第9話 午睡
「ん、君達戻ったのか」
扉が開く音で起きたのかシロッコが目を擦りながら起き上がる。
「薬を飲まされただろう。だったら今の内に寝てしまった方が良い。そっちの方が楽だ」
彼は何やら物知り顔で御忠言を口にする。
「えっと、何でですか?」
取り敢えず礼一は発言の意味を問い返す。
「ん、何でってそれは直に身体が怠くなるからだ。今の俺みたいにな。無駄に苦しむより、黙って寝て時間が過ぎるのを待っていた方が楽に決まっている」
シロッコは何を当たり前のことを聞いているんだという表情でそう答え、再びこちらに背を向けて丸まり寝息を立て始める。
変なモノを飲まされた割に何もないと思っていたら、まさかこれからが地獄とは。久しぶりに自由な時間が確保出来、夜迄のささやかなニート生活を満喫する予定でいた礼一からすれば降って湧いた凶報である。
だが運命からは逃れられない。痛いのは嫌だし、少しでもマシにしたくて急ぎボロ布の被り目を閉じる。
「駄目だ。眠れない」
悲しいかな。二度寝をした報いなのか、いざ眠ろうとしてもちぃとも眠気に襲われない。こりゃ困ったと脳内で羊を柵に追い立てる。
斯様に気張ること数分、突如礼一の身体からどっと冷や汗が噴き出し、腹から吐き気が突き上がる。あんまりに急で驚き慌てて立ち上がると、続けて凄まじい頭痛に襲われる。
「神様仏様………」
脇から呻き声が聞こえる。どうやら洋も同じ状態らしい。
礼一も今後一切悪事はしないからこの気分の悪さを鎮めてくれと心中で必死に嘆願する。丁度緊箍児で頭を締め付けられる孫悟空の如き心持ちである。
こうして訪れた極限の体調悪化により、礼一と洋の身体は自動的に睡眠を選択する。午後の陽射しが差し込む部屋で三人の男が昏々と眠り続ける。
実のところ、シロッコを含めた礼一達三人共が勘違いしているが、例の謎薬は凡そ一ヶ月に渡って効き続ける。従って身体の怠さであったり頭痛であったりというものは、寝ても覚めてもその間中三人に付きまとう。
加えてこの薬自体には身体に巡る魔力を阻害する効果しかない。現在礼一達が悩まされている諸症状は、普段無意識下での身体機能補助を担う魔力の遮断が原因であり、あくまで副次的なものである。従って一度魔力がない状態に順応しなければ症状は改善しない。
魔力が使えるようになった矢先にこんなことになるとは礼一も洋も思いもしなかった。二人からすれば此度の服薬は災難もいいところである。
それもこれもここ“魔物の家”の店主の説明不足が原因である。本来であればこういったことを知らされて然るべきなのだが、生憎と無精者の彼女はそんな当たり前のことですら説明しない。客として訪れたシロッコに対しても碌に説明していない辺り筋金入りである。
コンコンッ、コンコンッ
頭を小突かれて礼一は目を開ける。未だ頭痛は酷いままだ。
「ようやく起きた。二人でさっさと下に降りてきな」
既に日が暮れたのか室内は真っ暗で、店主の顔が彼女の手に持つ灯りに照らされて闇の中に浮かび上がっている。
「ああ、はい」
礼一は這うようにして起き上がり、未だ横で寝転がっている洋を起こしにかかる。
心地よい寝起きとはならなかったようで少々ブー垂れ気味の洋を連れて地下室へと向かう。部屋に入ると既にお待ちかね状態の店主は急かす様に椅子を指差す。本来礼一としては洋に先陣を切って欲しいのだが、彼は椅子の方を見向きもせずに入口の傍に座り込んでいる。
「早くしな。私も暇じゃないんだよ」
モタモタする様子が気に障ったのか店主がこちらを睨む。何で俺が。不満が首をもたげるが、自分が行くしかないのでおずおずと椅子に身を任せる。
「さてあんたに使う魔石の説明をするよ。恐らく知らないと思うが〈隠人〉という魔物がいてね。そいつから抜き取ったものを使う。この魔物は小さくて存在感も薄い上に、見つかってもすぐちょこまかと逃げるからお目にかかるのが珍しい。勿論魔物だから人は襲うが、陰湿な手口を好む奴らでね。獲物が寝入った隙を見計らって大勢で襲い掛かる。嫌らしいもんさ。兎に角、無事身体の中で魔石が出来上がればあんたにもその特徴が受け継がれる筈だよ。いいね。最後に言っとくけどこの手術の結果がどうなっても私は責任を取らない。そこのところはよろしくね」
矢継ぎ早に喋りながら店主は手早く礼一の身体を椅子に括り付けていく。だが少し待って欲しい。今の説明では不安しか湧かない。今すぐ逃げ出したくなった礼一だが時すでに遅し、四肢を椅子に固定されて動きようがない。
「これから調合に入る。少し待っていな」
店主はそう告げて隣の隠し部屋に行ってしまう。後に残された礼一は往生際悪く縄から逃れようと身をくねらせる。
結果だけ述べると、皆様のご推察通りその後特別何かが起こることもなくこの脱走劇は失敗に終わる。筆者としても“The Great Escape March”でも流して彼の後ろ姿を見送りたかったのだが、幸か不幸か我らが礼一はそんな玉ではなかった。天は彼に運も実力も与えなかったらしい。残念。
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