第56話 嬉しい知らせをあの方に


 全く思いもしない名が上がり、シュンは驚いた。思わず目を見開いて、学長先生の顔を直接見つめてしまう。


「ふひゃひゃひゃ……やはり驚いたの」


 いかにも面白いと言うように、学長は笑っている。しかしシュンは戸惑うばかりだ。


「……お会いしたこともない私を、シュウ大臣様が推挙されるとは思えません。ましてや私の父は大臣側の者にございます」


「うむ、其方そなたも良くわかっておるのう。全く持ってその通りじゃ。しかし実際にそうであるのだから仕方あるまい。大臣様のお考えまではわしには分からぬが、あの方も其方のことを知っていると、そう心に留めて行動しなされ」


 学長は最後に一言付け加えた。周恵しゅうけい——『白兄はくけい』が周公に伝えたのではないかと言うのであった。シュンは確かにそれが一番あり得ると思い、腑に落ちた。





 学長室を辞すと、シュンはその足で旧校舎の隠れ家へと向かった。


 お二人はいるだろうか。誰よりも先にこの事を伝えたい。


 その想いを胸に、彼女は足早に例の場所を通り抜けた。そっと引き戸を開けると、いつものように明るい陽に満ちた練習場がある。そしてそこには白と黒の二人がいた。


「白兄!カイ兄!」


 呼ばれた二人は振り返る。


「おう、ここんとこ来なかったな?どうしてたん……」


 そう言いながら、カイはシュンの様子が普段と違うことに気がついて口を閉ざす。いつもよりも頬が紅潮していて息を弾ませている。


「何があった?」


 ケイが少し笑いながら聞く。まるで理由を知っているかの様だ。シュンは駆け寄りながら、カイとケイの袖をつかむ。


「私…私、紫珠ここに残れることになりました!」


 カイは目を見開いて驚きの表情をする。一方でケイは「やはり」とうなずいた後、大笑した。


 カイはシュンの腕を掴んで、


「ま、まじかよ?お前——」


 そう言ってシュンの背をバンと叩いた。


「きゃっ!」


「良かったな!」


 思いのほか強い力であったので、シュンは驚いたが、二人が自分と同じ様に喜んでくれているのがわかり、「はい!」と元気よく答えた。





「しかしなんだって急にそうなったんだ?」


 三人は車座に座りながら、囲炉裏を囲んで茶を楽しんでいた。茶菓子には干しナツメ山楂サンザシが出されていた。大抵持ち込むのはケイかシュンであるが、カイも食べるのは嫌いではない。


 シュンは『白兄』が学長に遠回しに推薦してくれた事を話す。それを聞いたカイは意外そうな顔をした。


「ケイがそんな事をなぁ」


「ますます尊敬しました」


 言われたケイもにこやかに、


「そうだろう?少しは兄者あにじゃらしき事が出来たな」


「そんな……白兄はいつも私のような下の者にも気を遣って下さるではありませんか」


「おい待て。それじゃあ俺が気を遣わないみたいじゃないか」


「カイ兄頼りにしております」


「も?」


 そんな風に笑い合いながら、カイはシュンの嬉しそうな顔を、楽しげにながめていた。


 しかしそれを口にはせず、山楂サンザシを摘んで口に運ぶ。


「それにしてもケイの一言でそうなるとはなぁ」


「実は他にも推挙してくださった方々がいるそうなのです」


 シュンがそう言うと、ケイは「え?」と言う顔をした。


「誰だ?」


「はい、私の友人——の父上であらせられる大臣様と……」


「待て待て、シュン。それは本当か?」


「はい。と、言いましても、学長先生から伺ったのですが」


「……」


 シュンの話を聞いたケイは顎に手を当てて考え込んだ。カイは別におかしくないと思って話し出す。


「なんだ?例の家だろ。コイツの腕前をもったいないって考えたんじゃないのか」


「いや……そうだな。そうかも知れない」


 娘の友人というだけで、特別扱いする貴族は確かに多い。あり得なくはないが、娘の友人が進む先は男子の上級科だ。


「推挙したのは何大臣殿の他にもいるのか?」


 ケイにそう問われて、逆にシュンがきょとんとした。


「白兄がその方にお話になったのではないのですか?」



 つづく


 次回『警告』

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