第35話 悲劇
それから数十分、鳥の一団はしつこく留まり続けた。小気味良く爆ぜていた焚き火は蹴散らされ、残り寿命はあと僅か。さわさわと草木を撫ぜる風を前にいよいよ儚くなっていく。さながら落語「死神」のラストシーンだ。
「おかしいな」
異常を感じ取った礼一はひそひそ声で洋に合図した。さっきまで耳が爆発するぐらいに響いていた鳴き声が消えている。
二人は姿勢はそのままに首だけを亀のように長ーく長ーく伸ばして鳥共の動きを目視する。
「止まってるのか?動いちゃいないな」
奴さん達は羽根が不定期に揺れる以外は動かざること山の如しで停止している。調子づいて前に出た礼一が葉っぱをガサッといわせても気付いたそぶりもない。どうも変だ。
「やっちまうか」
微動だにしない鳥の集団に、やの字の下っ端みたいな言葉を吐いた洋が刃を抜きにかかる。“時は今”なんて詠いだしそうな気配なので礼一は急ぎその手を抑える。万が一罠でもあれば二人揃って鳥葬の餌食になってしまうのだ。もそっと慎重になってくれ。そう目で訴えかけると洋は渋々刀から手を離す。
そしてその直後、礼一の懸念が杞憂でないことが証明される。
カサッカサッ
僅かばかりの物音と共に〈肉塊〉が何匹も姿を現したのだ。奴らは木陰からスルリと進み出でると何故だか動かない森の王者に一斉に覆い被さる。
羽根を毟る音に合わせて クチャリクチャリと咀嚼音が聞こえる。狩人と獲物の関係が逆転したのだ。何が何だか分からず茫然とする二人の前で血に汚れた羽根がボワッと舞った。
こうして好き勝手喰い散らかすと魔物はまたひっそりと森に帰っていく。地面には骨と羽の残骸があるっきりで、血の跡やなんかはすっかり舐り尽くされて綺麗さっぱり消えている。まるでここで起きたことがなかったかのようだ。
「ほっといて良さそうだけどな。ここら辺は殆ど人が住んでいないし、麓のあの村だって魔物がいようといまいとここで厭らしい商売を続けるんだろうし」
果たして自分達が来る意味はあったのだろうか。そんなことを考えながら礼一は手足の力を抜く。辛うじて残っていた炎は消え、名残を惜しむように細い煙がツーと空へ立ち上った。
「もう一度火を点けようぜ。その内暗くなってくるだろうし灯りは必要だ。もう獣が来ることもないだろうし早くここから出よう」
そう洋に呼び掛け、茂みから脱出する。一晩をここで明かしたらすぐ山を下りよう。服に刺さった小枝を抜きながら算段を立てる。
ツンツン、
どうやって急な斜面を下ろうかと考えていたら背後から洋に突っつかれた。
「、何だよ。今考え中だから後にしてくれ」
そう言って彼との会話を後回しにしようとした礼一だったが、迫りくる何者かに気付き思考を中断する。近付いてくるそれは焦っているのか、何かに追われているのか、この山には似つかわしくない大きな音を立てている。
「さっさと隠れるぞ」
どちらにしても正体不明の相手に姿を晒すのは良くないと礼一は洋を引っ張って隠れようするが、こういった時に限って彼の動きはノロマでちっとも動いてくれない。早く早く、hurry up hurry up。急き立てても効果はなく瞬く間に音の主が二人の前に飛び出してきてしまった。
「っ、、、、何だ、シロッコさんか。びっくりした。戻って来てくれたんですね」
まさかまさかの現れたのはシロッコだった。胸のつかえが一気に取れた礼一は大きく息を吐く。同時に帰投への希望が一気に見えてきてうっすら涙が滲む。まったくどうなるかと思った。
「ん?何をそんなに驚いているんだ。帰ってくると伝えておいた筈だが」
シロッコはそう返事をすると二人の後ろに転がっているウェネティの鞄を背負いあげ、急げと手で示し走り出す。あれ?俺たちは見捨てられたんじゃなかったのか?急展開についていけず困惑はしつつも礼一は後を追う。一方の洋は頓着しないようで颯爽と礼一を追い抜いて前に行く。
「あっ、てめぇ、チッ」
すれ違いざまにニンマリ吊り上がった親友の口角が目に入り、礼一は直感的に騙されたことに気付き舌打ちをする。糞ったれ、見事にやられたって訳かよ。激流のような怒りに揉まれながら礼一はいつかこの恨みを晴らすことを誓うのだった。
「ん、速度を上げるぞ。間に合わなくなる」
「えぇッ、何があるんですか?今のペースでも結構厳しいんですけど」
「どこかの阿呆が暴れまわったせいで魔物と肉食獣が麓の方へ逃げている。このままだとあそこの村が危ない」
後ろで一波乱が起こっていることなんぞ知りもしないシロッコが途中で更にスピードを出そうとする。思わず怒りも忘れて悲鳴を上げる礼一だったが、理由を聞かされて否とは言えなくなってしまった。
腹の立つ村人達ではあったが、自分達が山に入ったせいで死んじまったとあっちゃ寝覚めが悪い。時々足を踏み外し、あわや地獄の底へ真っ逆さまという状態になりながらも何とか斜面を走り切る。
「はぁ、はぁ、煙たッ。手遅れか」
ようやく麓に辿り着いたのに肺を満たす空気は焦げ臭く、既に村が災難に巻き込まれたことは容易に察せられた。間に合わなかったという罪悪感と共に悲惨な光景を覚悟しながら三人は村の方へと足を向ける。
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