第12話  老人

「手術は無事に済んだようだね。仮面を取ってごらん。ふむ、顔色もそこまで悪くない。ま、兎も角腰掛けなさい」

 家の中で三人を出迎えたのはいつぞやの港で会った老人であった。

 屋内は表の通りの臭さはなく、古い本を開いたような匂いがする。高そうな調度品が揃っており、人を迎える応接間といった感じだ。礼一達が座っている椅子も派手ではないが、丹念に漆を塗ったかのような光沢を帯びている。

「頭が痛むだろう。今飲み物を用意するから待ってなさい」

 老人は危なげなく矍鑠とした足付きで部屋を去り、少ししてからハーブのような香りを漂わせたティーポットを手に戻ってくる。

「これを飲んで心を落ち着けなさい。多少頭痛が治まるはずだ」

 彼は傍にある棚から取り出したカップに中身を注いで夫々に手渡してくれる。その仄かに湯気の立つ琥珀色の液体を口にすると、いい塩梅に身体がリラックスする。心なしか頭痛が和らいだような気もする。

「ありがとうございます。ちょっとマシになりました」

 プラシーボ効果にせよ、気分的に随分マシになったのは有難い。礼一は老人に礼を言う。味もハーブティーそのもので普通に美味しい。

「それで説明をお願いしても大丈夫ですか?俺達今の自分達の立場がよくわかっていなくて」

 粗方の事情を知っている風なので、礼一は老人に質問する。

 それを聞いて老人はシロッコに目を向けるが、彼は自分のせいではないと言うように顔の前で手を振る。

「やれやれ、まったくあの娘は」

 老人は溜息を吐きながら、眉間を揉む。

 チョロチョロと老人は自分のカップにも茶を注ぎ、一口啜って口を湿らせる。

「まぁあの娘にも悪気はないんだろうから勘弁してあげて欲しい。そう、港で私が手渡した紹介状があったろう。あそこには君達に手術を受けるかどうかを選ばせ、必要なことが終わり次第ここへ連れて来るように書いてあった。だが待てど暮らせど君達はやって来ない。人をやって確認させても今一つはっきりした答えが返ってこない。どうなっているのかと心配していたが、どうも行き違いがあったらしい。シロッコ、君がどういう風に話を聞いたのか聞かせてくれ」

 今の口振りだとこの人達の中で話がこじれていたせいで自分達に十分に情報が伝えられていなかったようだ。礼一と洋はシロッコの方を見る。

「俺は店主の姐さんから手術をやっちまうとこの二人を爺さんのところにやる羽目になるから出来る限り誤魔化せって言われていたんだ。勿論爺さんからこの子等を連れてくるように言われてはいたが、流石にあの人には逆らえない。ん、わかってくれ」

 気まずそうにそう語ってシロッコは目をそらす。

「ふむ。全く、道理で音沙汰がない訳だ。別に仕事を手伝わせるために手術を依頼した訳ではないのだが。しかしあの娘からすれば私に関わるとそういう考えになるのも無理はない。ああ大丈夫。君を責めるつもりはない。どちらかというと詳しく書かなかった私の失敗だ」

 老人は宥めるように鷹揚に手を挙げ頭を下げるシロッコを制する。

「さて説明しよう」

 老人は大事な話を打ち明けるかのように真剣な顔でこちらに向き直る。場の雰囲気が変わり、礼一達も釣られて居住まいを直す。

「君達に対して私が手を差し出したのは何か対価を期待してのものではない。ただ友との約束で勝手にしたまで。そこまで気にする必要もない。ここに呼ばせてもらったのも君達の行く先について何か私に手伝えることがないか話をしたかっただけだ。私もこの界隈ではそこそこ顔が広い方だし、紹介できる仕事もある。悪いようにはしないから話がしたい」

「この界隈?」

 概ね自分達がどういう経緯で魔物の家を紹介されたのかは理解したが、老人の立場がわからず礼一は聞き返す。

「シロッコと話したなら大方の事情は理解の上だろう。私も軍の人間だ。ここでは後ろ暗い類の案件を処理する役目を負っている。誰からも見向きもされない貧民街はこういう仕事を行うには都合が良い。それがわかっているから軍の上層部も生かさず殺さずこの場所を残し続けている。安心しなさい。君達をそんなゴミ溜めに突っ込もうとは思っていない。あくまで軍への口利きが出来るというだけだ」

 ホッとした。またこれから危ない橋を渡るだなんてのは嫌だ。ドキドキハラハラ、スリルテンコ盛りの生活なんてのはこれ迄でもうお腹一杯である。そろそろ心やすらかに過ごしたい。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有していた日本国民二人にはこちらでの生活は色々と辛過ぎた。

「是非ともお願いします」

 老人の話に礼一は飛びつく。洋も満更でもない顔をしているので大丈夫だろう。一点、シロッコが変なモノでも食ったような微妙な顔をしているのが気になったが、今はそんなことはどうでも良い。

「ならば話をしよう」

 老人はそう言って口火を切った。その後暫く彼の話を聞いて分かったのは、彼らが軍と呼ぶ組織は国の正規兵ではなくある家の私兵集団であるということであった。彼曰く、この国の王家の血筋は大きく二つに分かれており、その夫々に傍流の家が五つ存在するそうだ。老人とシロッコは共にその傍流の家の一つに仕えており、現在礼一達が勧められているのはそこに仕官するという道らしい。

「どうだろう。仮にも友の息子の仲間だ。個人的にも目の届く範囲で安全に生活して貰えると安心なのだが」

 そう言って話を締め、老人はこちらの反応を窺う。

 どうなのだろう。当初シロッコの話から想定していたような軍からはかけ離れた組織であるが、今のままじゃ食っていく宛もないのだから丁度良いのではないか。老人の話ではここらで過ごすのに比べれば安息が約束されているようである。悪いようにはしないと言っているし。礼一はそう考えて、相談するように洋の方を向く。

「お願いしたい」

 洋は礼一の視線に頷くと、老人に向かってそう答える。すると何処か険しい顔をしていた老人は相好を崩す。

「良かった。良かった」

 彼はホッとしたようにそう言うとシロッコに向かって朗らかに微笑む。

「ん、いい笑顔を向けられているところ悪いんだが、今の話の流れからするとその面倒を見るのは俺だよな」

 うんざりといった表情でシロッコが老人に問いかける。

「ああ、何しろ丁度ここに君がいるからな。いやぁ有難い限りだ。私ももう歳だ。そうそう外には出歩けない。君が来てくれて本当に良かった」

 先程まで浮かんでいた爽やかな笑みを浮かべていた老人の口の端がニーッと吊り上がる。まるでしてやったりといった風だ。

「そんなとこだろうと思ったよ。爺さん、あんたそんなことばかりやってるから店主の姐さんから嫌われるんだぞ。こんなひねくれた老人と近所づきあいしなきゃならないなんてここの住民も可哀そうだ」

 シロッコが吐き捨てるようにそう言う。

「おやおや酷い言われ様だな。まぁ老後のささやかな趣味だ。それぐらいは許してくれ」

 悪びれもなく老人がぼやくのを聞き、彼は呆れたように肩を竦める。

「おい君達、軍に入るのなら覚えておいた方が良い。この老人のことは信用するな。好々爺の振りしてとんでもない食わせ者だ。ペテン師相手に話すつもりでないと足元を掬われる」

 こちらにそう言うと、シロッコは椅子に座ったまま目を閉じる。もう金輪際口を利きたくないといった様子だ。

「まったく最近の若者は短気でいかん。君達もこうはなっては駄目だ。女子供、老人のことは取り分け労わらなくてはな」

 老人はけろりとした顔でにこにこ笑いながら話しかけてくる。

 何でこう出会うのが皆、一癖も二癖もある人ばかりなのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る