第22話  不変

「今日の昼にあの女が来る」

 塞に来て丁度三週目の朝、シロッコが礼一達にそう告げた。彼が伝えたのはそのたった一言であったが、仮初の平穏をぶち壊すには十分だった。絶対に機嫌を損ねるんじゃないぞと念を押すようにこちらに頷きかけて兵舎を飛び出していく様に二人は揃って嘆息を漏らす。あの店主の機嫌は山の天気のようにコロコロ変わる。取ろうと思って取れるものじゃないし、予測だってつかない。

「最悪逃げよう」

 ぼそりと呟いた礼一の提案に洋も頷いて賛意を表する。嵐の中にわざわざ突入する生き方をする必要はないのだ。晴れる迄待ってから戻ればいい。

 その日の午前中はシロッコは何処かに行ったきり帰って来ず、礼一と洋は呑気に過ごしていた。そして昼になり、戻ってきたシロッコに連れられて中庭に足を踏み入れる。

「相変わらずしけた面だね。顔の一つや二つでも洗ってシャキッとしてきたらどうだい」

 いきなり随分なご挨拶である。大きな鞄を担いだ“魔物の家”の店主は、相も変わらぬ出で立ちで風呂桶の横に立っていた。そういえばマスクのデザインが変わっている。前までは騎士鎧の兜形だったが、今は山羊らしき動物の頭部形である。着けているのが彼女でなければ、何の仮装大会かと笑ってしまうところであった。危ない危ない。

「どうも、こんにちは。素敵なマスクですね」

「ふんっ。人前で目立った格好をしていないといざって時に身を隠し難いってだけさ。着けたくて着けてるわけじゃないよ」

 礼一は試しにおだてようとするが、鼻を鳴らされてしまった。矢張りこの人のご機嫌なんて取れる訳がない。改めてそう思い、横目でシロッコに訴えると彼は此方に向かって顎をしゃくる。もう一度おべっかを使えということだろう。

「いやいや、前にも増してお綺麗でらしてびっくりしましたよ。いやはやこの歳まで頑張って生きてきた甲斐があったというもの」

 口が上手くない割には褒めた方だ。これならどうだとばかりに礼一は店主の反応を伺う。

「ふっ。何だい。口説いてんのかい。尻の青い餓鬼に尻尾を振るほど惚けちゃいないよ」

 失笑されてしまった。これ以上は無理だと再びシロッコを見るが、また顎をしゃくられる。無理って言ってるだろ。こちらに全て押し付け、傍観を決め込む態度に少しばかり殺意が湧く。

「ところであんた達、私があげた石は何処にやったんだい。まさか持ってないってことはないだろうね」

 シロッコに対する不平不満で沸いていた頭が店主の言葉でスッと冷える。あれっ、何処いったかな。

 服を繰り返し叩くが手応えがない。こりゃ困ったぞ、洋が持ってんじゃないのか。そう思って傍らに目をやると同じようにこちらを見つめる間抜け面に出会う。嗚呼、残念。

「すいません。ちょっと今は持っていないです」

 多分兵舎の室内にでも転がっているのだろうが、どのみち手元にないのだ。覚悟を決めて正直に白状した。シロッコが責めるようにこちらを睨んでいるがないものは出せない。

「仕方ないね。ほら」

 意外にも店主は大して怒ることなく、新しい石を鞄から取り出し渡してくれる。申し訳なく思いながらそれを受け取ると洋の持っている方の石が透明な色から茶色に濁った。おや、と感じて手の中の石を確認するが変化はない。

「んっ、本当だ」

 声のした方を見るとシロッコが深緑に色づいた石を眩しそうに日に翳している。礼一は再度自分の掌を見るが透明な石が鎮座しているだけである。おかしいな。

「あんた何したんだい。それは感応石と言って体内の魔石の様子がわかるものなんだけどね。透明なまんまってことは魔石がない状態と一緒さ。そりゃ最初の内は魔石が身体に馴染んでいないから反応しないのもわかるが今の時点でそれは異常だよ」

 店主は怪訝そうに礼一を一瞥し、鞄をゴソゴソ探り出す。

「あった、あった。はいよ、こいつを飲み込みな」

 彼女が放って寄越したのを慌てて受け止めて見れば、白い錠剤である。

「これを飲むんですか。また身体中痛くなって気絶したりしないですよね」

 嫌な思い出があるので素直に飲み込めず確認を取る。

「変なことにはならないさ。何だい。私の薬が飲めないって言うのかい」

 眦を吊り上げて彼女にそう言われれば否が応でも飲まざるを得ない。礼一は首を振ってそんなことはないと伝え、薬を飲み込む。うん。特に変な感じはないな。何が来るかと身構えたが何もなかった。

「よし、飲むか」

 声が聞こえたので横を見れば、礼一に異変がないことを確認した洋とシロッコが躊躇いなく薬を嚥下している。こいつら人のことを実験台にしやがった。少しばかりむかっ腹が立ったが文句も言えず、舌打ちをして前を向くと店主と目が合う。

「薬を飲んだならすぐに魔力が戻るはずさ。魔力が戻ったら言っておくれ」

 舌打ちはバレず、咎められることもなかった。礼一は止まるかと思った心臓に手を当て、聞こえないよう細く息を吐く。

 ちょっと待っているとお腹の辺りがこそばゆく感じられ、身体全体に熱のようなものが行き渡る。どうやら魔力が戻ったらしい。これで何か変化が出るかと感応石を握るが依然何色にも染まらない。

「おかしいこともあるもんだ。魔石に合致した手応えは勘違いかね。珍しくピッタシ嵌ったってのに。あんた達二人は魔力の道が拙いからそれが関係するのかとも思ったが、そっちのあんたは反応がある訳だし。ま、いいさ。何かわかったら知らせて頂戴」

 店主にとっても予期せぬ事態だったようで匙を投げられてしまった。

「他の二人は魔石が機能しているみたいだから使い方を教えるよ。尤も説明しなくても大体わかっていると思うがね。魔石の存在はもう感じてるだろ。そこに魔力を流し込むだけさ。やってごらん」

 彼女はシロッコと洋を促す。礼一は今のところ魔石の存在自体ちっとも感じないので二人の様子をただただ眺める。それでも新刊漫画の開封ぐらいにはわくわくしていた。新しい能力のお披露目とあれば好奇心も疼く。

 シロッコと礼一は最初こそ手間取っていたがすぐに勝手がわかったようで夫々動き出す。礼一は上空を見上げて暫し目を瞬かせ、徐に片足を踏みしめると遥か天高くに跳び上がる。一方のシロッコは目を閉じた状態で辺りを見回すように顔を動かす。

「あんなの出鱈目だろ」

 シロッコは兎も角として、礼一の能力はズルすぎる。ちょっと前までのショボい身体強化が嘘のようだ。

「確かに派手な能力だが弱点も相応さ。あの子に使った魔石は〈半身〉のものだからね。恐らく力を込めている部位以外の動きは制限される」

 店主は極めて冷静にそう分析する。〈半身〉という魔物は一つ目に一本足の身体を持ち、凄まじい速さで飛び掛かってくるらしい。

「実際に奴らと対峙すれば厄介さがわかるさ。初見であの突進は躱せない」

 成る程と礼一は説明に聴き入る。視線の先では洋が跳んだり目を凝らしたりしているがその動作には幾分か間が見られる。強烈な力だが隙はデカい。それにしても一つ目一つ足でも魔物言えるのだろうか。いや魔石があるからには魔物なのだろう。思案に耽っていると妙ちきりんなおっさんが目に留まる。洋と比べるとちょっぴしダサい。

「あっちの中年の能力は地味なもんさ。使ったのは名前通り生肉の塊みたいな見た目の〈肉塊〉って奴の魔石でね。逃げ回るしか能が無いからか感知能力だけは鋭い。奴らは地面の揺れ、それに風の動きやらで周りの様子を洗いざらい把握する。コソコソ隠れ回ってる点はあんたの〈隠人〉と一緒さ。ま、敵を感知しようと思うと自分も激しくは動けないだろうし、扱うには工夫がいるね」

 シロッコと似た能力ってのは嫌だな。どうか別のものにして下さい。礼一はパンパンと天に手を合わす。にしても“魔物の家”の店主というのは凄いな。彼女の手にかかれば魔物の特徴を基に弱点が浮き彫りにされる。大したものだ。

「おや、気付いたかい。そうさ。“魔物の家”が点々と居場所を移すのは口封じを避けるためでもあるのさ。私の場合は糞爺との約束のせいでここに留まる羽目になってるがね。勿論相応の報酬はふんだくっちゃいるが。あの爺、絶対幸せには死なせない」

 店主の口から呪詛の言葉と歯軋りが漏れる。うわぁ勝手にキレやがった。礼一は恐る恐る彼女から距離を取る。触らぬ神に祟りなしだ。すると早速異変を察知したシロッコが非難するように此方を見てくる。何を勘違いしているか知らないが、とんだ濡れ衣だ。

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