第29話 撤退
「うわっ、おいらの服が台無しになってやがる。チクショー、手前らのせいだぞ。クソがクソが」
どこかの馬鹿の叫び声が響き渡り、間髪入れずに魔物共があっちへこっちへ吹き飛ばされるのが見える。
確かに袖にやけにゴテゴテした刺繍が入れてあったが、そんなに気に入っていたのならもっと大事に扱えばよいものを。
八つ当たりもいいところで、攻撃を受けた魔物は気の毒としか言いようがない。
「大将が馬鹿やってら」
パントレの子分がゲラゲラ笑っているのがこちらまで聞こえてくる。
「笑ったな。お前ぇら、後で覚悟しとけよ」
凄まじい怒気をはらんだパントレの声がする。キレている理由が自業自得で服をお釈迦にしたことでなければ、洒落にならないぐらいおっかないトーンである。
まあしょうもない理由なので誰もビビりはしないのだが。
「そんな怒んなくてもいいじゃないですか」
子分達はちっとも応えた様子もなく猶もクスクス笑う。パントレはそれに増々イラついたのか持ち場を離れて甲板中の魔物を片っ端からボコボコに殴り殺す。
魔物がいなくなって一息つけるのは有難いが、吹っ飛ばされた魔物が飛んでくるのは堪ったものではない。
「パントレさん余計なことしてないで定位置に戻って下さい。邪魔です」
ホアン船長が底冷えするような冷たい声でそう告げる。これには礼一もちょっとチビッてしまった。
船長は微笑みを浮かべてパントレを見ているが、目だけは一切笑っていない。普通に怒るよりかよっぽど怖い。
注意を受けたパントレはすごすごと持ち場に戻り、子分達もさっきまでの爆笑が嘘のように生真面目な顔で前を見ている。ヤッパリセンチョウコワイヒト。
パントレによって魔物が一掃された甲板に、新手が攻め込んでくる。
正直敵の大将の狙いがよくわからない。どれだけ魔物を突撃させたところで、今のように効率良く捌いていればそれほど疲れることもない。
一体何のつもりでここまで無駄な突撃を繰り返さすのだろうか。これじゃあまるで某歴史小説の中で描かれる203高地への無謀な突撃を指示したとされている乃木大将と一緒である。
いつ終わるともわからない突撃により船の上は魔物の死体だらけである。皆戦いながら邪魔になる死体を足でどかしてはいるものの積み上がる量はどんどん増えていく。
もはや甲板は、中央以外足の踏み場がない状態である。
「どうしたもんですかね。このままですと船足が遅くなってもっと多くの敵が乗り込んできます。そうすれば更に死体は増えますし悪循環ですね。うーむ。教国に向かう船にやけに多く人が乗っている理由はこれですか。確かに少人数だと手が打てませんね」
ホアン船長は解決策を求めて悩んでいるようである。
「おいピオいっつもはどうしてんだ?」
パントレがピオに向かって尋ねる。確かに彼であれば幾度となくコックとしてこの近辺の海を回っているのだから、何か知っているかもしれない。
「いつもー、ピオは戦ってないー」
大きな斧を殆ど鈍器として敵に叩きつけながら、ピオが返事をする。
彼が言うことも道理である。普通斧を持って敵をバッサバッサとなぎ倒すコックなんている訳がない。
その後もパントレとピオの問答は続くが、どうやらピオが戦いに出張っているのは人数の少ない今回の航海だけの特例らしい。
そう考えるとこのコックも訳あり者に思えてくる。
パントレ達はホアン船長の父親の要請で依頼をうけたそうだが、ピオは一体どうやって雇われたのだろうか。
何だか結果的にとは言え、乗組員が際物ばかりなっている。
礼一は自分がその際物の最たる存在とは一切自覚せずに、船の行く末を心配する。
「うーん。いっそ一旦退いちゃいましょうか。どうせ今なら敵は進行方向に待ち伏せているものだけでしょう。先程から見ている限りでは退路を断つような伏兵もいないようですし」
ホアン船長は一人でそう述懐した後また暫く悩んでいたが、結局撤退することを決める。
「これより船の舵を逆方向に取ってきます。暫しの間私は不在にするのでその間の防衛は任せます。パントレさん、指揮をお願いします」
船長はそう通達し、皆に異論がないことを確認すると一人船内に戻る。
「おっし、もうちょっと気張るぞっ」
船長のいなくなった甲板でパントレが自分に喝を入れるように怒鳴る。礼一達は無言で頷き、心構えを新たに魔物と相対す。
普通撤退と聞くとネガティブなイメージが湧くが、今回の場合はむしろ気分は晴れ晴れとしている。
今回の戦闘を通じて礼一と洋は経験を積むことが出来、魔物の攻め方も判明した。加えて撤退は容易であり、数日来た道を戻れば生の食料を補給できる島もある。
積み荷に関しても到着日程には多少の余裕を持たせてある上に、予定よりも随分早く進んでいたことから問題はないだろう。
正直殆ど成功確実な撤退戦さえ切り抜ければ、後は勝機しかないのである。作戦なんて船長がいくらでも考えてくれるだろうし、何だかんだパントレを初め乗組員は精鋭揃いである。
取り敢えず長く苦しかった戦闘に終止符が打たれることを考えると自然気分が明るくなろうというものである。
またピオの美味しい食事を堪能しながら、バカ騒ぎすればいい。すっかり船の一員として礼一はそう思考する。
ホアン船長が魔道具をいじり出したからか、船が徐々に方向転換する。凄まじい量の飛沫が上がり、船の片側が遠心力によって傾ぐ。
積み重なった魔物の死体がゴロゴロと崩れ落ち、甲板の上は大混乱である。
流石にこの状況で船に登ってくる魔物はいないようで、礼一達は取り敢えず死体の山に押しつぶされないように避けまくる。
甲板の上を滅茶苦茶にしつつも大きな軌道を描いて船は向きを換えると、魔物達に背を向けて一目散に逃げ始める。
おそらくこれまでで一番速く進んでいるだろう。船長も気合が入っているようである。
「あばよ、ばーか」
フラン達が魔物に向けて尻を叩きながら捨て台詞を言う。
やっとこさ戦闘から解放されたからか、皆どこかはしゃいでいる。礼一も何だかおかしくなってきてゲラゲラ笑いながら飛び跳ねる。
あまり感情を表に出さない洋でさえも、口の端が勝手に吊り上がっている。
出口の見えない戦闘で、相当にストレスを抱え込んでいたのだろう。
パントレは雄たけびを上げながら魔物の死体を甲板から海に投げ捨てている。
今回の戦闘を通して魔物の死体は散々な扱いを受けているが、流石にやり過ぎの感はある。それだけ魔物に手こずったということでもあるので、攻めた魔物としては本望なのかもしれない。
礼一達もちょっとの間騒いだ後は甲板の上を掃除しにかかる。
思った以上に魔物の死体が多く、結構な作業量である。これが終われば沢山寝てやると心に誓いながら、鉛のような腕を動かして撤去作業を続ける。
もうこれ以上は気合を入れても動けないという頃合いでようやく甲板から死体がなくなる。
皆で魔道具を使って水を放射して血を洗い流す。今更だが服は汗と血と雨でぐっちゃぐちゃである。
今回ばかりはこのまま船内に入る訳にもいかないので、パントレ達に交じって裸踊りをしながら水を浴びる。重労働の後だからか、意外にも大層気持ちが良い。
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