第120話 天覧試合

 新年最初の武芸試合は天覧試合とわかり、紫珠しじゅでは賑わいの他に、別のざわめきが生じていた。


 いわば『庶民あがり』の王太子が公務として王の名代みょうだいを務め、紫珠にやってくるということ。ゆえにそれを面白く思わぬ者達の騒めきと、対して寿ことほぐ者達の囁きとが混じり合いそして反発し合い、今までにない政治色を帯びたものになっていた。


 紫珠という学校の中でも水面下では派閥はある。


 それが表面化するだけでこんなにも不快である事をシュンは初めて知ることとなった。


 ——学内が家派としゅう家派に分かれてしまっている。


 そして厄介な事に、周家派の筆頭が『白兄はくけい』なのだ。あいにく何家派の生徒の中で『白兄』に挑み勝てる者はいない。


 畢竟ひっきょう、周家派の者達は勢いづく。


「——優勝は『白兄』殿。次いで『墨兄ぼくけい』。三席目が呉兄ごけいではないか?」


「剣ならば『墨兄』も優勝の目はある。何家派なぞ、誰ぞ挑む者もいまい」


 そう言う者がいれば、別の場所では、


「それはもちろん『白兄』や『墨兄』が優勝するのは決まっておる。決まってはいるが、その試合を王太子様がご覧になるのだ。後々、お二人をのは王太子様ぞ」


 と、何家派も負けてはいない。


「紫珠の中がこんなにも派閥の色が濃くなるとは思いませんでした」


 シュンは隠れ家にてカイとケイを相手にため息をついた。ケイは苦笑いをしながら、壁にかけられている木剣を手にした。


「君は良いのか? ここは周家派の隠れ家だぞ」


揶揄からかわないでくださいまし。——それは、その、私は何家派の者でありながら……その、なんと言いますか……」


 口籠るシュンにカイも笑った。


「気にすんなって。お前がも大切に思っているのは俺らが知っている。それより『王太子』がしゃくに触るな」


「何がです?」


いわく! 白兄と墨兄を従えるのは王太子様だって話さ」


「そんなこと! 周りで騒ぎ立てているだけです。シンはそのような尊大な態度を取るような子ではありません」


「ん? 随分と奴のことをかってるじゃねぇか」


 カイは不機嫌そうにそう言うと持っていた木剣の先をシュンに向けた。


「カイ兄?」


 カイはそのまま切っ先をシュンに突きつけ、前へ出る。シュンはすっと後ずさるが、カイはそれに合わせて歩み寄る。シュンは背中を部屋の壁につけて止まった。これ以上下がれない。


「あの……?」


 カイは木剣を逆手に持ち替えてシュンの首元を押さえつけながら顔を近づけた。


「カ、カイ兄⁈」


 ——近い!


 シュンは顔が紅くなるのを感じた。頭に一気に血が昇ってくる。一方でカイは至極真面目な顔をしてシュンを見つめた。


「前からお前って奴はアイツの事をかばっているな?」


「庇うって……まだほんの子どもですよ。私には弟のようなものです」


「随分と慕われているみたいだしな」


 ずい、とカイは更に顔を近づける。シュンはその黒い瞳が口調とは裏腹にどこか憧憬を滲ませているのに気がついて、更に頬を染め上げた。


 以前、カイが「きれいだ」と自分の事を指して言った時の瞳に似ていたからだ。そして当然、その後のことも思い出されて——。


「あ……う……」


 そのままその場にへたり込んでしまいそうになる。


「アイツと俺が似てるんなら、どっちでもいいよな?」


「そ、そんなわけ……」


 カイとシュンの前髪が触れ合った瞬間、ケイの声が二人の時を破る。


「痴話喧嘩なら他所よそでやれ。腑抜ふぬけていると次の試合は私がぞ」


 カイはぱっとシュンから離れると、「誰が取らせるか」と木剣を振り回して稽古場へ出る。


 シュンは緊張から解放されて、ずるずると床の上に座り込んだ。


 ——な、なんなのだろう?


 胸の動悸がおさまらない。思えばあの夜以来、カイに近づいたのは久しぶりの事である。


 この胸の高鳴りが、頭の中まで響いてきてその心地良さに酔ってしまいたくなる。


 カンッ!


 木剣のぶつかり合う音に、シュンははっと顔を上げると慌てて稽古場の見やすい位置へ飛んで行き、座を正した。


 下馬評——というのは失礼にあたるだろうか?


 この二人が決勝まで行くのは間違いないだろうとシュンは思う。それでいてその試合をシンが観に来る、という話が一抹の不安を感じさせた。





 ——紫珠へ来るのは久しぶりだ。


 そう思ったのは実はその場にいた全員である。


 シンとソウは天覧席——紫珠の武芸試合を観る為の席へ昇る階段の途中でそう思い、花蓮カレンはそれより早く席に着くために紫珠の門をくぐった時にそう思い、その父は未だ残る白梅の木を見かけて懐かしくそう思い——。


 天覧席でその四人は顔を合わせてそろって礼を交わす。


 そしてシンが席へ顔を見せた事で、会場全体にどよめきが走る。


 ——あれがそうか。


 という声と、


 ——いよいよ始まるのだ。


 という声が混じり合った歓声だった。


 天覧席は二階ほどの高さで、天幕が巡らされ、その真下周辺は衛士がずらりと並んでいて、一般生徒が近づけぬよう配慮されていた。


 ——やはり、遠いなぁ。


 シンはここで学んだはずなのに、生徒達との心も、彼等との物理的な距離もどちらも遠い事をひしひしと感じていた。





 次回『再会』

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