」


 そして愛と、憎しみと、嫉妬と、絶望と。そして、殺意と悲しみの。


「叫びぃいいいいいい!」


 金切り声が館内を鋭く穿つ。私は、なけなしの体力を振り絞って駆け出した。


 ざっくり。確かな手応えを感じた。間違いなく刺さった。私はニヤリと笑う。突き刺さった刃物から伝って、私の手が温かい血で濡れた。


 はは。


 あはは。


 これで。これで速水先生は私のものだ。


 そして私は顔を挙げた。


「し、静香……」


 しかしそこにいたのは、ぐったりとした表情の冷君だった。

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